第7話 最悪だったデリヘル嬢の話
数か月ぶりに、ラブホの匂いを嗅ぐと心拍数が一気に上昇する。
60分2万5千円の高級デリヘル嬢アサミを待つ間、浴室にお湯を溜め、ソファーに座り、約束の時が来るのを待つ。
この間の緊張感がたまらない。
アタリかハズレか?
そりゃあ、値段が高いのだからアタリに決まっている。げんに風俗サイトで見たアサミのプロフィールは、
身長163センチ
B88・Fカップ
W56
H86
21歳 現役女子大生
パネル写真の顔は、某アイドルグループにいそうな目が大きく、笑顔が眩しい美人さんでだった。
しかし、この手のサイトの宣材用写真は加工していることが多く、プロフィールもほとんどデタラメで、店長が勝手に書いているという。だが、それを差っ引いてもアサミが所属するミカングループは優良店として知られ、それゆえ、これほど強気な料金設定でなのだ。
通常、この地域のデリヘルの場合、60分1万5千円~2万円が相場となっており、それ以下が格安店、それ以上が高級店となっている。ミカングループなら間違いないのだが、それでも会ってみるまで、その嬢を気に入るかどうかはわからない……。
P.M.10時を回った頃、ドアをノックする音がする。
「はい」
返事をすると、ドアを開け、女が部屋に入ってきた。
仕事用のカバンを腕に下げ、現れたのはパネル写真よりも美人で、若い女性であった。
「初めまして、アサミです」
ちょこんと頭を下げて、ソファーに近づいてくる彼女に俺は言葉を失う。
「……?」
隣に座り、不思議そうに首を傾げるアサミ。
「お時間は何分をご希望ですか?」
「……え?あ、60分」
「かしこまりました。お店に電話しますね」
といって、カバンから派手なスマホを取り出し、確認の電話を入れる。その間も、俺は彼女の顔をじっと見つめていた。
「どうかしました?」
電話を切った後、あまりに見つめられていたので、アサミは聞いた。
「いや、あんまりかわいいもんだから、つい。まさかこんなにかわいいなんて思ってなかったから……」
「そんな……ありがとうございます」
こなれた返しをするアサミを、服の上から嘗め回すように視線を走らせる。
初秋にしては少し暑いのでは、と思われるダボっとしたセーターにロングスカートをはいているのでスタイルはわからないが、思わず抱きしめたくなるほど、線が細い。
長い髪を茶色に染め、薄手の化粧。なにより、いい香りがアサミから発散され、媚薬のように鼻腔を挑発する。微笑みを絶やさず、視線も堂々としており、親しみを感じる。どこをとっても申し分がない。
「いや、ほんとにかわいい。マジでヤバい、我慢できないかも……」
俺はそう言って、アサミに抱きついた。アサミは「あっ……」と弱々しく声を漏らし、俺を受け入れるように、自ら向かってきた。
だが、次の瞬間、
「ヴあぁあっ」
野太い、信じられない声がアサミからして、俺を突き飛ばすようにして離れ、ソファーから立ち上がった。
「ど、どうした?」
「いやあぁ」
とアサミは後ずさりして、テーブルの角に足をぶつけ、床に倒れこんだ。
「な、なんだ?」
「ひひひひひ、人」
アサミは俺の背後に指さして、ホラー映画で、演者がよくやるように顔を背けながらいった。
「ええ?」
俺もドラマのワンシーンのように後ろを振り返る。
誰もいない。
「……誰もいないけど?」
「私……霊感があるの。しまったぁ、気づかなかった。疲れているからかな?」
顔を背け、俯いたままアサミはどこかの方言で、独り言のようにいった。
俺は予期せぬ事態に戸惑い、茫然と立ち尽くした。
「どうするの?」
うずくまるアサミに聞いた。
「いや、もう無理。ここにいられない」
「……チッ」
俺は思わず、舌打ちした。
「ふざけるな、じゃあ、どうすんだよ?そんなんで、通ると思っているのか?」
「別のコにしてもらえませんか?お願いします」
アサミは懇願するようにいった。しかし、俺の中の性欲がアサミをロックオンして放さない。俺はアサミに近づいて、床へ跪く。
「こんな乗り気じゃないコを相手にしても面白くないでしょ?」
俯いていて、頑ななアサミは、俺を見ないで早口でいった。
「……本当にいるのか?」
その問いに、アサミは小刻みに何度もうなずいた。
半信半疑だった俺も、その反応にはさすがに萎えてしまった。
「わかったよ……」
それからアサミが店に電話して、代わりのコをよこすように手配した。
「……三十分後に代わりのコが来るから。延長の部屋代も払うから心配しないで」
部屋のドアの外で、うずくまるようにして電話をしていたアサミがあらぬ方を見ながらいった。
「……」
「私、外で待っているから」
と出口のドアを開けようとした。
「ちょっと待ってくれ」
その背中を呼び止める。
「……お前が見たっていう幽霊ってさ、この部屋にとり憑いているやつか?」
すると背中越しに、アサミは首を振った。
「あなた、人から酷く恨まれているみたい。気を付けた方がいいわよ」
そう言い残すとアサミはドアを開け、すり抜けるように消えてしまった。
「……チッ、最悪だな」
残された俺は、風除室に反響するほどの舌打ちをして、吐き捨てるようにいった。
* * *
急遽、「次のお客さんが入った」と運転手に言われた。
今日も昼からの出勤で、今まで休みなく働いていたので本当はもう帰りたかったが、そうも言ってられない。
東京から地方へ一週間の出稼ぎである。
1日12時間の出勤。お客が支払った料金の60%がバックされ、残りが店の取り分となる。そのほかに契約金や特別ボーナスなどを加味すれば、1週間の滞在で100万の大台を突破することも夢ではない。
まあ、現実は人気嬢でもないかぎり、不可能ではあるが……。
私のような年齢も容姿も中途半端な女には、大台の半分を超えればいいところだ。
それでも今回はこの地方に来て、いつになく調子がいい。今日も退店まであと2時間で、最後のお客がついた。
ホテルは駐車場一体型の田舎のラブホで、駐車場に車を止め、そのまま部屋に入れるタイプだ。部屋の前に送迎車を止めると、女の子が車に近づいてきた。
私が外へ出ると、入れ替わるように車の中に無言で乗り込む。たしか、アサミとかいう人気嬢だ。
なるほど、そういうことか、と私は察した。
運転手は言わなかったが、アサミがNGを出した客らしい。こういうことは稀にだがある。お客が、何らかの理由で女の子を交替してほしいと言ってくるか、さもなくば、女の子側に理由があるかだ。おんな側の理由としては、お客が知り合いだったとか、体調が悪くなったというものだ。
いずれにしても、こういう場合、客の機嫌が悪い可能性が高い。
正直、いい気分ではないが、いつものように感情をOFFして部屋へと向かい、部屋のドアをノックする。
「……」
返事がないので、勝手にドアを開けた。
部屋の雰囲気はどんよりとしており、空気の淀みを感じた。
「お待たせしました」
声のトーンをあげて入っていくと、中に40代くらいの男がソファーにどっかり座って、こちらを伺っていた。
「どうも、ヨーコです」
挨拶するが、上目遣いで見るだけだけだ。
「何分にします?60分でいいですか?」
「ああ……」
私は男の横に座り、全体を見る。坊主に近い短髪は白髪交じり、腕に巻きつくような蛇のタトゥー。Tシャツから張りでた腹が目立つ。
「お店に電話しますね」
店に電話すると電話番が、アサミの経緯を説明してきて、料金の割引とホテルの使用時間の延長料金を支払うように指示された。
「……のようです。すみませんでした」
私は、男に店側から言われたことをそのまま言って詫びた。
「まったく、さっきの女は何なんだ。あんなこと俺は初めてだよ……」
男はぶつぶつと文句をいいながら、私を見つめる。
その目に、私は全身が泡立つように鳥肌が立った。
「でもまあ、言ってても仕方ない。気分を変えよう」
「ええ……そうですね」
「なかなかいいじゃなか。やっぱ、ミカングループは間違いないな」
男はニヤリと微笑み、手を肩に回してきた。奥歯の金歯がきらりと光るのが見えた。
「お風呂入れてありますか?」
私は立ち上がり、お風呂場に向かう。
「入れてあるよ」
男の言葉を無視して、洗面所に向かう。後ろから舌打ちが聞こえてきた。
浴室はお湯がはってあり、雫がぽたりと湯船に落ちた。
(間違いない、奴だ。母を殺したあいつ……)
「おい、何をしている?こっち来いよ」
男の声が室内に響く。
私はバックの奥底に仕舞ってあるナイフを想起した。
「はい、今行きます」
鏡に映る顔を無理やり笑みに変え、私は洗面所から出ていく。
🈡
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