第3話

「せ~んぱいっ」


 翌日の放課後、いつもと同じように先輩に声を掛ける。


「よ、よう」


 先輩はどことなくよそよそしくて、目を合わせてくれない。

 アタックできる最後の日だというのに、幸先の悪いスタートだ。


「あれ?先輩どうしました?あっ、もしかしてとうとう私のかわいさに気が付いたんですね?それで目が合わせられないんでしょ」


 何とか雰囲気を変えようと焦り、また先輩をからかってしまう。


「ちげーよ」


 先輩はぶっきらぼうにそう答えると、やはり目は合わせずに言った。


「それで、今日はどこに行く?」


「へ?」


 先輩からデートに誘ってくるなんて。

 この1年間、1回たりともなかったことだ。


「どっか行くんだろ?」


「い、意外ですね。先輩がデートに乗り気だなんて。普段はちょっと面倒くさそうなのに」


「そういう日だってあるんだよ。それでどうする?」


 もちろん、デートプランは用意してある。

 ただ先輩の態度がいつもと違うので、面食らうし不安にもなる。

 ひょっとして、もう付きまとわないでくれとか言われるのではないか。

 そんな恐怖を抱えつつ、私は呼吸を整えて先輩の手を取った。


「水族館に行きましょう。初デートの場所に」


 制服の胸ポケットには、お守り代わりに「けっこんのちかい」が入っている。

 薄っぺらな1枚の紙が、今にも飛び出しそうな心臓を抑え込んでくれる気がした。


 ※ ※ ※ ※


 如月が10年前の女の子だと思うと、なぜか上手に目が合わせられなかった。

 話しかけられ、手を握られる。これまで何百回も繰り返してきた動作のはずなのに、一つ一つが違って見えてしまう。

 楽から強引に胸ポケットへ入れられた「けっこんのちかい」が、心のモヤモヤを増大させる。


 だからこそ、俺は彼女をどう思っているのか、今日のお出かけで確かめたかった。

 水族館に向かうバスの中で、如月の話を聞きながら俺はずっと考える。

 たった今、コイツと過ごしているこの時間に、俺は何を感じているのだろう、と。

 でも答えは出ず、バスは水族館の前に停車した。







「見てください先輩っ!!ラッコですよラッコっ!!」


「ああ、かわいいな」


 のんびりと気持ちよさそうな顔をして水に浮かぶラッコを見て、如月が歓声を上げる。

 お前らはいいよな。悩みがなさそうで。俺もラッコになりたい。


「ラッコと私、どっちがかわいいですか?」


 なあラッコ。俺はこんな質問に答えなきゃいけないんだぜ?


「どっちって……そもそもあれと比べられて嬉しいか?」


「う~ん。確かに嬉しくはないかも……」


「だろ。ラッコにはラッコのかわいさがあるからな」


 正直、目は点だし鼻はデカいし人間で言ったらブサイクの部類に入るだろう。

 でも、ラッコだと思えばかわいい。そういうものだ。


「先輩は、好きな海の生き物とかいるんですか?」


「そうだな。ヒトデとか?」


「うわ」


「何だようわって」


「いかにも陰な感じだなぁと」


「余計なお世話だ」


 俺にも失礼だし、ヒトデにも失礼だろうが。


「先輩、お腹がすきました」


 唐突に如月が言った。


「魚を見て腹が減ったのか」


「違います!シンプルにお腹が空いたんです!」


 ぷくぅと頬を膨らませて不満をあらわにする如月。

 まるでフグのようだ。

 フグって言うとかわいげがないな。リスならかわいげがあったのに。


 そんなどうでもいいことを考えていても、ふとした時に彼女への気持ちを思案してしまう。

 魚の小骨が喉につっかえたようで気持ちが悪い。

 このもやっとした気持ちを晴らすには、何が正解なんだろうか。







 建物の外にクレープの屋台があったので、そこでおやつを食べることにした。

 俺はチョコバナナ、如月はストロベリーバニラを買う。


「先輩の一口ください」


「別にいいけど」


 俺は食べかけのクレープを渡した。

 特に俺が口をつけた場所を避けるでもなく、如月は口いっぱいにクレープをほおばる。


「やっぱ安定して美味しいですね」


「まあ、定番だからな」


 帰ってきたクレープを手にして動きが止まる。

 これは、噂に聞く間接キスというやつではないか?

 これまでにも如月と食べ物をシェアしたことはあるが、その時は間接キスなど意識しなかった。

 コイツへの感情などあれこれ考えていたせいで、些細なことに引っかかってしまう。


「あれ?食べないんですか?」


「あ、いや、食べる」


 俺はクレープにかぶりついた。

 如月が大きな口で食べたせいで、どこにも逃げ場はない。

 くそぅ。謎の緊張で味が分からねえ……。


「もしかして……間接キスとか意識しちゃってます?」


「別に?」


「私のも食べますか?」


 ここで断ったら、まるで本当に意識してるみたいじゃないか。

 いや、多少の意識はしてしまっているんだけど。


「も、もらおうかな」


「顔真っ赤ですよ、先輩」


 如月が差し出してくれたクレープをちょっぴり口にする。

 やっぱり味が分からない。いや、ちょっとだけ甘酸っぱかった。






 

 クレープを食べ終えた俺たちは、イルカのショーを見ることにした。

 飼育員のお姉さんとともに、2匹のイルカが登場する。


「このイルカたちは10年前につがいで当水族館へやってきたんです。今でもずっとラブラブなんですよ~」


 結婚10年目の夫婦、か。

 如月の方に視線を向けると、頬を赤らめながら食い入るようにイルカの夫婦を見つめていた。

 俺は確信する。如月 涼花は「きさらぎ すずか」なのだと。


「わっ!すごいですね先輩!」


 高く飛び上がった2匹のイルカを見て、如月は拍手を送った。

 そして2匹は仲良くそろって水の中へ落ちていく。

 高く高く水しぶきが上がった。


「うわわわ!先輩びちょびちょ!」


「お前もな」


 お互いもろに水しぶきを食らい、制服がびしょびしょになる。

 そしてイルカは再び飛び上がった。

 プールの中に落ちていき、俺たちに大量の水しぶきを浴びせる。

 何度も。何度も。何度も。繰り返し。繰り返し。


「楽しいですね!先輩!」


「楽しいな!」


 自然と声が大きくなった。

 如月はこれ以上ないくらいの笑顔を浮かべている。

 きっと俺も、自分史上トップクラスの笑顔が出来ているはずだ。

 今なら死んだ魚の目にはなっていないだろう。


 俺はコイツといて、如月といて楽しい。

 それ以上でもそれ以下でもない。

 この感情は何だろうとぐちゃぐちゃ考えて、のんきそうなラッコに悪態をつく必要もない。


 胸ポケットの「けっこんのちかい」が濡れないよう、そこだけは右手で押さえる。

 手のひらに心臓の鼓動が伝わってきた。

 ついさっきまでもやついていたのがアホみたいだ。

 俺が如月に伝えるべきこと。その答えはもう出た。

 大事なことの答えって案外ふとした時にあっさり浮かぶのだと俺は学んだ。







 水族館を閉館時間まで目一杯に楽しみ、俺たちはまたこの分かれ道にやってきた。

 いつもなら、如月の方から話を切り出す。

 でも今日は俺から話そうと決めていた。

 けれど、彼女の方も自分から話そうとしていたらしい。

 同時に口を開き、2人の声が重なる。


「先輩、好きで……」

「如月、ごめん」


 如月の言葉が途中で止まり、そしてその目に涙が浮かんだ。

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