第2話

 如月と出会ったのはちょうど一年前だ。

 俺が高2になってすぐ、後輩の女子から声を掛けられた。それが彼女だった。

 如月は下校中の俺を急いで追いかけてきたようで、肩で息をしていた。

 そして彼女は言ったのだ。


「先輩、私と結婚してください」と。


 当然のことながら、俺は断った。

 確かに如月はかわいい。きっと、スクールカーストが存在するなら中の下にいるであろう俺には、おいそれと手を出せない高嶺の花だ。

 しかし、あまりにも唐突が過ぎる。

 だから断った。

 なのに彼女は、断られたことにショックを受け、俺以上にひどく戸惑っているようだった。

 どうしてアイツの方が困惑していたのかまるで分からない。


 何とも変な出会いだ。

 それでも不思議なことに、まあまあ良好(?)な関係のまま一年近くが経っている。


「マジで変な奴だよな……」


 ぼそりと呟いたところで、部屋のドアがノックされた。


「は~い」


「お兄ちゃん、入るよ」


「いいぞ」


 俺には3つ下のらくという妹がいる。

 楽は何やら分厚いものを抱えて俺の部屋に入ってきた。


「お兄ちゃんは今日も後輩さんとデート?」


「まあな」


 俺の隣に腰を下ろした楽は、ニヤニヤ笑いながらどこに行ったのかとか何をしたのかとか聞いてくる。

 適当に受け流していると、ふと思いついたように楽が尋ねてきた。


「そういえば、今日もプロポーズされたの?」


「ああ、一応」


「それで?」


「断った」


「どうして?」


「そりゃもちろん……」


「もちろん?」


 あれ?俺は何でアイツのプロポーズを断り続けてるんだっけ?

 最初は全くその気がなかった。

 だから彼女の告白を受け入れなかった。何も不自然なことはない。

 でも最近は?

 彼女がプロポーズして、それを俺が断って、最終的に俺がからかわれて別れる。

 それがお約束のようになっている。

 だから反射的に断っていたのかもしれない。


「お兄ちゃんはさ、後輩さんのこと嫌いなの?」


「嫌い……ではないよな」


 嫌いだったら、貴重な放課後の時間を捧げて興味のない映画を一緒に見たりしないだろう。

 一緒にいても苦痛じゃない。裏を返すと楽しい。

 俺はひょっとして、いや確かにアイツとの時間を楽しんでいる。

 でも、それが恋愛感情かは分からない。どちらかと言えば違うような気もする。


「ま、馬鹿兄に言ってもしょうがないか」


「誰が馬鹿兄だ」


 楽の顔には「もう本当にコイツはどうしようもねぇな」と書いてある。

 そんな目でお兄ちゃんを見るんじゃありません。


「ていうか、楽は何をしに来たんだ?」


 俺は少し重くなった空気を軽くしようと話題を変えた。


「実はこんなものを見つけてね」


 楽は手に持っていた分厚い何かを開いた。

 アルバムだ。それも結構前のやつ。

 俺が小学校に上がる前か上がりたて、楽がまだ幼稚園児だった頃の写真が収められている。


「部屋の掃除をしてたら出てきたんだよね。懐かしくない?」


「懐かしいな。あ、これ旅行の時のやつだ」


 写真の右下には、10年前の日付が印字されている。

 家族全員で温泉旅行に行った時の写真だ。


「う~ん。私はあんまり覚えてないなぁ」


「まあ、楽は4歳くらいだったからな。覚えてなくても仕方ないよ」


 10年前に戻ったかのような感覚でアルバムをめくっていく。

 すると、はらりと1枚の紙が落ちた。

 それを楽が拾い上げる。

 途端、妹の顔にニヤ~っと笑みが広がった。


「お兄ちゃん、これなんだと思う?」


「分からん」


「えっとね、『けっこんのちかい さくとのぶん』だって」


「結婚の誓い……?あっ!!」


 俺は10年前の出来事を思い出すと同時に、顔が赤くなっていくのを感じた。

 泊まった旅館に俺より少し年下の娘さんがいて、2人で遊んで仲良くなったんだ。

 おままごと的な遊びに付き合わされ、疑似の結婚式をやった。

 その時に書いたのがこの「けっこんのちかい」だ。


「へぇ~。お兄ちゃんが結婚ねぇ」


「子供の遊びで作ったやつだろ。そんなニヤニヤするなよ」


「いやいや、遊びだと思ってても相手は意外と本気だったりするかもよ?」


「本気も何もないわ。ままごとなんだから」


「いやいや、こういうのを大切に持ってて数年後に運命の再会を果たすなんてありふれた話じゃない」


「漫画の中ではな。現実では起こりっこないだろ。俺もそれを書いたこと自体、忘れてたし」


 本当に今の今まで忘れていた。

 楽がこのアルバムを持ってこなかったら、一生思い出せなかっただろう。

 掘り起こさなくていい黒歴史が発掘されたともいえる。


「えっと相手の名前は……う~ん、文字がぐちゃぐちゃで読みづらいな。えっと……き?『き』かなこれ。き……きさ……『きさらぎ すずか』?」


「……え?」


 俺は慌てて「けっこんのちかい」を楽から奪い取った。


「きさらぎ……すずか」



『先輩、私と結婚してください』



 もう何度も聞かされたセリフが、ひどく鮮明に頭の中で再生される。

 もし、彼女がこの誓いを本気にしているのだとしたら。

 もし、彼女がずっと「けっこんのちかい」を大事に持っていたとしたら。

 もし、この「きさらぎ すずか」が如月 涼花なのだとしたら。

 もし、そんなありふれた話が現実に起こりうるのだとしたら。


「如月 涼花……」


 もう一度、確かめるようにその名前を声に出す。

 俺が彼女に対して抱いていた感情は、そして新たに抱き始めた感情は、一体何なのだろうか?


 ※ ※ ※ ※


「ふう。今日もフラれちゃった」


 私――如月 涼花は、1枚の紙を手にため息をついた。

 10年前、実家の旅館に泊まりに来た男の子と遊びで作った「けっこんのちかい」。

 この紙があるから、男の子――夏野先輩に気持ちを伝える時は「結婚してください」と言う。

 向こうはもう、この紙のことを忘れているようだけど。


 先輩の高校を知ったのは、本当に偶然だった。

 イソスタのDMでネッ友と話していたら、たまたま夏野 咲人の名前が出てきたのだ。

 ネッ友に頼み込んで高校を教えてもらい、両親を何とか説得して地元を飛び出した。

 でも先輩に声を掛けた時、もう私のことを覚えていないのだと悟った。

 だから「けっこんのちかい」を話題にできなかった。

 でも先輩を想い続けてきた気持ちは変わらない。

 そこで私は、毎日先輩にプロポーズすると決めた。

 デートに誘って、帰りに「結婚してください」と手を差し出す。

 この「結婚」という単語が先輩の記憶を呼び覚まさないか。そんな淡い期待もあった。


「364戦、364敗か」


 この1年、私は頑張ったと思う。

 先輩が好きで、先輩と話せるのが嬉しくて、先輩と出かけるのが楽しくて。

 素直になれずにからかってしまうこともあった、というよりほとんどがそうだったけど、この恋は本物だ。

 でも、恋が100%叶うとは限らない。

 ましてや、10年前にままごとで結婚を誓った2人が成長して恋に落ちるなんて、奇跡のような話だ。



 ――1年間頑張ってダメだったら先輩のことは諦めよう。



 私はずっと前にそう決めていた。

 明日が運命の1年、365戦目。

 もしフラれたら、いつもと同じように先輩をからかって別れて、部屋に帰ってから大泣きしよう。


「あれ?何で、もう涙が出てきてるんだろ?」


 誰もいない部屋で、私の目から涙がこぼれ落ちた。

 まだフラれてないのに。まだ今は諦めちゃいけないのに。

 どうして泣いてしまうんだろう?



『先輩、私と結婚してください』



 もう何度も口にしたセリフが、ひどく鮮明に頭の中で再生される。

 もし、先輩がこの誓いを思い出してくれたとしたら。

 もし、先輩がまだ「けっこんのちかい」を持っていてくれたとしたら。

 もし、「きさらぎ すずか」が如月 涼花だと気付いてもらえたとしたら。

 もし、そんな奇跡が現実に起こりうるのだとしたら。


「咲人くん……」


 10年前の呼び方で、その名を声に出してみる。

 先輩が私に対して抱いてくれている感情は、一体何なのだろう?

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