第32話 先見の明

「……う、うぅ……! ぐううっ………!」


「おお!? おいおい、アレン!」


「ト、トレーナーっ!? どうしたのっ!? トレーナぁぁぁ!」



 驚きの声を上げるシュトルさんと心配そうに駆け寄るピノラの前で、俺はぼろぼろと涙を流し、武具の入った箱の縁を握りしめた。

 みっともない。

 こんな歳になって、人前で泣くなんて。

 だが、感情とともに洪水のように溢れ出てくる温かな涙は、とても止められそうになかった。



「うっ! ううっ……! うああっ……!!」


「ふぇぇぇっ! トレーナぁぁっ! ど、どうして泣いてるの!? 悲しいのっ!?」



 首筋に抱きついて来たピノラは、泣き続ける俺を見て驚いてしまったようだ。

 慌てふためきながら、涙目になってしまっている。



「う、うっ……ち、違うよピノラっ……! う、嬉しいんだっ!」


「ふぇっ……?」


「お、俺は……ピノラの武具が直せなくて、もうダメだと思ってた……もう決勝戦を諦めるしか、ないと思っていた……! でも……シュトルさんがこんな立派な武具を持ってきてくれて、う、嬉しくて……っ!! う、ううっ!!」



 狭い部屋に、俺の声が響く。

 あまりの感動で、俺は顔を上げられずにいた。

 しばらくして、そんな俺の頭がふわりと包まれる。

 驚いて目を開けると、ピノラが両腕で俺の頭を抱きしめてくれていた。



「……ピ、ピノラっ……」


「えへへへ……良かったね、トレーナーっ。もう泣かないでっ、よーしよし!」



 まるで子供を宥めるかのように、両腕で俺の顔を抱きしめながら頬擦りをしてくるピノラ。

 俺は恥ずかしさもあったが、そのまましばし身を委ねた。

 押し付けられた胸元からは、甘い香りが漂う。

 我ながら情けない姿を晒していると思う。

 だが、こんな風に誰かに身を預けられるのは本当に久しぶりだった。

 普段は甘えん坊なピノラが、こうして俺を慰めてくれるとは。

 ピノラの高い体温に包まれた俺は、しばらくして落ち着きを取り戻しゆっくりと姿勢を正した。



「……ありがとう、ピノラ。格好悪いところを見せちゃったな」


「ううん! いいよ、トレーナーっ! いつもはピノラがトレーナーにいっぱい甘えさせて貰ってるから、トレーナーもたまにはピノラに甘えても良いんだからねっ! えへへへ!」



 満面の笑みを向けてくるピノラの頭を、俺は優しく撫でてやった。

 白い長耳の付け根を撫でると、ピノラは嬉しそうに頭を擦り付けてくる。

 そんな彼女の仕草に微笑みつつ、俺はシュトルさんへと向き直った。



「シュトルさん……武具を用意してくれて、本当に、本当にありがとうございます……っ!」


「へへ……驚かせようとは思っていたが、泣くほど喜んで貰えるとは、大急ぎでヴェセットから運ばせた甲斐があったってもんだ。闘技会グラディアが始まる前、お嬢ちゃんがヴェセットで訓練していた時から既に鉄製の武具がボロボロになっていたのを見て、嫌な予感がしていたんだ。もしかしたら大会中にぶっ壊れちまうんじゃないかと思って急ぎ用意させたが、正解だったぜ」



 そう言いながらシュトルさんはテーブルの片隅に置かれた、壊れた鉄製の武具に視線を移した。

 昨日まで形を保っていたはずの鉄製武具は、改めて見てももはや限界であることは一目瞭然だ。

 シュトルさんがアダマント製の武具を用意してくれたのは、まさに最高のタイミングだったと言えよう。



「ふぇっ!? シュトルさん、ピノラの武具が壊れちゃうかもって、解ってたの!?」


「ああ、毎日手入れをしていれば、なんとなくだが解る。まぁこの武具に関しちゃ俺の独自の設計だから、他ならぬ俺自身にしか解らんだろうがな!」



 得意そうに頷くシュトルさんは、未だに鼻をすする俺に笑みを向けた。

 涙目ながらも笑みを浮かべた俺に、深く頷き返す。

 俺は、心の底から思う。

 シュトルさんは、本当に超一流の訓練士トレーナーだ。

 闘技会グラディアの期間中に武具が破損する時期を予想するなんて、普通では考えられない。

 通常なら訓練士トレーナー獣闘士ビスタの武具が壊れてしまった時の事を想定して、あらかじめ予備の武具を用意しておく事が多いのだが、俺の場合は経済的な理由から諦めていた。

 今回の武具損壊による出場断念を免れたのは、まさしくシュトルさんの観察眼のおかげだ。

 俺自身、『歴代最年少の認定訓練士トレーナー』などと謳われているが、純粋な訓練士トレーナーとしての着眼点や技量はシュトルさんに遠く及ばないだろう。

 まだまだ、沢山の事を学ばせて貰わなければ。

 俺は目元を袖で拭うと、真剣な面持ちで口を開いた。

 


「で、でも……一体どうやってアダマント製の武具なんて用意したんですか? これだけのものを揃えるなんて、とんでもない額のお金がかかったんじゃ…………」



 俺は箱に入った胸甲キュイラスに目を移しながらシュトルさんに問いかけた。

 このアダマント製の武具を見たときから、驚愕と歓喜に満たされながらも、俺は内心疑問に感じていた。

 アダマント製武具の材料となるアダマント鉱石は、神銀ミスリル鉱石と同じような希少金属であり、はるか太古より防具として珍重されてきた歴史を持つ。

 非常に軽量ながら堅牢な防御力を誇る神銀ミスリル製の防具と比べ、極めて比重が高く重い代わりに神銀ミスリルよりも頑強な防具を作る事ができる。

 薄く削ると層のような構造が剥がれ落ちてしまうため、武器のような研磨加工をするには不向きだが、防具に使用することで類稀たぐいまれな守備力を発揮するのだ。

 しかし、その破格の性能をもつ防具を作るためには非常に多くのアダマント鉱石を要し、部分鎧の一部を作るだけでも数百万ガルドもの大金が必要となる。

 このガリオン工房の箱に入っているような、胸甲キュイラス鉄手甲ガントレット鉄靴ソルレットの一式を全て揃えるには、少なく見積もっても数千万もの貨幣ガルドが必要であったに違いない。


 いくら過去に闘技会グラディアの頂点へと上り詰めたことのあるシュトルさんとは言え、今日までの20年間でその殆どを使い果たしたと彼自身言っていたこともあり、到底そんな額の貨幣ガルドを手元に残していたとは思えない。

 一体、そのような大金をどうやって工面したのだろうか。



「へへ……気になるか?」


「ええ、そりゃもう……闘技会グラディアで上位に君臨している訓練士トレーナーであっても、これほどのアダマント武具を用意するなんて普通なら不可能ですよ」


「そうだよなぁ…………ならばアレンよ、アダマントの武具を買う程の大金が必要になっちまったら、お前ならどうする?」


「えっ? 大金を稼ぐ方法、ですか? うーん…………」



 質問を質問で返されるようなかたちになり、俺は首を捻る。

 俺はこの3ヶ月で、貨幣ガルドを稼ぐ事がいかに大変かを身を以って知った。

 父親の私物を売り払い、死に物狂いで働き、さらにキャドリーさんのご厚意にも甘えさせて頂いても、200万ガルドを用意するのが精一杯だったのだ。

 ましてやアダマント製の武具ワンセットが購入できるような額を稼ぐ手段など、到底思い浮かばない。

 あるとすれば、いわゆる『非正規』の仕事や、奴隷商などの違法取引なのだろうが……シュトルさんがそういったものに手をつけるはずもないだろうし、そんなものを俺にこんな笑顔で聞いてくるとは思えない。

 

 残された手段といえば、例えばなにか大きな賭けにでも勝たないと…………



 ん?

 賭け…………?


 まさか────────

 俺は顔を上げ、シュトルさんに向かって叫んだ。



「も、もしかして……!? 第1回戦のピノラの試合に、大金を賭けたんですかっ!?」



 感づいた俺の顔を見て、シュトルさんは声を出して笑い始めた。



「あーっはっはっは! 大正解だ! そうとも! 実はお前に要求した200万ガルドのうち、試作品の武具作成と食費で使った以外の金を、お嬢ちゃんが出場した試合の掛け金に全額突っ込んだんだよ。あの時は誰もお嬢ちゃんが勝つなんて夢にも思っていなかっただろうからな、異常に偏っていた掛け率のお陰で、すげぇ額の貨幣ガルドになって返ってきたってワケよ!!」


「え、ええええええええええっ!? あのお金……そういう目的だったんですかぁ!?」


「あったりめぇだろぉ! 勝つのが解ってる大穴の博打ばくちなんて、打つに決まってらぁ!」



 な、何てこった……。

 確かに、今回の闘技会グラディアの第1回戦第1試合の段階では、ピノラの大躍進など予想されていなかったため、観客のほとんどは対戦相手である蜥蜴獣人リザードマンのルチェット選手に集中していた。

 闘技会グラディアの協会は、この掛け金による利益で大会運営の費用や訓練士トレーナーへの賞金などを賄っているため、勝敗への賭けを積極的に推奨している。

 毎回のようにオッズの偏りが大きいピノラの試合に関しては、過去に協会から苦言を呈された事さえある程だ。


 それにしても……俺がシュトルさんに支払った多額の貨幣ガルドが、この武具を作るためのものだったとは。

 まさかとは思うが、シュトルさんは2ヶ月半前のあの日、俺が相談に訪れた時点でここまで見越して計画していたのだろうか。

 ピノラが勝利を収め、その時の掛け金で更に強力な武具を作るところまで予見していたとすれば……。

 もしそうだとしたら、もはや先見の明どころの話ではない。

 


「それでよ、大金を得た俺はその日のうちにヴェセットに戻って、ガリオン工房のおやじにこのアダマント武具を発注したんだ。最初は工房の連中も冗談だと思ってたようだが、預け金の手形を見せたら大慌てで希少素材の金庫から材料を引っ張り出して来てよぉ……あの慌てっぷり、お前たちにも見せたかったぜ、へへへ」


「そ、そんな事があったんですか……」



 嬉しそうに語るシュトルさんを見て、俺は苦笑しつつ息を吐いた。

 そして恐る恐る手を伸ばし、箱からアダマント製の鉄靴ソルレットを取り出す。

 今まで使っていた鉄製のものとは違う、ずっしりとした重さを感じる。

 シュトルさんも、箱に入っていたもう片方の鉄靴ソルレットを持ち上げた。



「素材をアダマント鉱にしたことで、装甲の厚みは今までの半分以下に抑えることができた。おかげで格段に動きやすくなってるぜ。それでいて強度は、鉄製とは比べ物にならねぇほど硬え。ツルハシでブン殴っても傷ひとつ付かねえぞ。もちろん装甲だけじゃなく、靴底も、衝撃を太腿に伝えるためのパーツもすべてアダマントだ。おかげでこんなに小さくなったのに、重さは5割ほど増加しているが……今のお嬢ちゃんの脚力なら何の問題もなく使いこなせるだろうさ」



 そう言いながら、シュトルさんは手指の関節でノックするように鉄靴ソルレットの装甲を叩く。

 しなやかな見た目とは裏腹に、まるで金属の塊を思わせるかのような低い音が響き渡る。

 この鈍い音こそが、アダマント武具の特徴だ。

 まるで地面に吸い寄せられているかのように錯覚してしまうほどの重みだが、ピノラにとってこの重みこそが攻撃力を高めるために味方となってくれるだろう。


 間違いなく、最高の武具だ。

 俺ひとりの力では、まずこんな物は手に入れる事ができなかっただろう。

 俺は黒光りする武具を見ていると、シュトルさんは唐突に、満足したような声でぼそりと呟いた。



「さて……これで俺の仕事は終わりだ。2人とも、決勝戦頑張れよ。俺はヴェセットから応援してるぜ」


「ふえっ!?」


「ヴェセットから、って……シュトルさん、帰ってしまうんですか!?」

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