第26話 目に見えていても、気づかないモノ。




九十を越す祖母が他界したとき、今わの際まで気にしていたのは、家族や財産のことではなく家の裏にそびえる山のことであった。

「この辺の山には不思議な力があり、昔からいろんな言い伝えが残されている。ワシらも、たびたび奇妙なものに出会ったもんだ。フフッ、死んだ爺さんなどは狸に化かされて死にかけたみたいだ……」

祖母が話してくれる本当か嘘かわからない話を、幼いわたしは食い入るように聞いたものだ。

そんな祖母が最期に言い残した言葉は、「種人たねんど神社を動かしてはならん」であったそうだ。


家の前の市道を大型ダンプが土煙を上げ、走り去っていく。

他県へのアクセスをよくするために、山間部に新しく自動車道の建設が始まったのが今から十年前。現在、道路は八割がた完成して、来年には開通式が行われるという。

日中はダンプが土砂の運搬のため、市道をひっきりなしに行き来している。交通量が多くなった田舎道では様々なトラブルが起き、その中の一つとして車に轢かれて小動物がよく見られるようになった。

「……」

畑から家に戻る途中、白線の脇に何やら黒い塊がうごめいているのが見えた。嫌な予感がして近づいていくと、カラスが一斉に飛び立つ。やはり、轢かれた小動物のようだ。

しかし、それより目を引いたのは、飛んでいった烏に交じって、鳩がトコトコと道路を横断して行ったことであった。

――死んでいるのが、鳩だからか?

近づいていくと、それは無残な猫の亡骸であった。

「なんだ」

私は手を合わせ、猫の亡骸を道路の隅によけて、家に戻った。

「母さん?鳩って、猫を食べたっけ?」

「はあ?なに言ってんの、あんた?」

七十になる母はとても元気で口が悪い。わたしを本当にバカにしたように見つめた。

「言葉足らずだった。さっきね……」

わたしはついさっき見た光景をそのまま母に伝えた。

「……降りた場所を間違えただけだろうよ」

母はそういうと、わたしが畑で取ってきた大根を捌き始めた。

――いや、本当に鳩が猫の亡骸を食べていたんだって。

と言いたかったが、ご飯前だからやめた。代わりに、パソコンを開いて仕事を始めることにした。

結婚と仕事、すべてを東京に置いて、実家に戻ってきたのが三か月前。

今では、PC一台で日本中どこでも仕事ができる便利な時代になったものだと痛感させれるこの頃である。

「かな、あんた夕飯食べたら、寄り合いに行ってくれる?」

「ええっ、ヤよ」

「母さん、頭痛いから寝たいの。それとも夕飯アンタが自分で作るか?」

料理などロクにしたことのない娘に対して、選択の余地のない一言で制した。

夕食のあと、車で公民館に向かった。建物に入って行くと、すでに集落の人々が集まって席についていた。

「なんだ、キヨちゃんがきたの?小母さんは?」

幼馴染の小野田正平おのだしょうへいがわたしを見ていった。もうすっかりオッサン体型の自動車整備士だ。

ちなみに西畑清美にしはたきよみがわたしの名だ。

「頭傷いって、寝てる。それより、今日の寄り合いは何のために集まったの?」

「それが……」

「なんだ、西畑んとこの娘か。お母さんどうした?」

正平が言おうとしたのを大声で制したのは、自治会長の大滝老人であった。

「ちょっと体調を崩してしまって……」

「悪いのか?」

耳が遠いのか、そんなに大きな声を出さなくても聞こえると言いたい音量で大滝老人は尋ねた。

「早速、今日の議題を話したいと思うが……」

公民館に家の代表者十五人が集まって、寄り合いが始まった。

話は自動車道の現在、施工している箇所が終了して、次の区間に移行することに伴い、ダンプの交通区間が変わることの連絡事項と注意点。それと夏祭りに関しての準備事項があるという。道理で、種人たねんど神社の宮司ぐうじが同席しているはずである。

「まあ、別段いつもと変わらないが、神社が今の場所に遷座せんざして五年が経つんで、ちょっとした式典をやろうと話が出ている」

大滝の自治会長がいった。

「あんな形だけのモノ、何の意味があるか」

いきなり声を荒げたのは、自治会長と同年代の老人であった。

「今泉さん、あんたまだそんなことを言っているのか?五年もたってるんだ。この間も何も起きてないんだから、いい加減そういうことを言うのはやめたらどうだ?」

たしなめたのは隣家の渡辺さんだ。

「何も起きてないからっていって、それでいいってもんじゃない。現に種人神社には神様が入ってないんだからな」

「何度も申しげてるように、ご神体はきちんと遷座されました」

「だから、そういうことじゃないんだ」

宮司の言葉を遮るように声を荒げる今泉老人。

わたしは何のことかわからず、そのやり取りを見守っているしかなかった。

「わしはあの山に道路を通すことを反対したんだ。なのに、金に目がくらんだ山主やお前らが勝手に許可を出しおって……」

「仕方ないだろう。山は山主のモノ、それに御上おかみの意向でそうなったんだから」

「よけて通ればよかったんだ。種人神社を退けてまで、道路なぞ通さんでもよかったんだ」

そのとき、わたしは祖母の今わの際の言葉を思い出した。

種人たねんど神社を動かしてはならん』

「あとの祭りじゃ」

大滝老人が一言で切り捨てた。

「これからだ、この町に災いが起こるのは」

今泉老人は立ち上がり、腰が曲がった老人にしては驚くほど力強く言い放った。

「近頃、周辺の町では妙なことがいろいろと起きている。始まってるんだ、ワシらの知らないところで。結界は解かれたんだからな」

すると、老人はわたしの方を見て、何かに気づいたようにいった。

「おお、あんたはヨネさんとこの孫か。ちょうどいい、あんたも聞いたことがあるだろう?この村に伝わる話を……」

今泉老人に話しかけたので、住人の目がわたしに注がれる。

「あ、いや、さあ?」

「おっちゃん、そんな話は他でやってくれ。俺は仕事帰りで、早く家に帰りたいんだよ」

わたしがしどろもどろしていると、つなぎ姿の正平が面倒くさそうにいった。

「フン、勝手にしろ。どうなっても知らねーぞ」

そういって、今泉老人は出て行ってしまった。


その翌日、今泉老人は自宅で死亡しているのが発見された。

死因は毒物による中毒死であった。湯呑の中に毒物が検出され、警察が家の中を調べたり付近を聞き込みしたようだが、事件性はないと判断された。

今泉老人は数年前に奥さんが他界して、一人暮らしをしたいたそうだ。

葬儀は隣町の少し離れた場所にある葬祭センターで行われた。わたしは参列していた正平と話をした。

「まあ、いろいろとあったんだろうな」

今泉老人の突然の死に対して、正平はそういった。

「今泉さん、前からあんなこと言ってたの?」

わたしは寄り合いの時のことを訊いた。

「まあな。それこそ工事が始まる前から、山を荒らしてはならない、種人神社に触れてはならないと事あるごとに言っていて、工事関係者をずいぶん困らせたみたいだ」

「そうなんだ」

十八で町を出て、二十年ちかく帰ってなかったので、その間のことは何も知らない。

「そういえば、お前のばあさんも生きている時は工事反対派だったな」

「へえー、そうなんだ」

とぼけたが、それは今わの際の言葉からも想像できる。

「実は俺の祖父ちゃんもそうだったんだ。けど、大滝のじいさん一派が強硬に山主を丸め込んで道路建設に踏み切ったようだ。まあ、たとえ種人神社を避けたとしても、結局、この辺の道路を使うわけだし、それなら町が潤った方がいいと、大滝老人たちの考えが正しいと俺も思うけどな」

理屈ではそうだ。

「それに今のところ、何も起きてないしな。起きるわけないさ、祟りなんて」

正平は笑ったが、わたしは今泉老人の言葉が気になっていた。

『これからだ。この町に災いが起こるのは。近頃、周辺の町では妙なことがいろいろと起きている。始まってるんだ、ワシらの知らないところで。結界は解かれたんだからな』

ここ何年か、近隣の町や市で、数々の殺人や奇妙な事件が多発していた。もちろん、そのことと種人神社の遷座が関係しているなんて私自身思ってないなが、何か得体の知れない違和感は感じていた。

例えるなら、臭いに慣れてしまった町の人は気づかないが、町を出ていた人間は感じるような違い。昔の記憶と照らし合わせてみて、まるで変わってしまった町の雰囲気とでも言おうか。

そんなある日、わたしは家から市道を挟んだ所にある畑にいた。

実家に戻りホームワーカーとなり、東京に住んでいたころと比べ、驚くほど時間があり、先祖代々受け継がれてきた畑で自家栽培に目覚めた。

「人は土に生まれ、土で育ち、土に還る、かぁ」

夏になり、今はキュウリやナスなどを育てている。

そのときふと、何かが目の端を横切った。反射的に視線を向けたとき、それが人型に見えた。

「えっ?」

ネズミ大の大きさの人間が横切ったような気がした。

「まさか……」

しばらく動けずい、黒い影が消えたキュウリの棚を見つめていると、突然、鳩が一羽、棚から出てきた。

脳裏に、前に見たカラスの中に一羽いた鳩が思い浮かんだ。あのときも鳩は飛ばずに歩いて道路を横切っていった。

そのとき感じていた違和感が、中腰からジッと凝視していると理解できた。鳩は通常、歩く時に一緒に首が前後する。しかし、その鳩は足だけを動かしていて、頭は真っすぐ前を向いている。しかも、「1,2,1,2……」といった歩調で、鳩らしさがみじんもない。

「……おいっ」

大声で鳩を驚かると、鳩は歩調を速めて逃げていくが、途中で石に躓いて、こてっと前のめりに倒れた。

「……」

鳩は羽を伸ばして、それを支えとして起き上がると、そのまま何事もなかったように草むらの中に消えた。

もし、あのとき鳩のを突き止めようとしたら、わたしは生きていなかった、今でもそう感じる。

                                     🈡

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