第14話 嘘をつくのにも体力がいる。





 月曜、水曜、金曜は午後二時半に訪問介護のヘルパーが来て、父親の介護をしてくれる。

 父、田川辰雄たがわたつおは、今年六十八になるが、若い時の無理がたたったのか、足腰が弱く、ほとんど寝たきりの生活をしている。

 息子の康太こうたは自宅で建築設計の仕事をしていて、なるべく自分で介護をしようとした。しかし、仕事との両立は難しく、役所に介護保険を申請してホームヘルパーを頼むようにした。

 たとえ一週間に三日、一日二時間でもヘルパーが来てくれるのはずいぶんと助かった。

 ホームヘルパーの仕事は主に食事の用意と入浴、身の回りの世話、月一回の通院を送迎をしてくれる。毎回、訪問介護事業所から介護士の女性が二人来て、父の世話をしてくれる。

「終わりましたので、それでは、帰らせてもらいます」

 仕事部屋に顔を出して挨拶したのは、香田美奈子こうだみなこというヘルパーであった。

「ありがとうございました」

 康太は仕事を中断して椅子から立ち上がり、美奈子に近づく。

 美奈子は、三十代後半の肉付きがよい、男好きする優しい容姿をしていた。

「ご飯を作りすぎたので、よかったらまた食べてください」

「いつもすみません」

 康太が頭を下げると、美奈子は笑顔で返してくる。二人の間に微妙な空気が流れた。

「……それでは、失礼します」

 玄関まで送り、美奈子が帰るのを見送る康太。

「帰ったのか?」

 父の寝室を覗くと、寝ていると思われた辰雄が目を開いた。

「ああ。……なんか、欲しいものある?」

「あの介護士、益々いい体になっている。バツイチだし、たぶん欲求不満だぞ。お前、口説いてみたらどうだ?」

 質問には答えずそういうと、康太をじろりと見つめた。

「バカバカしい。世話になってるんだぞ、よくそんなこと言えるな。あの人に変なこと言ってないよな?」

 康太は呆れかえったように辰雄を見た。

「なにを?バカはお前のほうだ。四十にもなって独身。目の前にやれそうな女がいるのに、手を付けようともしないんだからな。誰に似たのか、おかしなやつだ」

 体がいうことを利かないので、そういうことに関してよけい敏感になっているのか?いいや、辰雄は昔から野暮で粗暴で、いつでも息子を困らせた。しかし、今回は当の康太がその気があるから返答に困った。

 今年三十九になる康太は、彼女もなく、ホームワーカーであるので女性と出会いが少ない。そうでなくとも奥手の康太にとっては、恋愛も結婚も遠い異国の話のようであった。

 そんなある日、いつもは二人のヘルパーが、その日に限って美奈子ひとりであった。

「なにか、手伝うことがあったら言ってください」

 一人だということを知って、康太が申し出た。

「ありがとうございます。でも、大丈夫です。こういうことはよくあるので……」

 美奈子は気丈にいった。すると、それを聞いていた父が、またな一言をいう。

「そう言わんと、手伝わせてもらえませんか。こいつはあんたのそばにいたいんだ、なっ、そうだろ?」

「なにを……」

 康太は年甲斐もなく赤くなった。美奈子も顔を赤くして、黙ったまま甲斐甲斐かいがいしく作業を続ける。

 ――その日の作業を終えて、帰る間際、美奈子はさりげなくいった。

「私も田川さんの家に来るのを楽しみしているんです」

「あ、あの、もしよかったら、いつもご飯を作ってくれるお礼に、どこか夕食でも食べに行きませんか?」

 玄関を出ようとした美奈子に、康太は勇気を出していった。

 美奈子はうなずいて返した。


 はじめてのデートで美奈子のヒストリーを聞いた。

 香田美奈子はバツイチで、現在十三歳、中学一年生の娘がいる。

 隣の県の出身で、数年前まで同県で暮らしていたが、離婚してこちらに引っ越してきたという。

「前の旦那とはうまくいかなくなってしまって……」

 最初のうちはそう言葉を濁していたが、関係が深くなってくるにしたがって、彼女が抱えてきた闇を知ることとなる。

 彼女は七年前まで双子の娘の母親であったが、そのうちの一人が誘拐され殺害された。それが原因で旦那と離婚して、今の住所に越してきたというのだ。

 更に彼女の娘を殺害したのが、十年数年前から周辺の県をまたにかけて五人の少女を誘拐して殺害し、今も捕まっていない犯人であるというのだった。

 その事件のことは康太も当然しっていたが、まさか事件の当事者と知り合い、深い関係になるとは思ってもみなかったので、大いに戸惑った。

 ただでさえ、恋愛経験のない康太にとって、それはとてつもなく大きな問題のようにのしかかり、普段なら恋愛のことなど絶対に相談しない父親に相談を持ち掛けた。

「そうか……そうなのか……」

 辰雄はしきりにうなずき、黙った。そして一言、

「……まあ、過去の話だ」

「ただ、俺に彼女の過去を受け止められるか、自信がなくてな……深く傷つけてしまうんじゃないかって思って」

「……なんとかなるだろ」

「なんだよ、その他人事みたいな言い方」

「……それで、結婚するつもりか?」

「できればしたいと思っている」

「そうか……そうなのか……」

 月日が経ち、康太の杞憂に終わるほど二人の仲は順調に進んでいき、康太は美奈子の娘、純奈じゅんなとも会った。純奈は思春期の難しい時期の女の子にしてはしっかりしており、康太のことも受け入れてくれた。

 娘にOKをもらったことで、二人の関係は結婚に向けて加速していく。

 次は純奈と父、辰雄を会わせることになった。結婚すれば、当然、純奈と辰雄は家族となり、一つ屋根の下に暮らすことになる。

 初対面の夜、美奈子は純奈の好物のから揚げと、辰雄の好物のすき焼きを用意して、四人の食卓を盛り上げた。

 純奈は母親を手伝うため田川家のキッチンに立ち、車いすに乗って現れた辰雄と対面した。

 はじめて純奈を見たときの辰雄の反応はおかしかった。

「あああっ、大きくなって……」

 口から自然と漏れた言葉を康太は痴呆ちほうからきたモノと思った。

「親父、娘さんの純奈ちゃんだよ、誰と間違っているの?」

「おお、そうだ、純奈ちゃん。よく来たね」

 純奈は緊張からか、ひきつった笑みを浮かべ、辰雄を見つめていた。辰雄は満面の笑みを浮かべ、食い入るように純奈を見つめ返す。

「さあ、夕食ができたからご飯にしましょう、純奈、ご飯よそって」

 美奈子の一言で、純奈は辰雄に背をむけた。


 それから三か月後、康太と美奈子は婚姻届けを出し、ささやかな結婚式をした。

 香田家の母子は姓を田川に変え、一緒に暮らすようになった。

 その頃になると、辰雄の痴呆も進んでいき、康太のことも、自分が歩けないのもわからなくなった。ベッドから抜け出しそうとしては転んで、床や壁に頭を打ち付けたり、食べてはいけないモノを食べ、嘔吐したりした。

 そんな辰雄を、純奈は康太や美奈子がいないときに世話をしてくれた。本当によくできた娘だと康太は思っていた。あの事を見るまでは……。

 その日、康太は外での仕事が終わり、急いで自宅に戻ることにした。美奈子は仕事で出ており、学校が休みの純奈がひとりで留守番をしていると知っていたからである。

「ただいま」

 玄関を開けて、中に呼びかけても返事はない。

 すると、奥から笑い声が聞こえてきた。それが純奈のモノだとわかるまで少し時間がかかった。今まで聞いたことがないほどの大声で弾けたような笑い声だったからだ。

 こんな風に笑うんだ、と少々意外であったが、年頃の少女が、他人の大人に見せる顔と本性とにギャップがあるのは仕方がないことだ。

 笑い声は辰雄の寝室から聞こえてきた。テレビでも見ているのか、と近づいていく。

 だが、次の瞬間、そうでないことが分かった。

「ほら、これ見て、怜奈れいなよ。見てみて、かわいいでしょ?」

 つづいて、父親のうなり声がして、直後、てのひらを叩くような音が響いた。

「触んな。触んじゃないよ、クズ野郎。(唾を吐く音)このくそジジイ、欲しい?怜奈を欲しいかって聞いてるの?」

「ほぉ……ほしいぃ」

「やらないよ、バ~カァ。ギャハハハ……」

 ドアが半開きになっていて、少しの隙間から中の様子が見えた。そこには下着一枚の姿で立つ純奈とゾンビのようにベッドで手を伸ばす辰雄の姿があった。

「なにしてる?」

 康太は叫んで、ドアを開けた。

 驚いた純奈は弾かれたように康太を見て固まっていたが、いきなり涙目になり、康太に走り寄ってきて、抱きついてきた。

「おじさん、違うの……」

 あまりのことに康太は動けなくなってしまった。

「な、なんだ?何が違うんだ?」

「おじいちゃんなの、おじいちゃんが私の妹を殺したの……」

「な、何を言っているんだ?」

「本当よ、おじいちゃんが白状したわ。それに、それっ」

 純奈が指さしたベッドの上には小さな金庫が置いてあり、蓋が開いていた。そしてシーツの上にたくさんの少女の写真がバラまかれたように置いてあった。

「おじいちゃんが連続殺人の犯人なの、妹を殺した……わたし見たの、妹が殺された日に、おじいちゃんが家の近所にいたのを……」

「バカな……そんなこと信じると思っているのか?」

「白のカローラ、おじいちゃんが乗っていた車……」

 その瞬間、康太の脳裏に走馬灯のように様々な記憶が甦ってきた。父親に関するおかしなこと、おかしな言動、様々な嘘や事件にはならない数々のトラブル、愛車の白い車……。

「おじさんなら、信じてくれるよね?」

「で、でも、なんで、純奈ちゃんはそんな恰好で……」

 康太は純奈を見おろした。大きな胸の谷間が白いブラジャーに包まれ、張りのある弾力が今も康太の鳩尾みぞおちの辺りに二つ当たっている。

「決まってるじゃない、復讐よ。妹を殺されたんだもの、十分に苦しませてやるの」

 自分を見上げる純奈の瞳に、康太は身の毛のよだつほどの戦慄を覚えていた。

                                     🈡

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