憧れの先輩が幼馴染でいきなり退職する事になった話

月之影心

憧れの先輩が幼馴染でいきなり退職する事になった話

佐古田さこだ君、今週末って空いてますか?」


 終業時間が近付いていた時、同期入社の浅田あさださんが声を掛けてきた。

 突然のお誘いか?と普通の男なら思うだろうけど、僕には心に決めた人が居るのでいくら可愛くても靡く事はないぞ。


「週末?土曜日?」

「はい。土曜日の19時からです。」


 夜からスタートのお誘いとは、浅田さんは俺狙いなのか?

 いやぁ、モテる男はツラいねぇ。

 でも僕には(以下略)なのでここはビシッと断るしかないんだけど、さすがにまだ多くの社員が居るオフィスで人気者の浅田さんをフッてしまうなんて鬼畜にはなれない。

 お誘いが土曜日の晩ならその時ハッキリ言えるからね。


「空いてるよ。何かあるの?」


 浅田さんは手に持った黒いバインダーを僕の机の上に置いた。


川久保かわくぼさん送別会のお知らせ』


 バインダーに挟まれたA4の紙の上にそう書かれていて、開催要項と参加可否をチェックする欄が設けてあった。


「じゃあ佐古田君も参加ですね。ここにハンコ押しておいてください。あと参加費ください。4,000円です。」


 ふぅ……脅かすんじゃないよ。

 また可愛い子を泣かせないといけないと思っちゃったじゃないか。

 僕は財布から五千円札を出して浅田さんに渡し、千円をお釣りで受け取って場所を確認し、何事も無かったような素振りで仕事に戻った。




 川久保美琴みこと

 今回の送別会の主役にして新人時代の僕の教育担当で、現在の直属の上司であり、さらには実家が隣り同士で年が6つ上の僕的には幼馴染であって、そしてさっきから言っている……僕の心に決めた人だ。


 美琴さんは一言で言ってしまうと『美女』。

 仕事では他の男性社員も一目置く程のキャリアウーマンで、創業以来最若年での課長昇進の話も上がる程だ。

 プライベートでは実の姉のように優しくしてくれて、僕も美琴さんも実家を出ているので昔ほどの交流は無いが、休日にはそれこそ仲の良い姉弟のように一緒に遊びに出掛けたりもしている。


 だが、先月に入ってすぐの頃、美琴さんは会社に退職願を出した。

 『突然どうして?』と訊く僕に、美琴さんは『そのうち話すね』と言って未だに聞かせてもらえていない。

 『一つだけ。寿じゃないから。』と言ってくれていたのでそこは一安心といったところ。

 あまりしつこく食い下がるのも悪いと思い、美琴さんが話してくれるまで待つ事にしている。




壮太そうたくん、まだ頑張るの?」

「あ、みk……川久保さん、お疲れ様です。あとちょっとで終われそうです。」

「そう。じゃあ頑張ってね。私ちょっと寄る所あるから帰るね。」

「はい!お疲れ様でした!」


 美琴さんは僕に笑顔を送ってからヒールをカツカツと鳴らしてオフィスを出て行った。


 かっけぇぇぇ!

 やっぱオトナのオンナって感じだなぁ美琴さんは!

 痺れる!

 憧れる!

 益々惚れるっ!

 でも僕の事なんか『近所の弟』くらいにしか思ってないんだろうなぁ。

 いやいや!

 そんな弱気でどうする。

 美琴さんが退職しても幼馴染という関係と僕の想いは途切れる事は無い!

 僕はもっともっと仕事頑張って美琴さんに認めて貰える男になるんだっ!


「おっ、佐古田。随分ヤル気になってるな。こっちの仕事もやってくれるか?」

「いえ!遠慮しときます!」

「そうか。」


 適当に課長の依頼を受け流しつつ、僕はその日の仕事をテキパキと片付けてオフィスを後にした。




 一人暮らしをするマンションに帰宅してポケットからスマホを取り出すと、美琴さんからLINEが入っていた。


 美琴:壮太くんも送別会来てくれるんだね。ありがとう!


 当たり前じゃぁん。


 壮太:勿論!大口の商談があっても美琴さんの送別会は行きますよ!


 美琴:それはダメw


 嗜められてしまった。

 そろそろ辞める理由を聞きたいなぁとは思ったけど、LINEの流れではそっちに話題を振るのも妙な感じがしたので今回も訊かなかった。


 壮太:はい(しょぼーん絵文字)


 美琴:(大笑い絵文字)


 その日は少し遅くまで美琴さんとやり取りをし、気分良く夢の世界に旅立つ事が出来た。




 送別会当日。


「えー、川久保君は我が社にとってうんたらかんたら……」


 皆神妙な顔をして部長の挨拶を聞いているフリをしているが、内心は目の前に出された料理をロックオンした肉食獣になっているに違いない。

 美琴さんは上座に正座して背筋を伸ばし、部長の顔を見ながら時折小さくお辞儀をしていた。


「それでは、川久保さんの今後の活躍を祈念して……乾杯っ!」

「「「乾杯!」」」


 始まると同時に、美琴さんの周りに陣取っていたお偉いさんはあれこれと過去の話を持ち出して『あれは凄かった』とか『あの時は肝を冷やした』とか懐かしんでいて、美琴さんもそれに合わせて頷いたり微笑んだりしていた。


 美琴さんに教育を担当して貰った僕ら若手は、序盤はおっさん連中に積もる話もあるだろうと、目の前の料理を貪るハイエナと化していた。


 おっさん連中が引くと同時に、次は美琴さんと同年代の女性社員が美琴さんを囲み、これまた入社当時の話やら誰それの失敗談などに花を咲かせていた。


 あっという間に砂漠化した皿を見ながら、つくづく美琴さんは色んな人に影響を与え、そして色んな人から愛されていたのだと実感した。


 宴もたけなわ

 中締めまではまだ時間がある頃、ようやく美琴さんの周りは僕を含めて美琴さんに仕事を教えて貰った若手数名に交代していたのだが、先輩社員に捕まった同年代の数名は既に酔い潰されて座敷に転がっていた。


「壮太くんはあんまり飲んでないの?」

「うん。お酒弱いから。」

「そうだったね。」


 あまり飲んでいないと言っても、乾杯の時のビールは空けたし、その後もノリで中ジョッキを2杯ほど空けているので、僕的にはそこそこ飲んでるんだよな。

 まぁ酔ってるって程じゃないけど。


 僕は美琴さんの隣に座って手に持った烏龍茶のグラスをくるくると回していた。


「何で……辞めるんですか?」

「ん?」

「そのうち話すって言ってくれて話してくれてませんよ。」


 やっぱりちょっと酔ってるかも。


「うん……ごめんね。ちゃんと話さないとね。」


 その時、美琴さんの声が少し沈んでいた。


「何かあるんですか?」

「うん。あのね……」












「私、入院するの。」




「え?」




「入院したら戻れるかどうか分からないから……だから辞めるの。」




 美琴さんは何を言っているんだ?

 入院?

 僕は少しだけ酔っていた頭が一気に醒めた。


「も、戻れるか……分からない……って?」

「うん。お医者さんも治るかどうか五分五分だって。」


 醒めた頭をハンマーで殴られたような気がした。

 憧れた人が、想いを寄せる人が、大切な幼馴染が、治るか治らないか分からない病気に罹っているなんて……それを知らずに気持ちを昂らせていただけだったなんて……。


「どうして……」

「ん?」

「どうして言ってくれなかったんですか?」


 美琴さんは少し困ったような顔で僕を見てきた。

 つい僕は美琴さんの目を睨むような目付きになってしまっていた。


「うん……ごめんね。言ったら壮太くん心配しちゃうと思ってね。とか言いながら今言っちゃったら何の意味も無いね。」


 鼻の奥がツンとなってきた。


「そんなの……無いですよ……」

「ごめん……」

「だって、どうするんですか?治らなかったらおじさん美琴の父おばさん美琴の母も二人だけになっちゃうじゃないですか!」


 自分でも何を言っているのか分からなかった。


「一人で入院してこれからどうするんですか?おじさんとおばさんだってずっと着いてるわけにもいかないでしょ!?」


 今更ながらかなり失礼な事を言った気がする。


「治療費の問題だってある!仮退院の時の迎えだっている!着替えの入れ替えもしなきゃいけない!誰が……ずっと出来るって言うんですかっ!?」


 僕は涙と鼻水と涎で顔をぐちゃぐちゃにしながら、次第に大きくなる声を抑えられなくなっていた。

 周りの皆は『何だ何だ?』と興味本位で遠巻きに眺めているだけだった。

 多分僕の顔を見て引いていたのだろう。


「壮太くん……」


 困ったような笑顔の美琴さんは、正座をして膝の上に置いた僕の手の上にそっと手を重ねた。




「そんなこと……そんな……ことが出来るのは……僕だけです!」


「え?」




「一生……美琴さんの面倒……見ますからっ!……僕と一緒になって……治療費も仮退院の迎えも……着替えの入れ替えも気にせず……治療に専念して……そして治ったら家でのんびり……してくださいっ!」




 参加者全員が何も言わなかった。

 誰も動かなかった。

 何種類かのすすり泣く声が聞こえた。


「お願いしますっ!」


 僕は美琴さんに土下座していた。


「壮太……くん……」


 美琴さんは土下座したままの僕の頭に手を乗せた。


「ありがとう……でも……一緒になっても……治らないかもしれないんだよ?……一緒になっても……壮太くんが不幸になっちゃうかもしれないんだよ?」


 美琴さんも泣いていた。


「それでもっ!」


 多分、今日一番酷い顔で美琴さんを見た気がする。


「それが僕の……僕と美琴さんの未来だとしたら……僕は受け入れます……美琴さんの残りの人生……僕にくださいっ!」


 再度床に頭がめり込むくらいの土下座をした。

 静まった宴会場には、服が擦れる音と鼻をすする音、静かな呼吸の音が響いているだけだった。


「壮太くん……」


 美琴さんがゆっくりと口を開いた。


「私で……いいの……?」


 僕は床にめり込んだ頭をがばっと起こし、美琴さんの目を見た。


「勿論です!美琴さんじゃないとダメなんですっ!」


 美琴さんが涙を流しながら笑顔になった。


「うぉぉぉぉ!すげぇぇぇぇ!」

「佐古田すげぇぇぇ!」

「かっこよすぎだろぉぉぉ!」

「俺らなんちゅう場面に遭遇したんだぁぁぁ!」


 同僚から歓声が上がる。

 女性社員は一様に化粧が崩れる程泣いていた。

 美琴さんの同期の人は美琴さんの肩を抱いて一緒に泣いていた。

 僕も、笑顔で泣いた。




「ごめんなさい。」

「ん?どうして謝るの?」

「いや……今日は美琴さんの送別会だったのに……何か全然違う感じにしちゃって……」


 帰り道。

 僕は美琴さんと二人で夜道を歩いた。

 美琴さんは僕の左腕に抱き付くようにしていた。


「ううん。全然いいのよ。寧ろ嬉しかった。」

「え?」

「壮太くんがいつの間にかこんなに大人になってたんだなぁって思ったのと……」

「と?」

「こんなに想ってくれる人が居るなら……何が何でも治さなきゃって思えたから。」


 さっきまで涙で濡れていた美琴さんは、本当に嬉しそうな顔で僕を見ていた。


「うん。絶対治りますよ。」


 僕は立ち止まり、美琴さんの両肩に手を置いて顔を覗き込んだ。


「だから、一緒に頑張りましょう。」

「うんっ。」


 目を閉じる美琴さんに、僕はそっと唇を重ねた。




*****1年後*****




「これでお願いします。」


 僕は市役所に来ていた。


「はい、ではこれでお受けしますね。お幸せに。」


 カウンターの中の職員が笑顔で返してくれた。


「ふぅ……じゃあ帰ろうか……美琴。」


「はい……」


 幸せそうな笑顔が、僕を一層幸せにしてくれていた。

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