第17話 雨の中の探し物
雨が降ってきて、アスファルトの熱を吸い取るときに発する匂いが公園内に包み込んでいく。
犬を連れた老夫婦が、突然の雨に奇声を発しながら駐車場に引き返していき、ウォーキング中の主婦らしき中年女姓も、早足に通り過ぎていく。
その様子を儂は歩道に面した東屋の中で見送り、つづいて公園内を見回した。
公園の柱時計は午後一時五分を指している。
歩道に沿って植えられた紫陽花が雨に打たれ、その先が雨で煙っていた。
――来た。
ぼんやりとした
彼女は毎日公園にやってきては、植え込みの中、池の畔、木立の中を歩き、子連れを見ては近づいていき、散歩中の人に声を掛けてはビラを配る。
「この子を知りませんか?」
ビラには、小さな女の子がぬいぐるみをもってにっこりと微笑んでいる写真と、電話番号が添えられている。
今からちょうど一年前、彼女の二歳になる娘がこの公園から姿を消した。
当時は大騒ぎとなり、何日も警察が公園内を捜索をし、マスコミも大勢押しかけてきた。結局、直径1kmの公園内をくまなく探して、池の中まで
それから一年、公園は以前の静けさを取り戻したが、母親は相変わらず娘を探しに公園へと足を運んでいる。
雨の日も嵐の日も雪の日も、決まって午後一時から三時までの間、娘を探しに公園を二周回って、帰っていく。この一年、彼女は娘を放っておいた母親として、世間から冷たい目に晒され、ずいぶんと非難も浴びてきたようだ。
言葉は交わさないが儂とも顔見知りになり、東屋の前を通り過ぎるとき、必ず会釈をしていく。
やがて雨も上がり、厚い雲間から五光のような陽の光が差し込んできた。
時刻は午後四時少し前。
雨上がりのアスファルトの上を手押し車を押しながら、一人の老婆が歩いて来た。公園の近所に暮らす今年八十一になるおばあさんだ。
「こんにちわ」
老婆は儂の座る東屋に来て、挨拶をした。
「ああ、キヨさんか?」
儂は顔を上げ、老婆を見る。
「暑くなってきたね」
「ああ、そうだね。けど、雨がいいお湿りになった」
「そうだね……」
老婆は腰を下ろし、公園内を見回す。
彼女は足腰が弱ってきているが、記憶はしっかりしているし話もできる。毎日、小一時間ほど話をして帰っていく。それが日課である。
もし、あの母親がもう一時間公園にいて、この老婆に娘のことを聞いたなら、老婆はきっとこう答えるだろう。
それならあの事じゃないか?と……。
一年前、老婆の散歩時刻は午後二時頃であった。
その日、二歳と零歳の娘を連れた母親は、下の娘のおむつを交換するためベンチに座った。
二歳になる娘は、好奇心旺盛な性格から目を放すとすぐにどこかへ行ってしっていた。今日と同じように雨が降りだし、ふと気づいた母親は二歳の娘を探したが、娘の姿がどこにも見当たらなかった。
目を離したのは、わずか一分かそこらの時間であった。
母親が娘がいなくなったことに気づいて慌てふためいているちょうどその頃、手押し車を押した老婆は公園の出口辺りで、泣き叫ぶ小さな女の子を抱いた女とぶつかった。
その女は謝りもせずに、逃げるように公園を出ていく。
老婆は女がぶつかったことにより転倒して、手をうった。
一方、母親は乳児を連れて、二歳の娘を探し回ったが老婆に出会うことなく、娘の行方も分からずに三十分後、警察に通報して捜索が開始される。
その頃には老婆は家に帰り、この騒ぎを知らない。さらにその日の夕方には息子に病院に連れて行ってもらい、手首の骨折が判明して三か月の入院となった。
こうして、老婆は公園で起きた二歳児の失踪事件を知らずにきた。
午後五時過ぎ。
老婆がいなくなって少しした頃、散歩に来る女がいる。
歳の頃は四十代後半くらいか。骨ばった長身をしており、髪を後ろで束ねてトレーニングウエア姿で公園内をウォーキングする。
この女を見たら、老婆はあのときの女だと気づくだろうか?
女は公園から五キロほど離れた借家を独身として借りている。その借家は、一つ区画に四棟平屋が建っており、八畳の1DKに寝室という間取りである。一人暮らし専用というわけではないが、暮らしているのがその女の他は偏屈な老人一人だけで、女は近所づきあいもない。
その女の借家から突然、幼児の泣き声がするようになったのがちょうど一年前。
女は二歳の娘を自分の娘として育てようとしてきたが、一年たった今も上手くいっていないようだ。
さて、そんな女も一年が経過して、ほとぼりが冷めたと判断したのか、この公園に来るようになっていた。
女はもう何年も前からこの公園を利用しており、もし警察がそのことに気づいていたなら、とっくに捜査線上に浮かんできたはずである。
現在、女はウォーキングしながら、子連れに熱い視線を送っている。過去に子供を失うかのつらい喪失を経験したのだろうか?
それとも新たな獲物を探しているとでもいうのだろうか?
「木下さん、帰りましょうね」
午後六時半。
陽が沈み始めたころ、ヘルパーの女が迎えに来た。三十代後半の肉付きのよいワシ好みの女だ。
腰を上げ、杖を突いて一歩前へ出ようとしたとき、よろけるふりをしてヘルパーに抱きついて、顔に唇をこすりつけるように押し当てる。
「ああっ、大丈夫ですか?」
「すまん、すまん。しばらく座っていたもんで、フラついてしもうた」
「しっかりしてくださいね」
ヘルパーの女に体を預けるようにして、体を起こしながら胸をまさぐる。
高い金を払って雇っているんだ。これくらいしてもまあ罰は当たらんだろう。
「ああ、大丈夫、大丈夫」
体制を立て直し、杖を突きながらヘルパーに誘導され車へと向かう。
「ずいぶん長いこと公園にいますけど、いつも何をなさっているですか?」
ヘルパーが訊いた。
「わしは目が見えんが、その分、風や匂いやいろんな音は感じられる。公園の中に流れる匂いや音で、古い記憶を呼び起こし、思い出に浸っているんだよ」
「そうですか。きっとたくさんのいい思い出があるのでしょうね?」
「いい思い出ばかりじゃないよ。ずいぶん悪さもしたし、女も泣かせてきた」
「フフフッ……あ、また雨」
ヘルパーの女は上空を見上げ、手をかざした。
「ちょっと、急ぎましょうね」
「フォフォフォ、構わんよ。濡れていこう」
――人は公園をただ散歩しているんじゃない。何かを探しに来るのだ。ある者は子供だったり、またある者は若かりし日の自分の姿だったり、新しい生きがいだったりと、生きていくための支えを探しにくる。
雨は次第に強くなり、夕刻の公園を濡らしていく。
そこに一人の女がこちらに向かって歩いてきた。傘をさしていて姿はよく見えないが、四十代から五十代くらいか。厚手のジーンズのスカートに長袖のポロシャツに汚れたスニーカー。陰気そうな顔をして、とても公園を散歩しに来るようなタイプには見えない。
はて?どこかで見たような女だ。
女はすれ違い立ち止まると、振り返り、わしの後姿を見つめていた。
🈡
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