第3話 コロナ禍でも毎夜公園の酒盛りしているホームレスの話




 公園のベンチで、集まる野良猫に餌をやっているホームレスが隣に座るホームレスにいった。

「カバさん、野生の動物の死ぬときって、どこへ行くのかな?」

 二人とも似たような太った体型と、年恰好である。

「さあ?考えたこともないな」

 死んだ魚のような眼をしたカバさんが答える。

「見たことあるか?車に轢かれたのではなく、自然に死んだカラスやハトを?」

「ねえな。……どうなると思う?」

「俺が聞いたんだ」

 猫に餌をやりながら、ホームレスがつぶやいた。


 *     *     *


 都内某所の公園で、夜な夜なホームレスの酒盛りが開かれていた。

 歩道から外れた植え込みとフェンスとの間の死角に、十数人の男たちが集まって焚火をしている。

 行政指導という締め出しで、この公園でもずいぶん多くのホームレスが姿を消した。それでもまた、どこかから集まった者たちが、こうして日々の憂さを晴らす酒盛りをして、数少ない浮世の楽しみに興じていた。

「いああ、マルさんの料理は絶品だね」

 イナさんがそういって、カップ麺の容器に入ったものを割り箸でつまんで口の中に放り込んだ。前歯が上も下もない白髪で長髪の老人で、人懐っこい笑顔が特徴的だ。

「本当にマルさんが来たおかげで、タダで高級料亭の飯を食っているようだな」

 そういって紙コップの中の酒を呷るように飲んだのは、仲間たちの間ではリーダー格のチョウさんと呼ばれている長身の老人だ。

 彼の一言に、ほかの連中も首振り人形のようにうなずいている。

 ホームレスの輪の中心で、置かれた鍋をかき回している丸々と太った男が、最前から話題に上っているマルさんと呼ばれている男である。

 顔中無精ひげで、キャップを目深にかぶっているので年齢は定かではないが、見回す顔の中で一番若いのは間違いない。

 このマルさん、三か月前くらい突然現れ、その料理の腕前と、どこで仕入れてくるのか豊富な食材で、すっかり仲間入りしてしまったのである。

 ちなみに、この公園のホームレスの呼び名はほとんど、その人物の特徴をとって付けている。チョウさんは長身、マルさんは太っていて、イナさんは歯がのないを逆にして呼んでいる。

 世知辛い都会で、流れ流れていた連中にとって、この公園はオアシスのようなものであった。それくらい、ここにいるホームレスは暖かかった。

 さて、そんなささやかな生活を営んでいた公園のホームレスたちにも、コロナ禍という厳しい現実が押し寄せてきた。炊き出しの中止やその他、密になるという理由で、行政の用意した仕事が無くなったりした。

 それだけでなく、そもそも感染対策など無縁である彼らに対する世間の風当たりは、ますます強くなっていった。

 今まで行政に頼らず生きてきた者の中にも、さすがに生活保護を受けたり、シェルターに入ったりする者も現れた。

 それでも公園に残り、浮世の騒ぎもどこ吹く風の連中も少なくない。最前のイナさんやチョウさんもその部類に入る。

「コロナっていうやつのおかげで、ずいぶんと寂しくなっちまったな」

 ベンチに座り、公園を見回して、チョウさんがいった。

「そうだね、公園もずいぶん人を見なくなったな。うるさくなくていいがね」

 イナさんは遠くで野良猫に餌をやっている中年夫婦を見つめながらいった。

「マルさんやカバさん、サルさん、クマさんも見なくなったな」

「サルさんは、こないだ台風で家が飛ばされてからだな。ほかの連中もいつの間にか消えたな」

 台風というのは、先月きた大型の台風で、関東を中心に大きな被害をもたらした。公園でも脆弱な段ボールの家を吹き飛ばし、一時、ホームレスたちも安全な場所に避難するほどであった。

「泣きっ面に蜂だな」

 チョウさんがぽつりとつぶやいた。

 木枯らしが吹きはじめ、公園内の広葉樹の葉も落ち、朝晩の寒さが身に沁み始めたころ、ふとマルさんが姿を現した。

 焚火をしていた一団に、突然入ってきた丸い体にホームレスたちは一瞬驚いたが、すぐにそのシルエットに気づいた。

「マルさん、あんた、どうしてた?」

「ええ、実は故郷に帰ってまして……」

「……そうかい。いやあ、久しぶりだね。さあ、こっちへ来て、一杯やらないか」

 とチョウさんが紙コップを差し出す。

「皆さんにこれを持ってきたんですが、よかったら、どうですか?」

 マルさんはビニール袋の中から、14インチのノートパソコン大のタッパーを取り出していった。

「なんだい、そりゃあ?」

 イナさんが顔を近づける。

です」

 タッパーを開けてマルさんはいった。

「ニコゴリか?しゃれてんなあ」

 イナさんはそう言って、持っていた箸で、躊躇なくタッパーの中の角煮を摘まんで、口に運んだ。

「ん?うめえ、これはなかなか乙な味をしているな」

 イナさんは嬉しそうにコップの中の酒を飲んだ。

「どれ、俺も」

 チョウさんも同じように箸をつける。その様子を鋭いまなざしでマルさんは見つめる。

「うん、うん。間違いない。マルさんが作ったものは間違いないよ」

 チョウさんも満足そうにうなずいた。

「よかったです、さ、他の皆さんもどうぞ」

 マルさんは火の横に置かれたビール瓶のケースを裏返した台の上にタッパーを置くと、他のホームレスたちもこぞって集まってくる。

「あんた、これからどうするつもりなんだ?」

 いい気分で酔っ払ったチョウさんが、マルさんに聞いた。

「ええ。実は、実家での様子が変わってまして……」

 それだけで十分だった。

「そうかい。ま、久しぶりに来たんだ。今夜は飲もうっ」

 マルさんの紙コップに一升瓶を傾けるチョウさん。

「いやあ、またマルさんの料理を食べれなんてねぇ~」

 イナさんが煮こごりを口に運んで、しみじみといった。


 *     *     *


 翌日は快晴で、日向に出ると汗ばむような陽気であった。

 二日酔いのホームレスたちは、ゾンビのような動きで公園を行き来し、木陰に入り、昨晩の余韻に浸っていた。

 そこへ、スーツを着た見るからに体格のいい若い男二人が近づいてきた。

「ちょっといい?」

 手洗い場で、マルさんが置いていったタッパーを洗っていたイナさんに、その内の一人が声をかけた。

 一瞬、身構えるイナさんに、男は胸ポケットから黒色の手帳をちらっと見せたので、余計に身構える。

「聞きたいことがあるんだけど、この人、知らないか?」

 と手帳を見せた刑事がいって、その後ろの刑事がイナさんの顔の前に写真を差し出した。

 老眼の進んだイナさんは、目を細め、見開き、その写真にピントを合わせる。そして、写真の人物を見たとき、目をガっと見開いた。

「知っているんだな?」

 鋭い刑事の問いに、イナさんは曖昧にうなずいた。

「この人がなにか?」

「ほかの連中も、この人のことを知っているのか」

「ええっ……まあ」

「よし、全員をここに集めてくれ」

 刑事は高圧的にいって、イナさんの背中を押した。

 十数分後、東屋に集まったホームレスたちに写真を見せる刑事。その写真とは、粘土でかたどった老人の復元顔であった。

「これは、カバさんじゃねえか?」

 写真を見たチョウさんは、誰ともなしに確認する。特徴的な小さな目と、鼻から下の骨格がカバさんにそっくりであった。

「カバさんが、どうかしたんで?」

「この男は、先月の台風の後、多摩川の堤防から発見された遺体の一人だ」

 ホームレスの身元を、警察がわざわざ調べて回るということは聞いたことがないと、みなが首を傾げる。

「で、旦那。カバさんを何で調べているんですか?」

 代表して、チョウさんが聞いた。

「実はな、先月の台風で、多摩川の水位が上がり、河川敷のホームレス小屋が流され、その中から複数の人骨が発見された。複数というのはな、みな骨だけだから何人いるかわかっていないからだ」

「待ってください、じゃあ、サダさんじゃないわ。だってサダさんが、いなくなったのは台風の前、コロナで世間が騒いでいた夏まえですもの」

「そうだ。だから、あっている」

「ええ?」

「発見された遺体はすべて、自然に骨になったのではなく、何者かが骨にしたのだ。だから、我々が捜査しているんだ」

「……?」

 ホームレスたちは訳が分からず、顔を見合わせている。

「犯人は、おそらく医学の知識があるか、動物の肉の解体の実務に携わったことがあるとみている。何か心当たりはないか?」

 次の瞬間、チョウさんは胸の辺りからこみ上げるものを感じて、慌てて東屋から飛び出し、胃の中のモノを植え込みに吐き出した。

 刑事が思わず顔をしかめる。

 チョウさんは咳き込みながら戻ってきて、いった。

「イナさん……マルさんだ。……マルさんの料理」

 イナさんはしばらく茫然としていたが、マルさんの人の好さそうな顔と彼が作った数々の料理を思い出して、胃の中のモノが暴れだしてきた。

                                     🈡

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