第10話 悪意の伝染 前編




 雪がちらちらと降っている。

 凍てつくような風景の中を、列車が駅に入ってきてブレーキ音を響かせ停車した。

 線路から白い煙を上げ扉が開くと、厚手のコートを纏った乗客たちがホームへ降り立つ。乗務員が大きな荷物を列車から降ろし、運び始める。ホームに降りた乗客と列車に乗り込もうとする乗客が交差して、ホームは人で溢れていた。

 どこか異国情緒のするような駅であった。外国語で駅の案内、列車の乗り換え、出発時刻などがアナウンスされている。

 駅のホームを、乗客を縫うように走る一人の女がいた。

 外気にあっていない寒そうな薄い緑色のハーフコートに、水色のワンピース、スニーカーという、ちぐはぐな格好をしている。

 髪を振り乱し、ステップを踏むたびに白い息が勢いよく口から吐き出される。誰かに追われているのか、時々後ろを振り返る。どこまで走ろうとしているのか、列車の最後尾に近づき、ホームの終点に制服を着た男たちを見つけると、女は方向転換するように車両の中に飛び込んだ。

 左右両側に向かい合った席が並んでいる。乗客は棚の上に荷物を置いたり、列車の時刻表を見たりして、くつろいでいる。

 女は息を整えながら通路を歩き、連結部のドアを開け、最後尾の車両へと向かう。

 連結部を越え、最後尾の扉を開けると、先ほどまでとは打って変わって、車両内の雰囲気が静かになり、乗客の姿はない。

 すると、奥の席にいた男がいきなり立ち上がり、顔を覗かせた。

「女だ。女が入ってきた」

 スキンヘッドの大きな鉤鼻の男がいった。

「フッ、まさか……看守はどうした?」

 と立ち上がたのは、荷物の棚に頭がつくくらいの大男だ。女を見つけて、「本当だ」とつぶやいた。

「……看守もいない」

「チャンスだ、逃げよう」

 鉤鼻の男がいった。

「バカ、見つかったら、有無も言わさず射殺だぞ。大人しくしていろ」

 男の声だけが聞こえた。

「チッ……」

 鉤鼻は忌々しそうに舌打ちをして、女に話しかける。

「お嬢ちゃん、こっちへおいでよ」

 女は一瞬、躊躇したが、男たちの元へ近づいていく。

「おい、ほんとに来たぞ、へへっ、いいぞ、こっちだ」

 鉤鼻は嬉しそうにつぶやき、大男は目を見開いて、女を凝視していた。

 女が男たちの席の前で立ちどまる。

「こ、ここに座って。ここが空いている」

 鉤鼻が対面のシートを指していった。

 その両腕には、黒く大きな鉄の輪が嵌められていて、鎖で大男と繋がっている。そして、鎖を追っていくと、大男と窓際に座る若い男へと続いていた。両者も同じような頑丈な手錠が手首に嵌められている。

「何しに来た?」

 若い男が女を初めて見た。その目は鋭く、坊主が伸びたような髪は金色をしていた。

「……」

「言葉がわからないのかも……」

 大男がいった。

「そんなことはどうでもいい。さあさ、こっちへ来て。えへへへっ」

 鉤鼻はせかすように椅子を勧める。女は言われるままに鉤鼻の対面のシートに座った。

「いやあ、よく来たね。お嬢ちゃん、どっから来たの?」

 嘗め回すように見つめながら、女の隣へ座ろうとした鉤鼻の鎖を、若い男が掴んで引き寄せた。

「あたたたっ、クソッ?んだ?」

 鎖を引っ張っられたせいで、手錠が手首に食い込んで鉤鼻が叫んだ。

「バカはやめろ。看守に見つかったら連帯責任で銃殺されるんだぞ」

「その看守がいないんだ。いいじゃないか、少しくらい」

 鉤鼻は怒鳴り声を上げて、若い男に挑みかからんばかりにいった。

「それがおかしいっていうんだ。何かある」

 若い男は警戒心を持った目で、女を見つめる。

「外で何かあったのか?……看守はどうした?」

 若い男の質問に、女は無表情で見つめているだけだ。

「囚人が珍しいか?」

「別に」

 女が答えた。

「なんだ、喋れるのか」

 大男が目をむいた。

「こんなところにいると、お前さんもとばっちりを食うぞ。さっさと出ていったらどうだ?」

 若い男がいった。

「……追われているの、男たちに。ここの方が安全かも」

 三人は一瞬、黙った。

「誰に追われているんだ?」

 鉤鼻が聞いた。

「ポン引きよ」

「フッ、売春婦か」

 若い男が鼻を鳴らした。

「珍しい?」

「別に。お袋も妹も売春婦さ」

「こんな上玉が売春婦か、さぞお高いんだろうな。……なあ、いいだろう?どうせ生きていても、このさき地獄が待ってんだ。ここで殺されようと、大して変わらないじゃないか。なあ?」

 鉤鼻は若い男に訴える。

「だめだ。お前と道連れなんて御免だ。もし、その女に手を出したら、俺がお前を殺してやる」

「……なあ?」

 鉤鼻は大男に目で合図をする。

「……」

 大男が、若者と女を交互に見て、拳を握りしめたそのときだった。

「私、病気もちよ。人に感染うつるやつ……」

「……止めとく」

 大男は拳をといた。

「チッ……なんだよ、あああっ、ムカつくぜ」

 鉤鼻は不貞腐れるように、頭を背もたれに打ち付けた。

「女、さっさと消えろ。お前は災いのニオイがする」

 若い男が顎で去るように促す。

「待て待て待て、せめてもう少し、いいだろう」

 鉤鼻が頭を上げて、女の前に両手をかざした。

「行けっ」

「……私の生まれた町はとても貧しかった」

 いきなり女が話し始めた。

「聞いてない」

「父親はいなく、母親はアル中の売春婦。私が十歳になると、母は私に客を取らさせた」

「止めろ、そんな話」

「そんな母は私が十四の時に、客に銃で撃たれ殺された。わずかな支払いさえケチった客にね」

 鉤鼻は居心地が悪そうに腰をくねらせている。

「十六のとき、ポン引きが大きな街へ出た方が稼げる言って、生まれ故郷を連れ出された。しかし、現実は甘くなかった。そのポン引きは殺され、搾取するやつが変わっただけ。私は新しいポン引きグループに囲われるようになった」

 欠伸をしている大男。

「そして、十八のときに、客から病気をうつされたことを知った。そして現在、生まれ故郷に戻るために逃げ出してきたの」

「そんな話はどうでもいいんだよ。さっさと立ち去れって言ってんだ」

 若い男が叫んで、前の座席を蹴り上げた。

 そのときだった。

 ズボンに手を入れた鉤鼻の男が、中から小さなお手製のナイフを取り出し、いきなり大男の首に突き刺し、頸動脈を切り裂いた。

「目の前に肉がぶら下がっていて、我慢できるライオンはいないだろう?」

 大男の首から勢いよく血があふれ出て、首を抑えながら暴れる。鉤鼻は大男に体当たりして、若者を下敷きにした。

 若者は大男を退けようとするが、つかさず鉤鼻が、執拗に若者の顔を攻撃する。

 必死に抵抗するが、容赦ない鉤鼻の攻撃に若者は左目を刺され、悲鳴を上げ、左目を手で押さえ、最後は首を何か所か刺され致命傷を負った。

「ケッ、手間かけさせやがって……」

 全身に返り血を浴びた鉤鼻がつぶやき立ち上がった。自身も手を怪我しているようで、ナイフを持ち換えて、右手を振ると血が辺りに飛び散った。

「さて」

 女の方を向くと、血にまみれた女が無表情に鉤鼻を見上げていた。

「まさか、抵抗はしないよな?」

 とナイフの刃先を向けいった。

「……」

「いい子だ。へへへっ」

 鉤鼻はズボンのチャックをおろして、前を開いた。そして、女のスカートをまくり上げ、両ひざに手を掴んで乱暴に開く。

「……」

 女は人形のように受け入れる。

 鼻で息を思いっきり吸い込んで、女の股の間に入り込もうとしたそのとき、銃声がとどろき、鉤鼻の頭がはじけ飛んで、女の膝とシートの間に倒れこんだ。

 通路にスーツを着た男が銃を構え、立っていた。

 女は立ち上がり、鉤鼻を払いのけると車掌室へと逃げ込もうとする。

 サングラスに防護マスクを被っているその男が構えを解くと、数人の防護マスクと防護服を身に纏った者たちが男の脇をすり抜け、女の元へ近づいてくる。

「ヴォォォオ」

 猛獣のような雄叫びをあげ逃げようとするが、捕らえられ、両脇を抑えられると鎮静剤をうたれ大人しくなった。

 防護服の者たちに両腕を抱えられながら、女が列車から降ろされる。

 ホームの脇には、囚人たちの看守三人の遺体が転がっている。

 列車の中から次々と銃声と悲鳴が聞こえてくる。

 駅は完全に防護服の男たちに封鎖、制圧されており、その中を女は改札を抜けて待たせてあった護送車に乱暴に押し込められた。

「イザベルを回収しました。これから、戻ります」

 運転席の男がどこかに無線で連絡を入れ、護送車は走りだす。

                                     続



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