#7 ドクター・レオン

 西側から魔力反応がある。お母様から教わった魔力探知が活きた。


 私は逃げる市民の流れに逆行して走っていた。


 今ここには学生と一般人の店舗スタッフしか居ない。

 普段ならプロの魔法少女が応援に駆け付けるまで待っただろう。

 だけど私は、それらが来ないのだと知っていた。


 真っ先に学園本部に連絡を取ろうとしたが繋がらなかった。

 仕方なく防衛省魔法少女統制局に緊急通信を繋ごうとしたがそれさえも不通。

 何者かによる電波ジャミングを受けているのかもしれない。


 魔法と科学を手中に収めていたのは人類だけでは無かったという事だ。


 だからこそ、どこか平和ボケしていた自分に鞭を打って走り出した。


 六階フロア西側、そこら中の店舗から炎が上がり壁や天井が崩れている。


 炎の中で、二足歩行の巨大なカメレオンが破壊活動を行っていた。


「止めなさい!」


 私の声に反応し、カメレオンは動きを止めた。

 頭部からやや浮き出た目がこちらをぎょろりと見る。


 き、気持ち悪い……っ!


 だが私は魔法少女ベリーレッドの娘。

 ヴィラン一人を相手に恐れている場合ではない。


「ヴィランがどうしてここに居るの!?」

「お嬢ちゃんこそ何で逃げないのよォ?」

「魔法少女だからよ」

「んあ? でも学生だろォ? ガキの相手をしてる場合じゃねえんだわ。つーかよォ、オレは学園に着陸したつもりだったんだがよォ。ちぃっと失敗したみたいでな。とりあえず近くの人間が多そうなココに入ってみたってワケ。んまァ、おかげさんでちまちま学生と一般人から魔力は吸い取れたけどよォ! ホラホラ逃げなきゃお嬢ちゃん、有り余る魔力を吸い取っちゃうぜェ~? ギャハハハハッ!」


 私を舐めているのね、良いわ。一瞬で消し炭にしてくれる!


 ポケットから汎用まじかるパクトを取り出し、正面部のボタンを押す。


「まじかるチェンジ! メイクアップ!」

『まじかるオープン!』


 電子音声と共に勢い良くまじかるパクトが開き、溢れ出る赤いベールが私を包む。

 宝石、両頬、両瞼、鼻頭、唇。

 お決まりの手順で各部位を指で振れると、瞬く間に変身が完了する。


「春うららかにスウィートガール、ベリーミルク!」


 魔法少女コスチュームに身を包むと勇気が湧いてくる。

 それもまじかるパクトの機能なのか、それとも私の思い込みなのかは分からないけど。


 どちらでも良い。

 さっきまで震えていた脚も、今は力強く床を踏みしめられている。


 悪くない偶然ね。


 学生時代、しかも一年生の頃からヴィラン事件を解決。

 そんな経歴があればプロ入りしてからも先輩方に舐められずに済むわ。


「ガキのくせに一丁前に名前付けてんのかよォ。ママに名付けてもらったのかァ? ん?」

「その通り。私のお母様は元ナンバーワン魔法少女ベリーレッド、私がその後継者よ」

「ベリーレッド? ああ、あの負け犬かァ」


 思わず眉間に皺が寄る。


「……何ですって?」

「知らんのけ? オレ、あのまじかる☆シトラスやルミナスと戦って生き延びたヴィランなんだぜェ? そのまじかる☆シトラスにさえ劣る負け犬の、そのまた娘だァ? ギャッハッハッハッハッハ! 笑わせんなガキィ!」


 聞いたことがある。

 強くはないけど、数多の魔法少女が取り逃し続けた古参ヴィラン。

 あらゆる生物の形態を模写できる能力を持つと聞いたことがある。


 こいつがその「ドクター・レオン」だったのね。


「それはありがたいわ」

「あァん?」

「アンタを殺せば、私は史上最強の魔法少女もお母様も、現ナンバーワン魔法少女までまとめて超えられるってことよね」

「オレを殺すっつったのかァ?」

「そうだけど?」


 いい加減我慢の限界、一瞬で片を付けてやるわ。


 グッと右脚に力を、そして魔力を込める。


「ナイスジョーク。お嬢ちゃん、ゲイニンでも目指した方が良いぜェ」

「隠れて逃げるしか芸の無いトカゲさんに言われたくは無いわね」


 床を蹴り、一瞬で距離を詰める。


 同時に、ドクター・レオンは脚部をネコ科の肉食獣のような毛むくじゃらに変化させ、突進してくる。


「沈めやガキィ!!!」

「ジャムにしてやる!!!」



       ☆☆☆



 逃げる学生や一般職員を東側の非常階段へ誘導していると、西側から玉突き事故でも起きたのかってくらいの衝突音が鳴り響いた。


 戦ってるんだな、苺坂さん。


 ごめん、でも僕が行ったって足手まといにしかならないから。


 少しの間耐えてくれ、きっとプロの魔法少女が助けに来る。

 何せここは魔法少女を育成する為に建設された楽天島だ。

 都内や千葉県で活動している魔法少女がすぐに駆け付けるに決まっている。


 大丈夫だ、僕が出しゃばる必要なんて無い。


 それに避難誘導だって立派な救助活動だ。


「助けてください!」

「店員さんが一人瓦礫に巻き込まれて逃げ遅れてるって!」

「お店にも火が上がってて、このままじゃ……」

「どうしよう、どうしよう柚希君!」


 瞬間、頭が真っ白になる。


「クソッ!」


 何を考えていたかは分からない。

 だけど僕はいつの間にか駆け出していた。


 何でだよ、走るなよ、僕なんかが助けられる訳無いだろ。


 もうそこは戦場だぞ、ヴィランが居るんだぞ。

 助けるどころか僕も殺されるかもしれないんだぞ。


 先日、苺坂さんに瞬殺されたばかりなんだぞ。


 魔法少女として十分に戦える実力も経験も知識も、勇気だって無いはずだろ。


 それでも僕は駆ける、全速力で。


 黒煙が漂ってきている、炎の熱で肺が焼けそうだ。

 時折、崩れた壁や天井から瓦礫が落下してくる。


 危険だ、戻った方が良い。

 死ぬぞ、僕。


 そもそも、だ。

 ヴィランの居る場所、逃げ遅れた人が居る場所、そこに辿り着く前に死んでしまうかもしれない。


 それでも駆ける。

 回る脚は止まらない。

 戻ろう、戻った方が良い。

 止まれよ、振り返れよ、逃げ出せよ。


 ヴィランが現れたと聞くや否や走り出した苺坂さんはバカだ。


 だけど、今更走り出した僕はもっとバカだ。


 もう店員さんは助からないかもしれない。

 案外早々にヴィランを倒してしまった苺坂さんが救出しているかもしれない。

 そうだよ、苺坂さんはあんなに強いんだから。

 決闘で僕をワンパン、実技の授業では魔力コントロールも飛行もエネルギー放出も、何をやってもトップの成績。

 彼女ならヴィランを倒して逃げ遅れた人を救出できる。

 逆に彼女がヴィランに勝てなければ僕が勝てるはずも無い。


 僕は全くもって意味の無い行動を取っているのかもしれない。


 それでも僕は駆けた。


 その意義さえ分からないままに。


「助けに来ました!」


 まるに泣きついていた人はここの服屋のマークが入ったネームプレートを首から提げていた。

 きっとこの中だ。だけど──


「完全に塞がってる……」


 半分だけ残った看板のおかげで店舗は分かったけど、入り口は完全に瓦礫で塞がっていた。

 看板が完全に崩れ落ちていたらここだと分からなかっただろう。

 不幸中の幸いだ。


「クッソ、重たい……ッ!」


 山になっている瓦礫を退かそうにも重すぎて動かせない。

 せめてもう一人居れば……


 いや、ダメだ。

 まるは呼べない。

 ここは危険だ。

 いつヴィランがやって来るか分からない。

 それにこれ程大規模な災害では避難誘導も絶対に必要だ。


 仕方ない。


「まじかるチェンジ! メイクアップ!」


 僕は汎用まじかるパクトで変身した。


 魔法少女の基礎運動能力は生身のおよそ三百倍に相当する。

 いくら魔力のコントロールが苦手とはいえ、変身さえしてしまえば瓦礫を動かすことなど容易だ。


「魔法少女ですか!?」


 瓦礫を全て退かすと、内側に若い女性が居た。


「まだ学生ですがそうです! 動けますか? 辺りに火が回っているので急いで避難しなくちゃいけません!」

「脚が挟まってて……」


 中の女性は瓦礫に脚が挟まって動けない。だから逃げ遅れたのか。


「分かりました、僕が運びます。もう少しだけ待っていてください」


 彼女の脚を挟んでいる瓦礫を持ち上げようとした時、真後ろから衝突音が鳴り、台風のような風速で砂が飛んで来た。


「ぐっ……」

「いち、ベリーミルク!?」


 その衝撃の元にはボロボロのベリーミルクが居た。


「乱道、君……? アンタどうしてここに!?」

「逃げ遅れた人がこの中に!」

「諦めて逃げなさい! そこにヴィランが──」

「ありゃ? なんだァ? 新しい餌か?」


 僕の真後ろにそれは居た。


「逃げて!」

「キャンキャンうるせェなッ!」


 巨大なトカゲ男はゴリラのように変化させた右腕でベリーミルクを殴り飛ばした。


 壁に打ち付けられ気を失ったベリーミルクは変身が解けてしまった。


「ヴィ、ヴィラン……っ!」

「あれあれあれあれェ? もう一匹人間居んじゃん。ラッキー、一般人でも女の魔力は最高にうめぇんだよなァ! ギャハハハハハッ!」


 ヴィランから逃げようにもそれでは店員さんがこのまま殺されてしまう。

 それどころかこのままでは苺坂さんも殺されてしまうかもしれない。


「どけや、ガキ」

「い、嫌だ……っ!」

「あァん?」


 正直に言うよ。

 怖い。足が震えて立ち上がれない。

 店員さんと苺坂さんの心配をしていたけど、それ以前にこのままでは僕が殺されてしまう。

 むしろ真っ先に殺されるのは僕だ。


 何せあの苺坂さんがあのザマだ。

 学生で、しかも成績最下位の僕じゃ到底敵いっこない。


 それでも僕はその場を動かず、見知らぬ女性を守ろうとしている。


「何でこうも人間ってのは愚かかねェ……」


 同感だ。

 僕は愚かだ。

 ヒーローになれる気がした。


 でも、これが現実だ。


 それでも僕は戦わなくちゃいけないんだ。


 エレベーターホールを走り出したその瞬間は、誰かを助けたかったのかもしれない。

 母さんのようにはなりたくなかったのかもしれない。


 でも今は違う。

 そう断じることができてしまう。


 死にたくない。


 じゃあ何故ここに来た? 知るか、気付いたら走ってた。

 どうやって生き延びる? こいつに勝つか、逃げ切るかだ。

 勝てるのか? 無理だ。

 逃げるのか? そうだ、正直に言って逃げ出したい。

 逃げ切れるのか? 逃げ切れる気がする、魔法少女の脚力なら。

 苺坂さんと一般人を見捨てるのか? どの道死ぬだろ、僕が殺された後に。


 じゃあ逃げれば良いさ、そのまま一生罪悪感を抱えて生きていきたいのなら。


 ああ、そうだよ。

 それが僕の末路だ。

 力の無い僕が調子に乗って走り出した、それに対する一生モノの罰だ。


「まあ、愚かと言えば魔法少女ルミナスだな。ナンバーワンだ何だと担ぎ上げられちゃいるが、アイツがどこぞのバカガキと電話してたせいでこの島の場所をオレ達に知られちまったんだからよォ! サンキュールミナス! アンタのおかげで人間が死にまくるぜェ!」


 ルミナスが電話していて、楽天島の場所がバレた?


 待ってよ、嘘でしょ。


 僕じゃん、僕のせいじゃん。

 僕のせいで人が沢山死んだんじゃないか。

 僕のせいで苺坂さんもあんなにボロボロになったんじゃないか。


 このトカゲ男だけじゃないかもしれない。

 既に他のヴィラン達にも情報が共有されていれば更に多くのヴィランがここを攻めてくるかもしれない。

 そうなれば楽天島はお終いだ。

 日本の魔法少女の半数を輩出する楽天学園が壊滅すれば、魔法少女の未来は終わる。

 そして連鎖するように日本はヴィランにられてしまう。


 全部、僕のせいで。


「お、お前……」

「んだァ? 殺される覚悟ができたってかァ? 魔法少女は魔力が多くて濃いんだよなァ…… ギャハ、よく見りゃお前、可愛い顔してんじゃねえかァ」


 トカゲ男は僕の首を掴み持ち上げる。

 そして長い舌で僕の首筋を舐めた。

 ざらざらした舌が肌を擦れて痛い。

 気色悪い、臭い、そして僕自身の不甲斐無さに吐き気がする。


「触るな……っ!」

「強気だなァ。でもお御足みあしの震えが止まってねえぜェ……?」


 トカゲ男は、ズボンの裾から長い舌を潜り込ませ、僕のふとももを舐める。


「良いのか? 僕は、あの史上最強の魔法少女まじかる☆シトラスの後継者だぞ」


 きっとそれが、僕にとっての最大限の強がりだった。


「あのお嬢ちゃんみたいなこと言うなァ。何なんだ、魔法少女はママの自慢をしなきゃならねェ決まりでもあんのかよ。お前にも説明してやるけどなァ、オレはまじかる☆シトラスと戦って逃げきれてんだよォ」


 僕は投げ飛ばされ壁に打ち付けられた。

 頭がガンガンする、視界が揺れてる。


「ぜ~んぜんこわくありませ~ん。ギャッハッハッハッハッハ!」


 下品な笑い声だ。


 だけどその事実は僕の心を折るには十分過ぎる程に残虐だった。


 だからむしろ、だからこそ、僕は諦めのような自棄の境地に至れた。


 感謝するぞ、トカゲ男。


「ああもうどうでも良い! 分かった分かったよ分かりました!」


 僕はミニポーチからまじかるパクトを取り出し、自ら変身を解いた。


「ありゃ、降参? つーかお前男だったのかよ、気色わりィ……」

「お前みたいな肌が鱗だらけの気色悪い奴に言われたくないよ」

「で、何だァ? 殺しちゃって良いって? そういうことォ?」


 まあ、そう思うよね。

 僕がそっちの立場なら同じ台詞を吐いてる気がするよ。


 でも違うんだよな、これが。


「これでダメだったらどうぞ、僕もあっちの魔法少女も殺して良いよ。どの道僕以外に誰も来やしないんだから」


 おかしいと思ってたんだ、まだプロの魔法少女が一人も来ないなんて。


 都内からここまで空を飛んで大体三十分くらい。

 事件が発生してから一時間は経とうとしている。

 それでも誰一人として救援が来ないのは、きっと来られない何らかの事情があるんだ。


 だから僕が、苺坂さんと瓦礫の中の店員さんにとって、そして楽天島にとって最後の砦だ。


 ごめんみんな、僕なんかに命預ける羽目になっちゃって。

 でも運が悪かったと思ってよ。


「なんだっけなァ、人間が言ってたやつ。『窮鼠猫を噛む』だっけかァ? 見せてくれよ最期の足掻きをよォ?」

「すぐ終わっちゃうかもしれないけどその時はごめんね」


 僕はポケットからまじかるパクトを取り出し正面に突き出す。


「結局もう一回変身すんのかよォ! 二度手間だろバカがァ! ガキの変身じゃァ相手にならねえっつーのが分かんねえのかァ?」


 ただしそれは、母さんのまじかるパクトだ。


「さっきとは一味違う」

「何がァ?」

「出力が」


 まじかるパクト正面部のボタンに触れると指先がじんわりと温かくなる。


 母さん、借りるよ。



「まじかるチェンジ! メイクアップ!」

『まじかるオープン! レッツゴーシトラス!』


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