第24話 女捨て山




 これは平成の中頃のお話。


 北川康太きたがわこうたは大学の夏休みを利用して、車中泊をしながら全国を回っていた。

 道中、泊まるのは道の駅やドライブインなどの大型駐車場を備えた施設で、まずその日の泊まる場所を定め、そこまでの道中にある観光地などを巡って、旅をするという場当たり的な旅であった。

 静岡県から始まった旅は、太平洋沿岸の都県を通過して、青森県大間からフェリーで北海道函館に入港。そこから室蘭、苫小牧、帯広、釧路、知床、網走、稚内、留萌、札幌、小樽と回ってまた函館に戻ってくる。

 一か月近くかけた北海道の旅を終え、再び本州へ戻ってきたのが八月の下旬。今度は日本海沿岸を通り、九州へ向かう予定であった。

 しかし、一か月以上の旅生活に、食傷気味でなってしまった康太。

 山形県を過ぎた辺りで九州行きは諦め、北関東を通過して静岡に戻るルートを選んだ。

「日本は狭い狭いと言われているが、こうして旅してみると、広いよ、むしろ広すぎる。特に北海道は広かったなぁ」

 全国を旅すると、想像していたより日本の国土が広いことと、どこに行っても山があり、沿岸部に行けば延々と海岸線がつづいている島国であることも思い知らされる。

 この日も山間部に入り、ずいぶんと経ってから道の駅の駐車場に辿りついた。明日には家に帰れる予定だ。

 八月ということもあり、道の駅はどこも車中泊で利用しているとおぼしき車が二三台はあったが、この道の駅は駐車場に車一台なく、ひっそりとしていた。

 時刻は午後十時を回っていたので、人気がないのは仕方がないが、車一台止まっていない山間部の駐車場は一種異様で、不気味さを感じさせた。

 それでもただ寝るだけだからと車を停車させ、SUVの運転席から後部座席へと移動する。最初は運転席で寝ていたが、寝心地が悪かったので後部座席で丸まって横になることにした。康太は、身長165㎝と大きくないので、足は伸ばせないが寝心地は悪くない。

 タオルケットを被って、寝転がっているとすぐにウトウトとしてきた。

 どのくらい経ったのか?ふと何かの音で目を覚ました。

「……?」

 いつもそうなのだが、寝起きは自分がどこにいるのか一瞬戸惑った後、車の中だったと思いだす。

 ――夢の中の出来事だったのか?

 そのとき、外から窓を叩く音がして、驚いて反射的に起き上がる。窓ガラスを隔てたところに人の顔があった。

「わあっ」

 声を上げて逃げるように反対側のドアに背を付ける。

「すみません」

 外から女性の声がした。

「……」

「あの、すみません」

 女はもう一度いった。

「……なんですか?」

 康太は車内から呼びかけに答えた。

「驚かせてごめんなさい。あの、いきなりで申し訳ないですが、携帯を貸してくれませんか?」

「……ごめんなさい。無理です」

「……お、お願いします。あの、わたし、ここに置いてけぼりをくいまして、どうしていいのかわからないんです」

「警察に通報すればいいのでは?ここにも公衆電話はあるでしょう?」

「……そうですよね。あると思います。けど、あんまり大事おおごとにしたくないんです」

「なぜですか?」

「……」

 返事は返ってこない。それどころか、女の姿も窓の外から消えていた。

「えっ?」

 周囲を見回してタオルケットを握りしめていると、車外から鼻をすする音が聞こえてきた。どうやら、蹲って泣いているようだ。

 康太はフロントの二つ折りの携帯電話を手にして、開いて画面を見た。電波は圏外となっている。

「携帯はここでは通じませんよ。やはり警察に通報した方が早いですよ」

 ドアの方へ近づいていった。

「……」

 返事はない。

「んだよもうっ」

 康太は小声で文句をいう。

「……乗せていってもらえませんか?」

 下の方から女の声がした。

「チッ……聞いてませんでした?警察に通報した方がいいですって」

 康太は舌打ちして、少し早口でいった。

「実は私、結婚しているんです。だから、家に知られるのはマズいんです」

「結婚している女性がなんだって、こんなところに、こんな時間に一人でいるんですか?」

 康太は矢継ぎ早に訊いた。

「男に置いてけぼりを食ったんです」

「はい?」

「ナンパされた男に置いてかれたのよ」

 女は自棄になったように叫んだことで、康太にもやっと状況が理解できた。

 彼女だったり、ナンパした女性をドライブ中に、山中に置いていくとんでもない男の話をテレビか何かで聞いたことがあった。しかし、それはあくまで都市伝説のたぐいだと思っていた。

 康太は女の立つ反対側のドアを開け、外にでておずおずと女を見た。

 外灯で浮かび上がった女は髪の長い、一目でスタイルがよいことがわかった。年齢は二十代前半か半ばぐらいか、康太は自分より年上だと思った。

「携帯が通じるところまで送ってくれたらいいですから。そしたら、そこからタクシーで帰りますので」

 笑みを浮かべていった女は、康太好みの美人であった。


 曲がりくねる山道をハンドルを切りながら、康太は車内に重苦しい空気を感じていた。助手席に座るのは、靴も履かず、ワンピース一枚の格好で、胸のふくらみが暗い中でもしっかりとわかる女性。

「……」

「……バカな女だと思っているでしょう?」

 徐に女がいった。

「……いえ」

「フッ、言わなくてもわかる。だって自分でもそう思うもん。でも、こんなこといつもしてるわけじゃないの。……初めて。ナンパについていったのも、知らない男の車に乗ったのも」

「……」

「でも、罰が当たったみたい。このざまだもんね」

 かき上げた女の髪のニオイが、康太の嗅覚まで届いた。

「あなたはなぜ、あんな所にいたの?」

「く、車で全国を旅してまわっていたんです。その途中」

「へえ、いいな。この後どこに行くの?」

「もう家に帰ろうと思って……」

「どうして?ホームシック?」

「まあ……」

 車がトンネルに入った。

「このトンネル長いのよ。全長一キロ以上あるの」

「そうなんですか」

「この辺りはとても険しい山で、昔は隣の村に行くにも一日がかりだったみたい」

「じゃあ、トンネルができてよかったですよね」

「だから、そう言ってるでしょう?」

 女は冷めた口調でいった。

「……」

「それにこの辺りの山には、鬼女が住んでいたっていう話が残されているのよ」

 女は話をつづけた。

「へえー、ずいぶん詳しいんですね。この辺りの人ですか?それとも、もしかして、あなたが鬼女なんじゃないですか?」

 康太は冗談ぽくいった。すると、

「お前を食ってやろうか」

 女がいきなり、ハンドルを握った康太の腕を掴んできたので車が蛇行した。

「ちょ、ちょっとなにすんです?」

 ハンドルを戻して、康太は非難の目を女に向ける。

「アハハ、ごめんなさい。冗談が過ぎたみたいね」

 女は嬉しそうに笑って、両手を合わせた。

 康太はもう一度女を見てから、前を見て鼻を鳴らした。

 やがて車がトンネルを抜け、圧迫感がとれた瞬間、女は大きく息をついた。

「トンネルって、どうも息が詰まりますよね」

 康太が何気にいった。

「……トンネルだからって、だけじゃないの」

 女は視線を伏せ、つぶやいた。

「結界を抜けたから、ってのもあるのよ」

「結界?」

「さっきのトンネルの上に結界があるのよ。そこを今、というかちょっと前に抜けたの。だから、空気が軽くなったのよ」

「……?」

「わからない?昔からよく言うでしょ、あの世とこの世の境目とか、そういう結界があの山の中にあったの。そこを抜けたのよ」

「ちょっと、何言ってるのかわかんないですけど……」

「簡単にいうとね、私たちはその結界の外にでられなかったの。だけど、あのトンネルのおかげで結界が破られて、外に出ることができるようになったの」

「はあっ……?」

「でも、そのあと、結界を抜けた私たちを運んでくれる人を探していたの」

 と女は熱い目を康太に向けた。

「……つまり、それが僕で、あなたはすでに死んでいるということですか?」

「ピンポーン」

「……にしてはずいぶんと生き生きとしてますけど?」

 康太は完全に女を頭のおかしいものとしてみている。

「だから、私が選ばれたの」

「選ばれた?何に?」

「ヒッチハイクをしてくれる男を釣る役」

「どういうこと?」

 そのとき康太は後ろに視線を感じて振り返った。

 後部座席には、無残な姿をした女の顔が幾つもあった。

「あ"あ"あ"あ"あ"……」

 康太は悲鳴を上げ、ハンドル操作を誤る。車が蛇行しながら山道を走る。

「彼女たち、みーんなあの山に捨てられた女の子たちなの」

 女はにっこりと微笑んだ。

 後部座席だけには収まりきれない女の幽霊が、車外に延々と纏わりついていた。

「……オトコニ復讐シニイクカラ東京マデ乗セテッテネ」

 ミイラになった女が、康太に顔を近づけて可愛らしくいった。

                                     🈡


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