第19話 1ヶ月ぶりの再会

 翌日から、俺はサンティカの中央にある獣人診療所で昼夜問わず働くようになった。

 補佐する事になった獣人医の先生は俺と同じくらい若い男性だったが、キャドリーさんから俺の素性に関して他言無用の旨を聞いていたようで、初対面から気さくな対応をしてくれたため、難なく仕事をこなす事ができた。


 日中勤務の日は、外来に訪れる獣人患者の治療の手伝いをする。

 時たま指示される夜間勤務の日は、睡眠中の獣人医に代わって入院中の獣人族の様子を確認したり、急な疾病で訪れた急患の応急処置を行うなど、本職の獣人医さながらの仕事を任される日々を過ごした。

 そこにはもちろん、獣人医以外にも看護に携わる者や、入院中の獣人族の食事を用意する者も居たのだが……俺の仕事に対し好印象を抱いてくれたのか、急な勤務開始にも関わらず皆温かく迎えてくれたのだった。


 マスクで顔を隠して仕事をしいていたため、診療所を訪れる獣人たちに俺の顔がバレる事は無かった。

 心配していた、勤務者からの指摘も……今のところ無い。

 もちろん、ふと素顔を見られてしまった事もあったため数人には素性が知られている可能性はあるのだが、勤務を開始してからしばらく経過した今でも街中で噂になっていないところを見ると、職場の皆は秘密を守ってくれているようだ。


 全く、商業組合の力と言うものは凄まじい。

 まさか不躾極まりない頼み事で、これ程にまで素晴らしい職場を紹介して頂けるとは思っても見なかった。

 気になる事があるとすれば……獣人医の先生が、一体何の獣人族なのかが解らない事だろうか。

 若い男性なのは確かなのだが、オレンジ色の頭髪の合間からは黒くグラデーションのかかった毛に覆われた獣人族の耳が生えている。

 『リンクスティップ』と呼ばれる耳先端の毛があることから猫獣人ワーキャット族かと思っていたのだが……白衣の下にあるはずの尻尾が見えない。

 この国では『獣人族の種族に関しては、本人が名乗るまでは尋ねないのが礼節である』などという習慣があるため、こちらから聞く訳にもいかず。

 しかし種族が解らないからと言って仕事に支障を来す訳でもないので、俺は気にせず自分の業務に専念することにした。



 朝早くに家を出て、休憩もろくに取らずに夜まで連続して勤務。

 場合によってはそのまま朝まで夜間勤務といった激務を続け、1ヶ月が経った頃……家の玄関に、一通の封筒が挟まっていた。


 消印は隣街のヴェセットのもの。

 封蝋の紋章には兎獣人ラビリアンと思われる彫りがあしらわれている。

 差出人は……シュトルさんだ。



『お嬢ちゃんの武具が完成した。お嬢ちゃんもこの1ヶ月間でお前に会えず、寂しい思いをしているようだから今すぐ会いに来い』



 という、余りに急で素っ気ない文だけが記されていたのだが、俺にはこの上なく嬉しいものだった。

 ヴェセットまでは往復で4、5日掛かってしまうが、何とかしてピノラに会いたい俺は診療所の獣人医に休暇を貰えるよう頼み込んだ。

 すると、意外なほどあっさりと許可が下りたのだ。

 診察の合間に尋ねた獣人医の先生は、頭を下げた俺に対し底抜けに明るい笑顔で答えてくれた。



「もちろん、良いですよぉ! 本来なら僕1人でやらなきゃいけなかった仕事を、この1ヶ月間は半分以上を君がやってくれていますからね。おかげで入院患者の治療も余裕が出てきましたし、5日間くらいなら僕1人でも対応できます。気にせず行って来てください!」



 そう言って許可をくれた獣人医の先生の後ろで、他の職員たちも皆一様に頷いてくれていた。

 俺は深々と頭を下げると、その日のうちにヴェセットにあるシュトルさんの家へと向かった。


 乗り合い馬車に飛び乗って、2日。

 はやる気持ちがあったせいか、ヴェセットまでの道のりは一瞬のようにさえ感じた。

 1ヶ月前に訪れた時よりも多くの草木が生い茂った林道を進み、俺はシュトルさんの訓練所を目指す。

 背中の鞄には、サンティカでピノラが好んで食べていた栄養食やおやつがぎっしり詰まっている。

 道端の水車小屋を過ぎたあたりから、俺はいつの間にか小走りになっていた。



「くっ…………はぁっ……はぁっ……!」



 緩やかな上り坂の林道を駆け、息が上がる。

 段々と高くなってきた気温に、背中が汗ばむ。

 それでも俺の足は止まらない。


 ピノラは元気だろうか。

 シュトルさんは本当にピノラをトレーニングしてくれているのだろうか。

 この1ヶ月で、変わってしまった事は無いだろうか……。

 様々な不安が頭をよぎる。


 俺は首を振って、額に浮かんだ汗とともに不安を散らす。

 そうしているうちに、目的地へと到着した。



「つ、着いたっ……! ピノラっ! シュトルさん!!」



 シュトルさんの家は、相変わらず緑に飲み込まれそうな外観をしている。

 壁を這う植物のツルはますます伸びており、屋根の上の枯葉も1ヶ月前のままだ。

 だが、玄関やそこから覗く家の中は、1ヶ月前に初めて訪れた時と比べかなり綺麗になっているのが解る。

 廃墟のようだった古びた家が、どこか生活感があるような……。


 俺は玄関ではなく、その足のまま家の裏手へと回り、訓練所へと入っていった。



 そこに居たのは、シュトルさんだ。



「シュトルさぁんっ!!」



 大きな声で名前を呼ばれ、シュトルさんはやや驚いた様子で俺の方を振り返った。



「…………おお? アレンか? ず、随分早いな。手紙が着いてすぐに出てきたのか?」


「えぇ、そうです。 あ、あの、ピノラはっ……?」



 お互いに挨拶もなく話し始めたあと、俺はすぐさまピノラを探した。

 周囲にピノラがいる気配がない。

 家の中からも物音がしない。

 俺はキョロキョロとあたりを見回す。



「おいおい、気持ちは解るが慌てんなって。もうすぐこっちに戻ってくる……ほれ、あそこだ」


「え…………?」



 シュトルさんが訓練所の奥を指さすと、俺はつられてその方向を凝視する。


 初めは何があるのか解らなかった。

 だがよく見ると、訓練所の奥にあるオール樹の大木の間を何かが飛び跳ねている。

 木から木へ飛ぶように移動するそれを見た俺は、思わず大きな声で叫んでしまった。



「ピノラぁぁぁっ!!」



 森にこだまする俺の声。

 その声が届いたのか、小さく見えていた影の方向から『ふえっ!!?』と声がした。

 懐かしい声。

 いつも聞いていた可愛らしい反応も。

 1ヶ月の間、聞くことができなかった声の主は、しばらくの間その場に止まってしまったが……


 こちらに気付いたのか、驚くほどの速さで駆けだした。

 白い髪に白い長耳、赤く輝く大きな瞳。

 間違いない、ピノラだ。



「トっ……トレーナぁぁぁあああああああああっっ!!」



 大絶叫とともに迫り来るピノラ。

 あぁ、まずい。

 泣いてしまいそうだ。

 1ヶ月ぶりの、感動の再会。

 

 俺は両手を広げた、のだが──────

 ん…………?

 ちょ、ちょっと待て。

 ピノラの速度……だいぶ早くないか?

 このまま受け止めたら……



「げッ!? アレン、気をつけろ!!」


「へっ!?」



 シュトルさんが大声で叫んだ時には、遅かった。



「うああああああっ!! トレーナああああああああああああああああっっ!!」



 赤い瞳から涙を流したピノラの顔を見たのは一瞬だった。

 全速力で突っ込んできたピノラに抱きつかれ、俺は彼女の勢いそのままに後方へと吹っ飛ばされた。



「うわあああああああああああああああああああああああっ!?」



 胸の真ん中でピノラを受け止めた俺は、今しがた入ってきた訓練所の入り口の方向へと飛んでいった。

 上半身に抱きつかれた俺は、受け身もとれないまま地面に背中を打ちつける。

 それでも勢いは止まらず、俺は転がりながら入り口の柵に後頭部を強打した。

 頭の後ろから木製の柵が割れる音が響く。

 あまりの衝撃で背中の鞄が開いてしまい、中に入れてあった食料が撒き散らされた。

  


「が、ふ…………」


「あああああっ!? ご、ごめんねっ!? トレーナー、ごめんねぇぇっ!?」



 ピノラの全速力を乗せたタックルを受けたことで上手く息が吸えなくなってしまった。

 背中も頭も痛い。

 が、それでも俺は腹部に乗るピノラの頭に手を乗せる。



「ふあ…………!?」


「ピ、ピノラっ! 何だ今の速さは!? す、凄いじゃないか!?」



 ピノラの頭を、くしゃくしゃと撫でる。

 涙目のまま謝ろうとしていたピノラは、大きな瞳をさらに大きくして驚いている。



「もの凄い速さだった……1ヶ月であんなに早く走れるようになったのか!? ビックリしたよ!!」


「……う…………」


「え!? あ、あれ? ピノラっ、どうした!? どこか痛めたか!?」



 俺の上に馬乗りになっているピノラの顔が、徐々に歪む。



「ふ、え…………う、うえぇ…………!!」


「ピ、ピノラ……だいじょ──────」



 声を掛けようとした矢先────────

 ピノラは大粒の涙を流し、泣き始めてしまった。



「うええええええええええええっ!! う、うあああああああああああっっ!!」



 オール樹の森に響き渡るほどの大号泣。

 ピノラは俺に跨ったまま、全身を震わせながら泣いていた。

 両手の指で目から溢れ出る涙を拭うピノラだが、次々に流れ出てくる涙は止まる事なく、目を開けられずにいる。



「ふ、ふええええええぇぇぇっ……! ト、トレーナぁぁっ……! あ、会いたかったよう……! ずっと、ずぅっと会いたかったよぅ……! う、うああああああああああっ!!」


「ピノラっ…………!!」


「う、っ……うえぇぇっ……! ふええええええっ!!」



 まるで幼い子供のように泣き叫ぶピノラは、溢れ出る涙で顔中を濡らして行く。

 目元を真っ赤に腫らし、目も開けられないほどに泣き続けている。

 たまらず俺は、両手で彼女の頭と背中に手を回し、力強く抱きしめた。



「ふあっ……………!?」



 抱きしめられたピノラが短く声を上げる。

 倒れこむようなかたちになった彼女の耳もとで、俺は話しかけ続けた。



「ピノラ……寂しい思いをさせて、すまない。俺も……俺もずっと、ピノラに会いたかった……っ……!」


「う……ふ、ぐっ……う、うええぇぇぇ……っ!!」


「ずっと頑張ってたんだな……! ありがとうな……っ!!」



 俺は優しく言葉をかけながらも、ピノラの細い身体を力いっぱい抱きしめる。

 顔にかかる、柔らかな白い頭髪。

 首筋から香る、甘い匂い。

 全てが懐かしい、ピノラのものだ。

 俺の胸に顔をうずめたピノラは、くぐもった嗚咽を漏らしながらも、シャツ越しに顔をぐりぐりと押し付けてきた。

 1ヶ月ぶりの再会だと言うのに、これでは顔が見えない。

 ぎゅっと腕に力をこめると、目の前にあるピノラの真っ白い耳がぴくりと動く。

 そのまま背中を撫でてやると、今度は耳がぺたんと寝てしまった。

 俺はそんな彼女の様子に微笑みながら、抱きしめ続けた。



「ピノラ、シュトルさんのトレーニングは辛く無かったか?」


「……………………ふぐぅ……」



 胸に顔を擦り付けるように、うんうんと頷く。



「サンティカでピノラが食べてたお菓子を買ってきたよ。たくさん買ってきたから、いっぱい食べて……ああ、でも食べ過ぎはダメだからな」


「…………ふぐぅぅ………………」



 言葉にならない返事をしながら、まだ胸元から顔を離さない。

 どうやら、顔を押し付けながら俺の匂いを嗅いでいるようだ。

 涙に濡れたシャツの一部が、彼女の吐息で温かくなっていく。

 時折、鼻を擦り付けるように動くピノラの頭を撫でる。



「ほらピノラ、久しぶりなのに、それじゃ顔が見えないぞ。顔を上げてくれ、な?」


「うぅぅぅ…………」



 促され、ゆっくりと顔を上げるピノラ。

 宝石のような赤い瞳が、真っ直ぐに俺の顔を見つめている。

 潤んだ瞳から今もぽろぽろと涙が溢れ続けており、頬を伝って流れていく。

 涙に濡れた可愛らしい顔を見て微笑んだ俺は、声をかけようとしたが……



「ん………………」



 間近にあったピノラの顔が迫ってきたかと思うと、そのまま唇を塞がれてしまった。

 全力で求めてくるかのような、激しいキス。



「ピノラ、待っ…………」


「ん、む……ふぅ、ん…………ふぁぁ…………」



 ピノラの吐息が顔にかかる。

 目の前では、閉じられたピノラのまつ毛がふるふると震えている。

 俺は彼女の後頭部を優しく撫でてやる。

 くすぐったそうに身をよじるピノラは、しばらく唇を重ねたあと、ゆっくりと顔を離した。


 互いの口元から、つうっと1本の唾液が糸を引く。

 うっとりとした表情をしていたピノラは……



「えへへへ………………」



 小さく微笑むと、再び俺の胸元に顔をうずめてしまった。

 腰に見える小さな白い尻尾は、嬉しそうに左右に揺れている。



「まったく……いきなりでびっくりしたよ」


「ふすー」



 押し付けられた顔とシャツの隙間から返事のようなものが聞こえる。

 俺はおかしくなってしまって、ピノラの後頭部をぽんぽんと撫でてやった。

 深緑の森の中、久しぶりに抱きしめたピノラが愛おしくてたまらない。

 ついつい俺の顔もにやけてしまう、のだが…………




「……あー、う、うぉっほん。アレンよ、その、何だ…………も、もう良いか…………?」


「……………………あ゛」




 再会と同時に始まってしまった熱烈な接吻を間近で見ていたシュトルさんが、気まずそうに声をかけてきた。

 今の今までをすべて見られていたのだと今更ながら思い出し、俺は思わず赤面してしまった。



「あ、その……何と言いますか、これはいつもの感じでして……」


「い、いつもそんなチュッチュしてんのかお前ら。いやもう……それ以上見せられると、おっさんとしては切なくなっちまうからその辺にしておいてくれよ…………」


「ふすー」



 全く離れようとしないピノラは、またもやシャツの中で返事らしきものをしていた。

 

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