第15話 この世界はわずか数%のバカにより苦労させられているという現実。
国道の追い越し車線を走行中、突然、猛スピードの車がバックミラーに写りこんできた。
瞬く間に車間を詰められ、バックミラーいっぱいに威圧的なその姿を映し出す。SUVの青の改造車……走り屋の好みそうな車だ。
車線を変更しようにも隣のレーンは車が詰まっていて、すぐにはできない。
痺れを切らしたように大音量のクラクションが断続的に鳴らされる。
「チッ」
私は思わず舌打ちをする。
仕方ないのでウインカーを左に出し、半ば強引に入れてもらおうとする。その間も、後ろのSUVは容赦なくクラクションを鳴らしつづける。
一台が車間を開けてくれたので、軽のミニバン、シルバー(車体の側面にABC薬品のロゴが貼られている)をそこに入れると、後続車は矢のように走り去っていった。
走り去る間際、ナンバープレートを確認する。
(練馬・せ・308 〇〇―××)
少し行くと赤信号で先ほどのSUVが停車しているのが見えた。
どんなに急いでも、しょせんこんなものだ。
徐行しながら横を通るとき、運転手がどんな男か(呷り運転の95%以上が男だという統計もある)見てやろうと運転席に目をやった。
すると、顔の長い男がこちらを睨みつけていたので目が合う。思えば、この
信号が変わり車が走り出してしばらく行くと、いつの間にヤツが真後ろについていた。
まさか、何年か前に問題になった呷り運転の加害者のような行動を、後ろの運転手はしようとしているというのか?
――どこまでついてくるものか、試しに左折してみた。すると、ヤツは車間をそのままについてくる。
時刻は夕刻に迫ろうとしていて、晩秋の西日に強く照らされたSUVの車体は不気味にくすんだ青色をしていた。
つづいて右折、また右折と元の県道に戻ってくる。
しばらく行くと、道の駅のような場所があったので仕方なくそこに入っていく。
車の少ない建物から離れた場所に駐車すると、ブレーキ音を響かせ横付けして、馬面の男が勢いよく飛び出してきた。
「おい、コラ、出てこい。おお?早く出て来いよ」
フロントから運転席側のドアに回り込み、側面を何度も蹴り上げる。まばらではあるが人もおり、何事かと自分たちに視線を向けてくる。
「フゥ~っ」
大きく息をついて、ドアを開け外に出る。
「い、いま出ますから、ドアを蹴らないで」
「早く出ろってんだ。ナメてんのか、コラッ」
「舐めてませんよ。いったい何ですか、僕が何をしたというのですか?」
「なにをしただと?お前、俺を見て笑っただろう?フザケやがって。オウ、コラッ」
年齢三十代後半から四十代前半くらいか、身長178㎝、体重100㎏は超えている。天然パーマが伸びきったようなボサボサ頭で、黒のスエットの上下にサンダル姿
である。
「笑ってません。けど、そう思われたなら謝ります、すみませんでした」
「それで謝っているのか?エエッ?土下座しろよ、土下座を」
男は私の車のボンネットをバンバンと叩き、威嚇する。
「……」
「んあんだ、その目は?お前やっぱナメてんだろう?」
ジャンパーの襟を掴んで引っ張る。
「……ナメてませんって」
「じゃあ、土下座しろ、土下座して謝れ」
遠くのギャラリーが気になった。
「……わかりました」
私は躊躇なくアスファルトの上に正座して、額をつけた。
「どうもすみませんでした」
「ああっ、気をつけろよ」
男はそういうと私の横腹を思いっきり蹴り上げて、行ってしまった。
厄日という考えは嫌いだ。
その日を悪い日と思うなら、反対に良い日というのも存在しうる。その考えがよくない。運で、左右されるような人生は歩みたくない。私のような職業には特に……。
「お願いです、助けてください」
目の前にいる男は、私にではなく、突きつけられたワルサーPPRのサイレンサーの銃口に向かって懇願した。
「簡単なことだ。銃にするか、薬を飲むか、それとも首を
二人を隔てるテーブルの上には、カプセルの飲み薬とガラスのコップにペットボトルの水、束になった新品のロープとハサミが置かれていた。
「お金ならあります、いくらほしいんですか?」
部屋は黒を基調にしたお洒落なインテリアで統一されており、確かに金は持っていそうだ。
「聴こえてないのか?三択だ」
目の前の男は若く美しい顔を歪めていた。その顔で多くの女を魅了し、手を出してはならない女にまで手を出してしまった。
「……」
男は涙目で体を何度も上下させ、震える手でようやくカプセルを手に取った。
「賢明だ」
私は彼のためにコップの中にペットボトルの水を入れてやった。
男は震える手でコップを掴むと、カプセルを口の中に放り込んで水を口元に持っていく。と見せかせて私に向かって水を浴びせかけ、椅子から飛び上がった。
瞬間、彼の背後の壁に血で描かれた花のようなアートができた。
「……バカが」
抵抗しても何も変わらないのに……変わるとしたら、明日の新聞記事が自殺から他殺になるくらいだ。
やはり今日は厄日かもしれない。
「……」
これからまた長いドライブをしなくてならないと、コーヒーを買いに立ち寄ったドライブインで例のSUVの青の改造車が駐車場に止まっていた。
(練馬・せ・308 〇〇―××)
運転席に男の姿はない。
車をすぐ横につけて男が来るのを待つ。
まもなく男はコンビニの袋をぶら下げて戻ってきた。何の疑いもなくスマートキーで開錠し、自分の車に乗りこんだ。次の瞬間、助手席のドアを開け私は乗り込む。
「な、なあんだてめー?」
殴るなら目を狙った方がいい。瞼の上からでも一撃を与えただけで大の男が怯む。
念のため、もう一撃加える。
「ひ、ひいぃ……ぐあああっ」
男は醜い悲鳴を上げた。
「俺を覚えているか?覚えているよな、昼間っていっても夕方ごろだが、まだ七時間しか経ってないものな」
「す、すみませんでした」
「謝るな、何も変わらん」
「ど、どういうことですか?」
「だせ」
「えっ?」
黒い手袋で刃の小さいナイフを握り、男の目の前に突きつけた。
「車を出せ」
「は、はい」
男はエンジンキーを回して、アクセルを踏み込む。
「いいエンジンの音だな。飛ばしたくなるのがわかるよ」
ドライブインを出て、しばらく車を走らせる。
「……僕をどうするつもりですか?」
左目をつぶった男がこちらを見た。
「この世界ではわずか数%のバカによって多くの人間が苦労させられている。そうは思わないか?」
「……そうですね」
「お前のことだよ」
「……へッ」
笑みを浮かべる男。やはりこの状況が解っていないようだ。
「ハザードを付けて、車を路肩に寄せろ」
車を停めたそこは、両側に畑が延々と続く何もないところだった。
「降りろ」
「……勘弁してくださいよ」
「降りるんだ」
ナイフをちらつかせると男はドアを開け、渋々、車を降りようとした。
「おい」
呼びかけられ、こっちを向いた馬面の耳を挟み込むように両手で強く叩いた。男は悲鳴を上げ、顔の中央に皺を寄せ、身を縮める。男の体を外へ押しやると、へなへなと道路へと落ちていく。
私は運転席に座るとドアを閉め、アクセルを踏んで走り出した。バックミラーに男の姿が映し出される。
男は耳を抑えながら立ち上がる。恐らく今の一撃で脳が揺れ、視界はぐるぐると回り、鼓膜が破れ、耳がキーンとして何も聞こえていないだろう。
男は真夜中に直線の道路の真ん中で、アウトバーンよろしくアクセル全開で走行する車をやり過ごさなくてはならない。
まもなく猛スピードのスポーツカーがやってきて、男を宙に吹き飛ばした。
ドライブインに戻り、SUVを軽のミニバンの横につけ車から降りた瞬間、暗闇からサイレンとパトランプを点灯させたパトカーが二台現れた。
瞬く間に挟まれて、身動きが取れなくなる。
「チッ……」
思わず、舌打ちが出た。
二台のパトカーから四人の警察官が現れて近づいてくる。
「その車、おたくの?」
先頭の警官が品定めするように私を見つめながら、ヤツの車を指さしてた。
「……」
「数日前から何件も危険運転の通報を受けているんだけど、身に覚えないかな?」
「いえ……」
「練馬・せ・308 〇〇―××、間違いありません」
ナンバープレートを覗きこんだ警官が声をあげた。
「なんか、イメージが違うな。免許書見せてもらえませんか?」
私の見た目は四十代、どこにでもいる外回りのセールスマンのような恰好をしている。
「持ってません」
パトカーから無線が聞こえてくる。
「国道〇号線で人身事故が発生、直ちに近くのパトカーは急行してください……」
「身体検査をするから、両手を車のルーフに置いて」
この世界はわずか数%のバカによって苦労させらせるのではない。この世界はわずか数%の自分の中にあるバカによって苦労させられるのだ。
私は近づいてきた警官にむかって肘鉄を食らわせた。
🈡
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