第20話 悪意の伝染 中編




 タイヤが地面の凸凹を通過するたびに、体が上下する。

 拘束着に足枷、頭に袋を被せられた状態でイザベルは移送されていた。

 呼吸するたびに袋の口の部分が上下して、車が揺れるたびに両隣の防護服の看守に押さえつけられる。

 —―またあの場所に戻るのか。

 イザベルは布袋の中で目を見開き、思い起こしていた。


 *       *       *


 そこは、リゾートホテルのパンフレットにでも出てきそうな部屋であった。

 明るい照明に映えそうな内装。白い壁に、南国の海と砂浜の写真が飾られてある。

 そんな室内をイザベルは落ち着きなく歩き回っていた。栗色の長い縮れた髪に、肉感のある体をワンピースで包んで、裸足である。

 徐に窓辺に向かっていき、カーテンを引いた。外は鉛色の空に雪が舞っている極寒の世界。雪に包まれた灰色の大地がはるか彼方まで見渡せた。

 イザベルは窓枠に沿って、鍵を探すが見当たらない。それでも諦めきれず、椅子を持ってきて、窓ガラスに向かって叩きつけた。椅子は跳ね返され、床を転がる。「……」

 立ち尽くしていると、背後のドアがスライドして開き、白衣の男が廊下を伺いながら、入ってきた。自動扉が閉まり、入ってきた男は、室内を見て立ち止まった。そして、窓辺に立つイザベルに気づく。

「驚いた」

 一言だけいって、部屋の様子を伺いながら、イザベルに近づいてくる。

「フッ、ここは君の部屋かい?」

 男は微笑み、訊いた。

 三十代くらいの黒髪で、白衣を着て眼鏡をかけたインテリ風だ。一見、優男だが、どこか只ならぬ雰囲気を秘めている。

「みたいね」

 イザベルは答えた。

「そうか……どうやら、当てが外れたか」

 男は独り言を言いながら、床に転がる椅子を掴んで立たせると、テーブルの方へもっていって、腰かけた。

「君は何者?」

「あなたの方こそ何者?勝手に入ってきて」

「フッ、すまない。僕の名は東条剛とうじょうつよし。下の研究所で働いている」

「……イザベルよ」

「イザベル、君はここで何をしている?」

「……」

「君は総統の囲いもんか?」

「カコイモン?」

「つまり、総統の愛人か何かか?」

「違うわ。気づいたときにはここにいたの」

 東条は腰を浮かし、身を乗り出した。

「どこから来た?どこの国の生まれだ?」

 イザベルは首を左右に振った。

「答えたくないのか、それとも記憶がないのか?」

「覚えているのは人が大勢、死んだこと……死体の山……硝煙のニオイ……爆発音」

「紛争地域か……今はどこも多かれ少なかれ、戦争が起こっているからな」

「それと……大きな女神の像があった街……」

「本当か?」

 東条は立ち上がり、ジッとイザベルを見つめる。

「君はここにきて、どれくらい経つ?」

「さあ?記憶にないくらい。けど、雪は降ってなかった」

「……君はここを出たいか?」

 東条の問いに、イザベルは躊躇なくうなずいた。

「決まりだ。外へ連れ出してやる。ちょっと待ってな」

 そういうと東条は一旦、外へ出ていって、戻ってくると白衣とIDを持ってきた。

 イザベルに白衣を着せると部屋を出ていく。

「いいか、普通にしていろ。何事もないよう堂々とな」

 二人はIDでエレベーターに乗り込み、地下まで降りると、そこから荷物用のトラックを一台盗んで外へ出た。ゲートには見張りがいたが、入るのはチェックが厳しいようだが、出ていく分はそうでもなかった。

「案外、たやすかったな」

 バックミラーに白亜のビルが映し出される。

 トラックは周辺の研究施設のような敷地の間を走っていく。周りは無機質な建物だけで、人の姿もなく、まっすぐな道が続いた。やがて、それも終わり、周囲が草原となり、その奥が丘に、遠くに雪を被った山脈が見えた。

「寒いだろう?」

 東条は運転席の後ろにあった緑色のハーフコートをイザベルに手渡した。

「どこへ行くの?」

 イザベルがコートを羽織りながら、訊いた。

「この国を出て、本国に帰還する」

「本国?」

「ああ……その前に車を変えるために近くの町へ寄る」

 東条はアクセルと踏んで、スピードを上げた。

 やがて最初の町に入ると、東条は立ち寄ったスーパーの駐車場にトラックを乗り捨てた。

「腹が減った。長い道のりだ、何か買っていこう」

 スーパーで食料品を買い、近くに止めてあったスポーツタイプの乗用車を盗んで、その町を離れた。

「追っ手はまだ来ないが、間に合うか……?」

 最速で車を走らせながら、東条がつぶやいた。ふと見ると、イザベルは与えられたチョコバーを口にしていない。

「食べないのか?」

「ええ……」

「食べないと持たないぞ」

「……私をどうするつもり?」

「もちろん、連れていくさ」

「なぜ?」

「おそらく、君が我々が探していただからさ」

「?」

「君が言っていた大きな女神の像のある街……そこはもうこの世界には存在していない。戦争で滅んだんだ」

「……そう」

 イザベル感情なく答えた。

「帰る場所はないだろう?」

「……焼けるような太陽。砂漠の中に、たくさんのゴミの山……異臭。貧しい村にやせ細った子供たち。それが私の生まれた場所」

「思い出したのか?」

 イザベルはうなずいた。

「貧困と暴力が渦巻き、人が簡単に死んでいく。でも、誰のせいでもない。少なくとも祖国の人間のせいでは……」

 東条はイザベルの横顔を見た。

「私は国を出て、豊かさを求めた。しかし、別の国でも生活は豊かにならなかった。昔と変わらない生活、そして、その国でも内戦が起き、たくさんの人が死んでいった。そんな中、私は病魔に侵されていることを知った」

「その病魔ってやつが原因で……」

 そのとき、背後からサイレンの音が響いてきた。

 バックミラーを見ると、パトランプを光らせたパトカーが数台、追ってきている。

「来たか。町まで約十キロ……町に入れば……」

 東条はアクセルを床に付くほど目いっぱい踏み込んだ。

 やがて前方に町が姿を現し、街に入る橋の手前にパトカーがバリケードを張っているのが見えた。

「クソッ……」

 バッグミラーを見ると後ろのパトカーも間際まで近づいていた。

「突っ込むぞ、かがんでいろ」

 東条はイザベルの頭を押さえつけ、バリケードへ向かって車をアクセルを踏んだ。

 バンパーは鉄柵のバリケードに直撃して、地面に敷かれた鋭いスパイクがタイヤに突き刺さる。しかし、装甲が丈夫な車で、しかもランフラットタイヤだったおかげで、車は大破しながらバリケードを突っ切ることができた。

 慌てて警官が発砲する。車はぼろぼろになりながら、それでも走り続け、橋を渡った。

「大丈夫か?」

 東条はイザベルを確認した。

「ええ……」

 イザベルは首を振りながら、うなずく。

 市内を入ってすぐに車を乗り捨て、倉庫街に身を隠した。ひっきりなしにパトカーが行き交い、サイレンを鳴らす。

「車を奪っての逃走は困難かもしれん。列車で行こう」

 東条は遠くに走る列車を見ていった。

 夜になり、街の中を忍ぶように進んでいく二つの影。

 べイエリアは浮浪者が多く、彼らの中に紛れて警官たちの目を誤魔化す。

「なんで、こんなに警官が多いんだ?」

「どんな凶悪犯が潜んでいやがるてんだ?」

「クソッ、迷惑なこった」

 警官に乱雑に調べられた浮浪者たちが、ドラム缶の焚火に当たりながら文句をいう。

「行こう」

 警官たちをやり過ごして、東条がいった。

 そのとき、飛び出したイザベルが浮浪者の荷物に蹴躓けつまずき、激しく音を鳴らした。

 警官が気づき、引き返してくる。

「急げ」

 東条がイザベルの腕をとって走る。

 だが、倉庫の行き止まりに追い詰められる二人。警官たちが集まり、銃を手に二人に迫る。

 東条は拳銃を手にしているが、勝負になりそうにない。万事休すだと思ったそのとき、警官たちに向かって背後から石が投げつけられた。

 振り返る警官たち。すると、周囲を浮浪者たちが取り囲んでいた。その数、数百……。雨のように次から次へ物を投げつけてくる。

 警官たちは拳銃を発砲しようとするが間に合わず、倒れていく。すると、浮浪者がゾンビのように警官に襲い掛かる。

 東条とイザベルはその隙に乗じて、逃げ出した。


 やがて空が白み始めたころ、大きな駅の構えが見えてきた。

 二人は近くの公園で、駅が開くのを待つことにした。

 東条がどこかから朝食を調達してきた。熱々のコーヒーにプレッツェル。

「ありがとう」

 イザベルは初めて、東条の手から食料を受け取り、口にした。

「美味しい」

 それを見下ろしていた東条が、徐に腕をイザベルの前に差し出した。

 イザベルが目線を上げる。

 手には拳銃が握られ、銃口はイザベルの鼻先に突きつけられていた。

「君はやはり連れてはいけない」

 東条のイザベルを見つめ、その表情の中に迷いがあった。

「ここで終わらせるべきだ」

「ためらってはダメよ」

 イザベルがいった。

「君はこの世界にいてはならない」

 イザベルはゆっくりと目を閉じた。

「……君は悪くない」

 東条の顔が苦悶にゆがむ。

「撃ってっ」

 イザベルが叫んだ。

「おれは……この世界に……いては」

 東条の腕が百三十五度に曲がり、自分のこめかみに銃口を向け、引き金を引いた。

 東条が地面に倒れる。

「グああっ」

 イザベルが叫んで目を見開く。息をつき、悔しそうに地面に倒れた東条を見つめた。


 *       *       *


 輸送車が止まり、イザベルが降ろされる。

 布袋を外されると、そこは地下駐車場であった。防護服の男たちはおらず、目の前に三人の黒服が、マスクにサングラスの姿で立っていた。

 中央の男が一歩前に出た。

「君にはこれから飛行機に乗って、日本に行ってもらう」

 とチケットを手渡してくる。

「それが君の最終任務だ」


 赤い絨毯に煌びやかな照明。

 だだっ広い室内に玉座のような椅子があり、そこに座る中年の太った男。周囲には、薄い布を纏った若く美しい女たちが左右に並んで立っている。その前を軍人らしい様相で男が玉座に近づき、ひざまずく。

「報告します。イザベルが日本行きの飛行機に乗ったとの連絡が御座いました」

「ご苦労」

 総統は不敵に微笑んだ。

                                   つづく

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