第22話 四人の訪問者
「新しく隣に引っ越してきた古木と言います。よろしくお願いします」
「……どうも、それはご丁寧に」
老婦人は頭を下げて、粗品であるタオルを受け取った。
秀幸は隣の家の玄関を出て、左手にある我が家を見つめ、立ち止まった。
「パパ、先行っているわよ」
美穂はそういうと、秀幸を追い抜いてさっさと家へと向かって歩き始めた。
秀幸はゆっくりと外観を眺めながら、家へと向かう。
道に面した塀から覗く芝生の庭、その先のポーチ、大きな窓にリビングでは娘たちが荷物を解いているのが見える。
駐車場の電動シャッターは、秀幸のお気に入りだ。
周囲の古い町並みにミスマッチの現代風の黒い外壁の家だ。
秀幸は都内で働く銀行マンで、今年四十七になる。
妻の美穂は四十歳、長女の
「夢のマイホームか」
秀幸は独り言をいいながら、門扉を抜けた。
家の中は引っ越し業者が帰ったばかりで、まだ荷ほどきされていない段ボールがそこかしこに積まれている。
週末を利用して、朝から近所へのあいさつ回りと引っ越しの片づけとやることが目白押しであった。
美穂はすでに段ボールを開き、食器を棚に並べていた。
「……さて、俺は何をしようかな?」
秀幸が周囲を見回していたそのとき、玄関のチャイムが鳴った。
「ピンポ~ン」
じっくりと音を響かせるような押し方に、秀幸は面倒くさい予感がした。
テレビドアホンで来訪者を見ると、スーツを着た若い男が立っていた。
「はい?」
「あっ、ご主人さまでいらっしゃいますか?わたくし、新しくこの地域の担当になったものでございまして、あいさつ回りをしているのですが、よろしいでしょうか?」
訪問販売の常套句を述べてくる男に、秀幸は冷たく返した。
「引っ越してきたばっかで、今、手が離せないんだ。また今度ね」
「……」
画面の中の男は微動だにしない。
そのうち帰るだろうと動き出そうとしたとき、
「ご主人、いきなりですみませんがこの家、風水的にいろいろとよくありませんね」
秀幸の足が止まった。
「まず、あんな近くに鉄塔が立っていますもんね」
「ちょっと、あんたねえ。いきなり何なの?」
秀幸は通話ボタンを押して、声のトーンを上げた。
「申し訳ございません。しかし、風水的に見て、よくない部分がありますので、差し出がましいようですが気になったもので……」
「……よくないって……どこが?」
「先ほども申しましたが、鉄塔が家の近くに立っています。鉄塔の近くは運気を下げるんです。しかも東にある。陽の光を遮るので益々よくありません」
「鉄塔がよくないのはわかっているよ」
だから、安い値段で土地を買うことができたのだ。
「あと、鬼門に駐車場があるのもよくないですね」
「えっ?鬼門?鬼門って方角のことだっけ?」
「北東のことです」
「住宅業者はそんなこと言ってなかったけど?」
「そういうことを気にしない業者が多いんですよ、困ったものです」
「……でも、駐車場が鬼門にあって何がいけないのさ?」
「事故を起こしやすくなると言われてます」
「……ちょっと、待って」
秀幸はキッチンの方を見てから、リビングを出て行く。
「あなたぁ?」
秀幸を探す美穂が玄関まで来ると、下駄箱の上に置かれた見なれない額縁に気づいて立ち止まった。
真ん中に海面から飛び出たイルカが描かれた、鮮やかな青が印象的な絵画であった。
「……」
すると階段を降りてきた秀幸が、妻の姿に立ち止まった。
「これどうしたの?」
妻は振り向きもせずに訊く。
「さっきさ、訪問販売の人が来て、風水で玄関に絵を飾るといいって言うんでつい……」
「で、いくらしたの?」
「な、七万円。特別セールで、割引してもらったんだ。投資にもなるって、この絵」
「あなたのお小遣いで払うってことでいいのよね?」
そういうと美穂は行ってしまった。
「あっ、でも風水で……」
妻の背中に語りかけようとしたそのとき、玄関のドアが開き、見知らぬ老人が顔を覗かせた。
「お邪魔しますよ。古木さん」
「どちら様ですか?」
驚く秀幸。
「自治会長の
「ああ、どうも。初めまして、古木です」
秀幸は頭を長身を折り曲げるように頭を下げた。
「本来はそちらから来てもらうのが筋だが、用事のついでに挨拶に来ました」
岩科は小柄ででっぷりと太った老人であった。
「どうも、それはわざわざすみません」
「でね。一応、これが自治会の名簿と、それにゴミ出しのルール。後はいろいろと決まりを書いた規約です」
岩科はB4版の束を渡してきた。
「……ありがとうございます」
「ここら辺は古い家ばかりだからさ。ルールにうるさい人が多いんで、よく読んで気を付けてくださいね」
「はい」
「しかし、なんだね……今の若い人が好きそうな家だね」
岩科は家の中を見回しながらいった。
「そうですね」
「まあ、あんなことがあったからさ、買い手がつかないんじゃないかと思ったが、よかったよ。土地が埋まって。まあ、何時までも空き地のままだと、わしらもこの前を通るたびに思い出してしまうからね」
「あのう、何の話ですか?」
そのとき、美穂が玄関に顔を出した。
「自治会長さん、妻の美穂です」
「どうも、宜しくお願いします」
美穂が深々と頭を下げ、挨拶する。
「ああ、どうも。綺麗な奥さんで」
スケベそうな目で美穂を見つめる。
「いや、いい人たちが引っ越してきてもらってよかったよ。これで事件のことは忘れられそうだ。では、何かあったらいつでも言ってきてください」
と岩科は出て行った。
「なに事件って?」
美穂が秀幸に訊くが、秀幸は首を捻るだけであった。
「だから、引っ越しなんて嫌だったのよ、一軒家なんていいって言ったのに」
美穂がヒステリックにいった。
「知らなかったんだから、仕方がないだろう」
「そういうモノって、最初に調べるものじゃないの?その土地に何があったかって家を建てる前に不動産屋に聞くのが常識じゃない」
「お前だってなにも気にしてなかっただろう」
「あなたがどんどんと進めてしまったもんだから、口を挟む暇がなかったのよ。あなたっていっつもそう」
ネットで調べたところ、そこはかつて殺人事件があった家の跡地であった。
十年前に起きた母子放火殺人事件。
バツイチ子持ちの女性と結婚した設計士が、義理の娘と肉体関係になり、それが妻にバレたことで妻子を殺害し、自宅に放火して自ら命を絶ったという凄惨な事件である。
さらに唯一生き残った設計士の父親が、数十年前に関東一円で起きた幼女殺人事件の犯人であると自供したことで、事件はよりセンセーショナルになる。それが本当なら、その母子にとって、子供と姉を殺害された犯人と一つ屋根の下で暮らしていたことになるのだった。
実はこの母子には双子の娘がいて、その子が幼女殺人事件の被害者であった。
(※第14話 嘘をつくにも体力がいる 参照)
ただ、その父親は事件前から寝たきりであり、痴呆も始まっていたので真偽は定かではないと立ち消えになっていったのだが……。
「そんな曰くつきの土地に暮らすことになるなんて……不動産業者には説明義務があるんじゃない?それを怠ったってことで、無効にできない?」
「この家を手放すってことか?」
「当然でしょう」
「そんなことできるわけないだろう?」
「ねえ、おなかすいた」
長女と次女がソファー座ってテレビを観ながら、訴えた。
「それどころじゃないの。それどころじゃないのよ」
美穂はテーブルに肘を付けて頭を抱えた。
「……よし、ピザでも取るか」
秀幸が二人に向かっていった。
「やった~」
「だいたい、私、許してないからね」
秀幸がデリバリーの電話をかけている最中、美穂がポツリといった。
「……?」
「あなたがウソをついていたこと。初婚じゃないってことよ」
秀幸は電話を切って、美穂に顔を近づけた。
「子供たちの前で、その話はしない約束だろう?」
「いっつもそう、都合が悪くなると逃げる」
「大昔の話だ。若気の至りで結婚して、すぐ別れてそれでおしまい。何度も説明しているだろう、もうどこに住んでいるかも知らない」
「そんなこと言っても、娘さんがいるのよ。あなたと血が繋がりがあるの。あなたが死ねば、相続のことだってある」
「おい、縁起でもない。……そんなのずっと先の話だろう?」
「人間どうなるかわかないわよ」
「いい加減にしろ」
そのとき、玄関のチャイムが鳴った。
「またか、今度は誰だ?」
秀幸は逃げるように玄関に向かった。
「はい」
玄関のドアを開けると、そこには二人のスーツ姿のいかつい中年の男が立っていた。
「古木秀幸さん?」
男たちは胸ポケットから警察手帳を取り出した。
「私は警視庁捜査一課の山根、こちらは藤堂警視です」
「はあ……」
「ご家族に聞かれるのは少し不味いので、外で話せますか?」
「え?……はあ」
秀幸は言われるままに外へ出た。
「
「えっ?ええ。……娘です。まさか?」
「ご愁傷さまです」
秀幸は固まった。
「彼女は立派に職務を全うして殉職しました」
「ああ、そうですか……警察で働いていたんですか。それすら知りませんでした。……それで、葬儀はいつやるのですか?」
「それが遺体がまだ発見されていないので……」
「そんなひどい」
「非常に言いにくいのですが、お父さんに、娘さんの遺体の捜索に協力してもらいたいのですが?」
「もちろんです、どんな協力も惜しみません」
「そうですか、それを聞いて安心しました。それでは、ここにサインしてもらえませんか?」
と山根が一枚の紙をポケットから取り出した。
「え?何ですか、これは?」
「家の軒下を掘り返す承諾書です」
「え?」
「お嬢さんはこの家の下に埋まっています」
(※第18話 Ei8ht 参照)
🈡
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