第19話 村八分





 これは昔の日本のどこかにあった山村のおはなし。

 その頃はまだ電気、ガス、水道等のインフラはなく、水は近くの川から汲んでくるか、井戸から汲みあげるか、雨水。ガス、電気の代わりは、木枝を取ってきては火をつけ、賄った。

 ロウソクや灯油のはすでにあったようだが、山深いこの農村ではそんな贅沢なものは普及していなかった。

 生活はいたってシンプル。

 生きていくために必要なものの調達のために一日が費やされる。

 生活の糧はほとんど農業で賄われ、足りないモノは村全員で補いながら生きていく。村全体が運命共同体だった。

 だから、もし、村の人間から除け者されれば生きていくすべはない。


 彼女の名はタネといった。

 小作人の娘として生まれ、地主の家に使用人として働いていた。とても器量がよく、明るく、よく働く少女であり、誰からも愛されていた。

 当時、地主といえば、村の中で一、二を争う権力者であり、逆らうものは誰もおらず、逆らえば村で生きてはいけなかった。

 すると当然、暴君のように横柄になり、小作人などは奴隷のように扱うようになる。主人のいうことは絶対であり、逆らうことは許されなかった。

 地主は作太郎という三十歳になる男であった。

 当時の三十といえば、今でいうと立派な中年といっていい年齢であり、貫禄もあり、なおかつ若さも併せ持った年齢であった。

 その作太郎がタネに手を付けた。

 当時、十五のタネは当然、作太郎には逆らえず、いわれるがままにされていたが、月日が経つとタネは妊娠し、おなかが大きくなってきた。

 それを作太郎の妻であるサダに見つかった。

 サダは隣村の地主の娘で、気位が高く、傲慢な女であった。

 すぐに実力行使に出て、タネを追い出し、村人に圧力をかけた。決して、タネに関わってはならない、と。

 そうなると、タネは親にも頼ることは出来ない。

 現代人である我々からすれば、他の土地へ移ればいいと思うかもしれない。しかし当時は、村人同士の結束が強い分、よそ者には冷たく、他の村に加わることは許されなかった。

 そもそもそういう発想自体、当時の人の頭の中にはなかった。

 さて、地主の一族に睨まれ、親にも見捨てられたタネが行きつく場所は死しかなく、自死か餓死を選ぶことくらいしか残されていなかった。

 当時の自死の方法にも選択肢が少なく、崖から飛び降りるか、首をくくるか、さもなくば川か池に入水するかくらいしかない。タネは川に飛び込もうとしたが、その夏は干ばつで川の水も干上がっており、死に場所すら失った。

 村のはずれに何年も前に旅の僧が建てたあばら家があった。タネはそこに身を寄せ、暮らすことにした。

 タネはそこで夏が過ぎる頃に、ひとりで子供を産んだ。

 やがて秋が来て、冬の気配が忍び寄ってくる頃、子供はあっけなく死んだ。

 タネはあばら家の軒先に穴を掘って、子供を埋めた。

 今までタネが何とか生き延びてこれたのは、夜忍んで、ひそかに食料を持ってきてくれる両親がいたからであったが、それも冬を迎える頃にぱったりとなくなった。

 タネの日常は山に入り、食べられそうなものを探し歩くことに費やされた。

 ときには村に夜中、侵入しては食物を盗んでくる。しかし、雪がふり、辺りが白銀の世界に包まれるとそれもできなくなった。

 あとは飢えて死を待つだけになった。

 そんなある日、作太郎が小屋に様子を見にやってきて、たくさんの食料と暖をとるための布団を置いていった。

「……」

 作太郎はタネと目を合わせたが、何も言ずに去っていった。

 やがて春がきて、タネは生き延びた。

 日の光りが雪を溶かし、地面が見え始めた。二匹の蝶々が飛び交い、猪の親子がやってきて、あばら家の軒先の土を掘り返し、ミミズや木の根を食べている。

 その様子を死んだように寝転がりみつめていたタネは、このとき復讐を誓った。


 数人の子供たちが神社の境内に集まって遊んでいた。

 男の子は追いかけっこをしていたり、女の子は木陰に座って、数え歌などを歌ったりしていた。そこに突然、奇声を上げて神社の裏手の土手をかけ降りてくる女が現れた。

「ギャ~おぉお~、おばえら~食ってやるう」

 骨と皮だけのやせ細った体にぼろぼろの布を一枚纏っただけの、体中あざだらけで黒ずんだ女は、異常にギラついた目をして、口からしぶきを吐きながら向かってくる。

 西日が逆行となり、映し出された異様な姿は子供たちを恐怖させた。

 逃げまどう子供、その場にうずくまっておしっこを漏らす子供と、その場は一瞬にして錯乱状態に陥った。

 タネの狙いを一人に絞った。地主の息子、正太郎である。

 逃げる五歳の正太郎を捕まえるとやたら滅多と叩き、地面に力任せに投げ飛ばした。正太郎はゴロゴロと転がり、止まると泣き叫んだ。

「なにをしている?」

 たまたま騒ぎに気づいた村人が声を掛けると、タネは木立の中に消えていった。


 この事はたちまち村中に広がり、村人はタネを捕まえようとあばら家に向かった。しかし、すでにタネは山の中に姿を消していた。

 それから、タネは何度も山を降りてきては、子供たちを見つけると襲い掛かっては怪我をさせていった。

 とうとう村人たちは団結して、タネを許しまじと罠を張ることにした。

 村はずれの空き地で子供たちが遊んでいると、いつものようにやってきたタネに対して、村の男たちがあっという間に取り囲んだ。

 手には農機具の武器を持ち、険しい顔でタネを睨む。

「タネ、もうやめるんだ。お願いだ」

 村人の中から訴えかけたのは、父親であった。

「……?」

 タネはすでに言葉もわからなくなったのか、周りをキョロキョロして、追い詰められた猛獣のような動きをする。

「おねげえだ」

 父親はその場に倒れこむように泣き叫んだ。この様子に男たちの志気が緩んだ。

 男たちの中にはタネに同情的な者も多く、タネをどうするかを決めていた訳ではなかった。

「タネ、このまま、山で暮らすというなら……」

 作太郎が言いかけたそのときであった。

 タネに向かって何かが飛んできて、額に当たって、地面に落ちた。

「許しちゃなんねぇ……そいつは鬼女きじょだ。ここで殺さんと何するかわからんぞ」

 それは地主の嫁のサダであった。サダが村の女たちを引き連れてやってきた。

 女たちはみな手に石を持ち、只ならぬ雰囲気で身構えている。女たちの後ろには子供たちが隠れるようについて来ていて、その様子を見守っている。

 このとき、タネの口元がわずかに緩んだことを誰も知らない。

「冬を越して生き延びたしぶとさ、そいつをこのまま放っておいたら、きっと村の災いになるよ。ここで始末をつけた方がいい」

 とサダは再び石を投げた。

「さあっ」

 サダは女たちを促した。それにつられるように女たちは、手にした石をタネに投げつけた。

「死ね」

「鬼女」

 女たちは徐々に憎悪を膨らませていき、タネに向かって浴びせた。子供たちはその光景に泣き叫び、男たちは俯いたまま目を逸らした。

 タネは最初、直立に耐えていたが、段々と体中に血をにじませ、顔の形を変え、丸まるようにしてやがて動かなくなった。

 静寂の中に女たちの吐息だけが響いていた。当然、タネがムクッと起き上がった。

 その場にいた全員が息を飲む。

 タネはニヤリと微笑みいった。

「あんたら……呪いの……言葉を……知っているか?」

 そして、タネの口から、その場にいた誰もが聞いたことのない音が発せられた。戦慄の中、誰も動けないでいると、

「ギャー」

 サダは叫んで走り出し、近くにいた男が持っていた鎌をつかみ取ると、そのままタネの首元に刺し、それを手前に引いた。

 血が地面に飛び散り、タネはその場に倒れ、動かなくなった。


 タネの復讐はこれでお仕舞ではなかった。むしろここからが本当の意味での復讐がはじまった。

 この事件は村人にとどまらず、隣村まで広まっていく。そして時が経つほどに話は歪曲わいきょくして伝わり、村を取り囲む山々に鬼女が住む言われるようになり、怪奇現象もたびたび目撃された。

 この村は呪われた村としれ知られ、他の村との交流が途絶えていく。

 それだけではない。事件を目撃した子供たちは大人になるに従い、変調をきたしていく。

 とくに正太郎は、タネの死を目撃した衝撃からおかしくなり、結婚しても子供を作ることができず、ついに家族全員を殺害して、自害した。

 そして、タネが死んで数十年後、村は滅んで消えた。

                                     🈡

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