第33話 家族

 俺とピノラは、驚きの声を上げながらシュトルさんを見る。



「ああ、俺のやるべき事は全てやった。ここから先は、お前たち自身が頑張るところだ。俺は一足先にヴェセットに戻って、休ませて貰うとしよう」


「そんな、シュトルさん! せっかくヴェセットからこのサンティカまで来て頂いたんです、ピノラの決勝戦を見て行ってください!」


「そうだよ、シュトルさんっ! ピノラ頑張るから、見に来てっ!?」



 詰め寄る俺たちをよそに足元に置いていた背負い鞄を持ち上げると、シュトルさんはそそくさと帰り支度を始めた。



「いや、その……あれだ。決勝戦の観戦権はもうとっくに完売してるだろうし、もし残っていたとしても、お嬢ちゃんの話題もあって高騰してるだろうからな。俺みたいな貧乏人にゃ手が出せない値段になってるだろうよ、ははは」



 確かにシュトルさんの言うように、4日後に行われる決勝戦はすでに満席となったと耳にしている。

 決勝戦は毎年決まって特に人気が高く、闘技会グラディア開催の何週間も前から観戦権が完売してしまうのが常である。

 ましてや今季はピノラの大躍進もあって、キャンセルの出た座席には信じられないほどの値段が付いていると聞いているくらいだ。

 だが、値段が理由ならば俺には打開策がある。

 シュトルさんが用意してくれたこの武具を装備したピノラが、闘技会グラディアの頂点に立つところを見て貰いたい。

 俺は意を決し口を開いた。



「シュトルさん、それなら俺の招待席利用権を使って見に来てください」


「へっ? 招待席に……?」



 俺の突然の提案に、シュトルさんは目を見開いて驚いた。

 狭い部屋の中に、俺の声が響き渡る。

 シュトルさんは持ち上げた荷物を危うく落としそうになっていたが、俺は身を乗り出すようにして続けた。



「はい、シュトルさんもご存知かも知れませんが、闘技会グラディアに出場する訓練士トレーナーには、特別招待席の利用権があります。シュトルさん…………是非その席でピノラの決勝戦を一緒に見てくれませんか!? お願いします!」


「う、ううん、ア……アレン、ちょっと待ってくれ……」



 サンティカの闘技会グラディアでは、出場する獣闘士ビスタ訓練士トレーナーに、任意の人物を招待できる特別席の利用権が与えられている。

 特別席とはその名の通り、会場が満員であっても試合を最前列で見られる特別枠の席だ。

 通常この席は、訓練士トレーナーの身内や配偶者、師弟にあたる人物のほか、資金提供源スポンサーを招待するために用意されているのだが……俺は過去の2年間で一度もこの権利を利用した事がない。

 母親は何年も前に他界しているし、父親は俺が協会認定を受けた年に投獄されたため、身内はいない。

 常に初戦敗退のピノラには資金提供源スポンサーも付かなかったため、第三者を招待する機会もなかった。

 何より、毎回のように初戦で敗退する訓練士トレーナーの招待など、受けたい奴はいないだろう。

 だが、今回は違う。


 この大会でピノラが大躍進を遂げたのは、ピノラ自身の努力も勿論だが、何よりもシュトルさんの助けのおかげだ。

 武具の設計も、目標を定めた訓練も、全てシュトルさんが俺に手を差し伸べてくれたからこそ出来たことだ。

 そんなシュトルさんを、俺は胸を張って特別席へ招待したい。

 常に一回戦負けだったピノラが、今日ついに決勝戦への出場が決まったとあれば、その席は価値あるものになる。

 そこに座るのは、シュトルさんこそ相応ふさわしい。


 だが渾身の提案にも、シュトルさんは表情を曇らせた。



「……アレン、ダメだ。お前がそう言ってくれた気持ちは嬉しいが、その招待は受けられん」



 シュトルさんは、やや顔を伏せながら首を横に振る。

 どうにも、先ほどからの様子を見るとシュトルさんは決勝戦の観戦を渋っているようにも見える。



「ど、どうしてですか!?」


「……本心を言えば、世間に笑い物にされたくないんだよ。20年前、俺は慢心して道を外れた。協会認定の訓練士トレーナーの資格も、とっくの昔に剥奪されてる。そんな俺が闘技会グラディアの会場なんかに居たと知られれば、笑い物になっちまう」


「そんな事は…………」



 視線を上げ、シュトルさんは俺とピノラを交互に見た。



「第1回戦のとき、俺はお嬢ちゃんの試合に全財産を賭けるために闘技場に来てはいたが、その時も周囲の連中にばれないようこっそり来てたんだ。席は取らず、立ち見でな」



 いつもは活力に溢れ、力強い視線を送ってくるはずのシュトルさんの灰色の瞳。

 だが白髪まじりの眉の下にある瞳には、いつものような力強さは無く、どこか儚げにさえ見える。



「…………俺は、当時最強と言われたほどの女兎獣人ラビリアン、ファルルの訓練士トレーナーをしていた事で自惚れていた。増長ぞうちょうしていたんだ。その結果は、見ての通りだよ。酒に溺れ、金を使い果たし……ついにはファルル自身さえも俺の元を去って、残ったものは何も無い。更に俺は世間から批難されたのに、己の過ちを悔いる事さえもしなかったんだ。過ちであったことを解っていたのに、だ」



 過去を吐露し始めたシュトルさんは、力なく肩を落とした。

 悲しげに光る瞳には、いつもの雰囲気とはまるで違う弱々しさが宿っている。



「そんな俺が、アレンの招待席なんかに居てみろ。『落ちぶれた元訓練士トレーナーが、恥ずかしげもなく招待席にいるぞ』なんて言われりゃ、俺が笑い物になるばかりでなく、お前にもお嬢ちゃんにも迷惑がかかっちまう。そんなのはゴメンだ。招待席には、もっと大切な人を呼んでやんな」


「そんな…………」


「あぅぅ、シュトルさんっ……」



 諭すように話し続けるシュトルさんは、そう言って荷物を担ぎ直した。

 口元は笑っているが……彼の、こんな寂しそうな表情は見た事がない。

 その顔を見た俺は、無意識に拳を握りしめた。



「俺に身内はいません。資金提供源スポンサーだって居ない。俺が招待をしたい人は、シュトルさん……あなたしか居ないんです」


「はぁぁ…………あのなアレン、よく聞け」



 この『よく聞け』は、シュトルさんの口癖だろう。

 出会ってから今日まで、幾度となく聞いた気がする。

 一呼吸置いたかと思うと、今までよりも一際鋭い視線で俺の目を見返してきた。



「俺みたいな日陰者には、サンティカの闘技会グラディアは眩しすぎるんだよ。過去の人間は、ヴェセットの森の中でひっそりと酒を啜ってる方が性に合ってる。俺は……お前が思っているような善人じゃない。お嬢ちゃんが試合に勝てるようにトレーニングをしたのは事実だが、それは賭けで大儲けをする為に過ぎなかったんだ。お前たちのおかげで、俺はこのまま老後をのんびり暮らせるだけの金を稼ぐことができた! なあ、解るだろう? 俺は、お前たちを利用していただけの、汚い人間なんだよっ!」



 静まり返る室内。

 大声で叫ぶシュトルさんの表情は、鬼気迫るものがあった。

 奥歯を噛み締め、血走る目を俺に向けている。

 その様子を見てピノラは緊張してしまったように尻尾の毛を逆立てている。

 だが────────



「…………ははは」


「ふぇっ? トレーナー……?」



 俺は、静かに笑い出した。

 部屋に俺の笑い声が響く。

 きょとんとした表情で見上げるピノラに対し、シュトルさんは訝しげな表情を浮かべた。



「……な、何だよ、アレン……」


「すみません。でも、やっぱりシュトルさんは嘘が下手ですね」



 ピノラの頭を撫でてやりながら、俺はシュトルさんに笑い返した。



「な、何が嘘だってんだ?」


「だって……金儲けが目的だって言うなら、どうして第1回戦の賭けで儲けたお金をそのまま持って帰らなかったんですか?」



 俺はテーブルの上に置かれたアダマント製の武具に視線を移す。

 そうだ。

 目の前にあるこのアダマント製の武具は、少なく見積もっても数千万ガルドもの価値がある超高額なものだ。

 本当に金儲けが目的であると言うならば、せっかく賭けで儲けた貨幣ガルドをわざわざこんな高価な武具に費やすような事はせず、そのまま懐に入れてしまえば文字通り一生遊んで暮らせていたはずだ。



「むぐ……そ、それは…………」


「それに、もし武具の発注を急ぐためにヴェセットに帰るような事はせず、サンティカに居れば……第2回戦も第3回戦もピノラの勝利に賭けて、そこで更に勝つことだって出来たはずですよ」



 だが、それもしなかった。

 何故なら第2回戦も、第3回戦の日も、シュトルさんはヴェセットでアダマント武具が完成するのを待ち、俺たちに届けるためにヴェセットに留まってくれたのだから。

 反論の言葉に詰まるシュトルさんに、俺は一歩近付いた。

 


「シュトルさん、あなたは……自分のものにできるはずのお金で、こんな立派な武具を作ってくれたじゃないですか! 今日だって決勝戦に間に合うようにわざわざヴェセットから届けてくれたんです……!! こんなにも俺たちのことを気にかけてくれている人が、『汚い人間』なはず無いじゃないですかっ!!」



 俺はシュトルさんの灰色の瞳を真っ直ぐに見つめながら叫んだ。

 きっと、シュトルさんは恥じているのだろう。

 高みを目指せる場所に辿り着きながら足を止めてしまった、過去の自分を。

 だからこうして、闘技会グラディアの表舞台に戻ることを拒んでいる。

 ヴェセットの皆に世話を焼かれて、再び訓練士トレーナーとして注目されるのを避けているに違いない。

 それでも、俺は叫ぶのを止めない。



「シュトルさん、世間がどう言おうと……俺はあなたの事を、訓練士トレーナーとしての師だと思っています。訓練士トレーナーとして、師であるあなたを特別席に招待して、何がおかしいんですか!? 他人の目なんか関係無い! 笑いたい人間がいるなら、笑わせておけばいい! 俺は『この人が俺の師だ』って、胸を張って言ってやりますよ! それに────────!」



 俺は一瞬だけ俯くと、小さく息を吸い込んだ。


 ずっと言いたかった言葉。

 だが、言って良いのか迷っていた言葉。

 俺は意を決して絞り出す。 



「それに……それ以上に! 俺はあなたのことを、俺たちの一番近くで見守ってくれている『父親』のような存在だと思っています! どうか、決勝戦で戦うピノラを、一緒に見てください!!」



 俺は顔を上げ、心の奥底に秘めていた思いを口に出した。

 そうだ。

 俺は無意識に、父親の存在を求めていた。

 追うべき背中を。

 頼るべき背中を。

 そんな俺に、シュトルさんは全てを授けてくれた。

 道を示し、成果を讃え、そして『お前は間違っていない』と言ってくれたんだ。



「ア、アレン…………お前……」


「お願いしますっ!!」



 言い終えると同時に深く頭を下げた俺を、シュトルさんはしばらく静かに見つめていた。

 すると、俺の横でその様子を見ていたピノラが、俺のすぐ横を通り過ぎて前に出る。

 そのままシュトルさんの眼前まで歩み出ると、にっこりと可愛らしい笑みを浮かべて見せた。



「お、お嬢ちゃん……?」


「あのね、シュトルさんっ! ピノラ、トレーナーの事が大好きなの。だから、初めてシュトルさんの家に行った日、トレーナーと2ヶ月も離れ離れになってトレーニングするぞーって言われた時は、すごくびっくりしたし、すごく悲しかった。でもね……」



 萎れていた白い耳が、ぴんと立つ。

 赤い瞳を大きく開いて、ピノラはシュトルさんを見上げながら続けた。



「でも、シュトルさんがピノラのトレーニングをしてくれてる時、ピノラの事をすっごく大切にしてくれたから、ピノラも頑張ろうって思ったんだっ。色んな本を出してきて夜中に読んでたり、ピノラが食べる専用のメニューを作ってくれたりしていたのを、ピノラ、ずっと見てたよ! そしたらね……なんだかね……ピノラも、シュトルさんって『お父さん』みたいだなーって思ったんだっ!」


「お、お嬢ちゃん…………」



 一歩前に出たピノラは、シュトルさんの荷物を持っていない方の手を取る。

 にっこりと可愛らしい笑顔を向けるその姿は、まるで本当の父と娘のようだ。

 すると、ピノラに持ち上げられた左手首の袖からケルコの実のアミュレットが覗いた。

 赤く美しい光沢を放つそれを見て目を細めるシュトルさんに、ピノラは元気いっぱいに叫ぶ。



「シュトルさんっ! ピノラからもお願いっ! シュトルさんに決勝戦を見に来て欲しいっ! ピノラが頑張るところを見てっ!!」



 無邪気に笑うピノラ。

 その笑顔は、夜の帳が降りようとしている薄暗い部屋の中を明るく照らすかのようだ。

 ピノラの言葉に、シュトルさんは唇を噛んだかと思うとひとつ息を吐いた。

 


「…………ったく、何だよ、本当によぉ」



 くるりと後ろを向き、頭をぼりぼりと掻く。

 その仕草の最中、時折外套コートの袖で顔を拭っているような動作が見えた。

 あれっ?

 シュトルさん、もしかして泣いているのか?

 いつも荒々しい言葉や性格のシュトルさんが泣いているところなんて、初めて見る。

 俺はその顔を覗き込みたい衝動に駆られながらも待っていると、大きな背中から涙声が漏れ出した。



「お、お前らっ……ひとの事を勝手に『父親』だ何だって……そんな小っ恥ずかしい事、言うんじゃねえよっ!」


「シュトルさん…………」



 あからさまな照れ隠しをするシュトルさんを見て、俺とピノラは顔を見合わせて笑みを浮かべた。

 頭を掻くふりをしながら、何度も涙を拭っているのが解る。

 ついには鼻水を啜る音まで聞こえてしまったが、それでも俺たちは気付かないフリをする。

 『父親』なら、家族に涙など見せたくないはずだから。

 深呼吸をして声を整えたシュトルさんは、しばらくして俯き加減のままゆっくりと俺たちへと振り返った。



「あー……アレン、そしてお嬢ちゃん」



 どこか気恥ずかしそうな表情で顔を上げたシュトルさんと目が合う。

 目元は赤く腫れていたが、いつもの酒焼けによるものだと思うことにしよう。

 俺とピノラは、笑顔のままシュトルさんと向き合った。



「お前たちのおかげで、俺は久しぶりに人間らしい事ができた。20年前にファルルに作ってやれなかったアダマントの武具も完成させられた。元訓練士トレーナーとして、やり残していた事もこれで全部無くなった…………と思っていたんだが、どうやらまだひとつ残っていたようだな。ここまで来て、またやり残しがあるのはいけねぇ」


「そ、それじゃ……!」



 シュトルさんの灰色の目が輝く。

 それはいつも見ているとおり力の籠った視線であり、どこか温かみのある眼差しだった。

 


「アレン、お前の言葉に甘えさせて貰いたい。4日後の決勝戦……招待席をひとつ確保しておいてくれ。お前たちの運命を決める戦いを、是非この目で見たい。お前たちがサンティカの闘技会グラディアの頂点へと上り詰めるところを見せてくれ」


「はいっ! 勿論です、シュトルさんっ!!」


「やったーっ! シュトルさん、ありがとうっ!!」



 笑顔で叫ぶ俺と、嬉しさのあまり手を取ってぴょんぴょんと跳ぶピノラに囲まれて、シュトルさんは満面の笑みを浮かべていた。

 必要な家具以外何もない、質素しっそなリビング。

 豪奢な照明もなく、煌びやかな食器棚もない。

 だがそれでも、俺は生まれて初めてこのリビングが最高に明るく、暖かい部屋だと思えた。

 『家族』の揃うこの部屋で、俺は新しい一歩を踏み出すことが出来たのかもしれない。



「へへへ、そうと決まれば、色々と準備しねえとな。せっかく招待席で見られるんだ、床屋に行かなきゃならんし、服も……だが、まずは」



 背負っていた荷物をテーブルの下に押し込むと、シュトルさんはぼそりと呟いた。

 キッチンにある食器棚を見ながら外套コートの内側に手を差し込む。



「急いでヴェセットに帰る用事も無くなったことだ。前祝いとして、こいつで一杯やるか!」


「えっ!?」



 そう言って懐から取り出したのは、ヴェセット産の小さなベルモットの瓶だった。

 嬉しい事があるとお酒が出てくるのは、なんともシュトルさんらしい。

 それに良く見ると、以前シュトルさんの家で飲んだものよりちょっと値の張る銘柄のものになっている。

 深紅の液体がランプの火に照らされて美しく煌めいた。



「……シュトルさん、何だかそれ、高級そうな酒に見えますね」


「おう、高かったからな!」



 武具に大金を費やしたはずのシュトルさんだが……それでもなお、自由になるだけの貨幣ガルドは手元に残っているらしい。

 どうやら『金儲け』ができたのも本当の事だったようだ。

 それを見た俺とピノラは、顔を見合わせて笑ってしまった。


 その日は、夜遅くまで第3回戦突破を祝した『家族団欒』が続いたのだった。

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