#5 青春、あるいは温暖化の功罪

 標さんと話してから、僕の意識は少しだけ変わった。


 ちょっとだけ頑張ろうと思えた。


 それでも僕の付け焼刃の意識改革でどうにかなる環境では無いのも事実だ。


 魔法少女実技の授業で学年最低成績を獲得してしまった僕は、放課後に補習を受ける羽目になった。


「疲れたぁ……」

「お疲れ、大海原さん。はい、スポーツドリンク」

「ありがとう! ……ぷはぁ」


 学年で下から二番目だった大海原さんも同じく補習を受けた。


「なんで放課後は学食出してくれないんだよ~!」


 大海原さんは余程お腹が空いたらしい。


 魔法少女実技の補習はかなりハードな訓練だった。


 僕と大海原さんは共に、基礎体力や筋力は並み以上どころか、体力テストの結果だけならワンツーフィニッシュだった。

 そんな僕達でも、魔力を使うのは案外身体に堪える。

 にゃんぷる先生曰く、慣れたらそうでもないらしいがどうも信じられない。

 どこの筋肉を使っているかはよく分からないのに、全身に負担が掛かっているような感覚。

 それもそのはずで、体内に流れる魔力を活性化させてそれを体外に放出したり、筋肉に流して機能を増強している為、簡単に言えば使ったことのない筋肉を動かそうとするような難しさがあるのだ。


 だからいくら中学までサッカーをしていた運動神経の良い僕でも、中等部で三年間それを続けていたエスカレーター組には敵わないのだ。


「乱道君、授業の時何秒飛べた?」

「一秒。魔力を筋力に変換するのが意味分かんなかったし、放出も意味不明。だからジャンプしただけ、みたいな。大海原さんは?」

「一.三秒。僕もジャンプしただけ」


 大海原さんはいたずらっぽく舌を出して笑う。


 ジャンプしただけ同士なのに元サッカー部の僕が負けるとは。


「もしかして大海原さん、学生時代何かやってた?」

「バレー部だったよ。こう見えて、中三では都代表!」


 ドヤ顔で胸を張る。豊かな胸が強調される。


「ちなみに僕は中二でサッカーで都代表」

「うっわヤな奴だ乱道君!」

「調子に乗るのが悪い」

「ふん、だ」


 大海原さんはムスっとしてペットボトルのスポーツドリンクを飲む。

 ふと、ぐびぐび鳴る喉元を見ると汗が滴っていた。

 首筋を渡り鎖骨を超え、深い胸の谷間に吸い込まれていった。


「なんで乱道君って魔法少女科に来たの?」

「流れに、身を任せたから?」


 僕の人生、滴る汗と同じように深い谷底に落ちていかないことを祈る。


「って、乱道君また胸見てない!?」

「断じて違う。僕はただ滴る汗の行く末を憂いていただけだよ。決して深い谷間に興味をそそられた訳では無いからな!?」

「うわ突然キレたこわっ! というか深くないよっ! しかも汗っ!? 余計に変態っぽいんだけど!」


 ハイペースでツッコむのは結構だが、ならタンクトップじゃなくて指定の体操服か制服を着てほしい。

 あーほら、またそうやって隠そうとして抱きしめるから強調されて……


「僕が魔法少女科に来たのは、父さんの為なんだ」


 これ以上弄るのも可哀そうなので話題を変えた。というか本筋に戻した。


「えっ、お父さんの?」


 僕は母さんが死んでからの父さんとの生活を簡潔に語った。

 決して同情なんてされないよう、できるだけ明るく、わざとらしく冗談も交えながら。


「そう、なんだ……」


 僕の努力も虚しく、大海原さんは見てて引くほど同情してくれた。


「そ、そんなに? もう涙なのか汗なのか分からないくらいぐちゃぐちゃになってるよ?」


 傍から見れば僕が女の子を泣かせているみたいじゃないか。

 そう思われるのだけはまずいと思い、ポケットからハンカチを取り出し差し出した。


「えへへっ、ありがと!」


 大海原さんはまだ潤んでいる目でくしゃっと笑う。


「ボクもね、乱道君と同じなんだ。あっ、同じって言うと失礼かな。似てるんだ、ちょっとだけ」

「似てる?」

「そう、簡単に言えば家族の為に魔法少女科に来たんだ。半年前、お母さんとお父さんがね、ヴィランに殺されたの」

「……っ」


 笑顔で語るには、重いだろ。


「でも小学生の弟と幼稚園生の妹が居るから、養わなきゃいけなくて。だからバレーも辞めた。本当は強豪から推薦の話とかも来てたんだけどねっ! 楽天学園なら学費もかなり安いし、お父さんの残した貯金で足りたからさ、そういう事ならおじいちゃんとおばあちゃんが弟と妹の面倒見てくれるって言うから。夏から半年間、頑張って勉強して、なんとか合格。ボク、バレーしかしてなかったから勉強もあんまりでさ、大変だったよ。でもやっぱり、夢より家族の方が大事なんだよね。意外と頑張れた」


 似てない、大海原さんの方が立派だよ。


「辛い、よね。諦めるのって」


 どんな言葉を掛ければ傷付けずに済むか分からなかったが、何も言わないのもそれはそれで傷付けてしまう気がした。


「うん、すっごく……」


 気持ちも、力もこもった呟きだった。


「でも仕方無いんだ。だからボクは魔法少女になって家族を養う! そう思えばあんな辛い補習でも耐えられそう!」


 大海原さんは強い人だ。


 僕は父さんの為だと言いつつも、母さんのせいにして、棺理事長のせいにして。


 結局は仕方なく折れたかのように承諾したのに。


 そこに精神的優位など取れちゃいないのに。


 大海原さんは、史上最強の魔法少女の子供よりもずっと強い人だ。


「でもボク、乱道君が居てくれて良かったって思うな」


 それでいて、優しい。


「ボクだけが落ちこぼれだと思ってたから。ボクより下が居た」


 こともないな、うん。


「よし今から決闘をしよう」

「成績が上のボクが勝っちゃうと思うな~?」

「そうだね、じゃあハンデを付けてよ、大海原さんは変身ナシだ」

「ボク死ぬよね!?」

「僕は大海原さんの言葉に心を殺された」

「乱道君だってさっきイジワル言ったじゃん! 都代表デビューマウント!」

「それが実力だ!」

「じゃあ実技の成績も実力だもん!」

「んだとぉ!?」

「なんだよぉ!」


 思わずテーブルから身体を乗り出してしまった。しかし大海原さんも同じだった。


 くそぅ! そうするとどうしても胸の谷間を見ちゃうじゃないか! 見えるから!


「……えっち」

「んなっ! ち、違う! 顔が近くて恥ずかしくて目を逸らした先にたまたま大きな胸があっただけで!」

「だからおっきくないよっ!」


 だからそうやって胸を強調するな(何度もありがとう)


「はぁ、なんかどっと疲れた……」

「ボクも……」


 二人揃って脱力しテーブルに突っ伏した。


 テーブル、冷たいなぁ。


「乱道君ってさ」

「うん」

「胸、好きでしょ」

「……好きじゃない」

「良いよ、隠さなくても。よく見てるし」


 おっぱいが好きじゃない男子高校生なんて居ないだろ。


「小学生の頃から同級生の子より大きくてさ」

「待って、おっぱいエピソード始まる?」

「だめ?」


 良いけど、ありがたいけど、気まずいだろ。ありがたいけど。


「どうぞ」

「ありがと。男子からはえっちな目で見られるし、女子からは羨ましがられるし、バレーっていっぱいジャンプするから痛いし。嫌なんだよね、これ」

「そっか」

「それに魔法少女の素質もあるから、バレーで魔法使ってるんじゃないかー、とかイカサマ疑われて」

「おっぱいは?」

「聞け」

「はい」

「生まれつき持ってるモノってギフトとか呼ばれたりもするけど、そんなこと無いなって思って。贈り物ってより貧乏くじだなって」


 分かる気がする。


 幼稚園の頃、あのまじかる☆シトラスの子供だからってヒーローごっこでは魔法少女役なんてやらされるし。


 小学生の頃、まじかる☆シトラスが死んでそんな事無くなるかと思いきや、この小柄でフェミニンな見た目のせいで男子にイジメられるし。


 中学生の頃、小柄って理由で僕よりも下手なでかい奴がレギュラー入りするし。まあ実力で奪い取ったけど。


「でも乱道君ってもっと大変な状況で、自分のせいじゃないのに。お母さんは史上最強の魔法少女、それに乱道君自身は史上初の男性魔法少女候補生。全部全部生まれつき、全部全部押し付けられた事情。でも頑張ってるから、乱道君。それ見てたらボクも頑張んなきゃなって思うんだ」

「そんなことないよ。僕なんておっぱいが好きなただの男子高校生だよ」

「……えっち」


 自分で言った手前、否定はしない。


「でも乱道君ってイヤミが無いよね」

「そうかな?」

「うん、悪口言われてるのに嫌な気持ちがしないというか、胸のこと言われても気持ち悪くないというか。腹は立つけどね? でもそこまでじゃないというか。多分、すっごく優しい男の子なんだろうな、って」

「はぁ、そうですか」

「はい、まあ、うん、そう、思いました、はい」

「それは、どうも」

「いえいえ」

「大海原さんこそ、唯一の男子である僕を色眼鏡なく接してくれるというか、話してて気が楽、というか」

「あ、ありがとうございます」

「いえいえ」


「……」

「……」


 えっ、何これ、恥ずかしい! 気まずい! 褒め合った直後の沈黙ヤバい!


 どうしよう、とりあえず何か話そう。沈黙が一番ダメだ、何かこう、とにかく良くない!


 しかし先手を打ったのは大海原さんだった。


「あの、さ、乱道君。良かったら週末出かけない? あっ、ボクとじゃ嫌だったら全然大丈夫だけどさっ! 初めての週末だしゆっくりしたいよねごめんねっ!」

「ううん、行こうよ」

「ほんと!?」

「うん」

「じゃあじゃあ! 楽天島の大型商業施設に行ってみない?」

「僕も行ってみたいと思ってた。めちゃくちゃ広いらしいし」

「だよねだよねっ!」

「大海原さんこそ、僕で良いの? 他にもクラスの友達居たよね?」

「それはそのうちねっ! ていうかさ、乱道君……」


 突然声量が落ちた。


「その、大海原さん、って呼ぶじゃん?」

「うん、まあ、大海原さんだし」

「下の名前で呼んでよ、仲良くなったし」

「じゃ、じゃあ、まる……?」

「わー! わーわー! あれっ、なんだっ!? 暑いな!」


 僕も心なしか暑いとは感じていたが、それは長袖の制服を着ているからだと思っていた。

 タンクトップを着ている大海原さん、じゃなくてまるもそう思っているなら、もしかして、これってきっと……


「食堂のエアコンが調子悪いのかもね!」

「そそそ、そうだよね! 帰ろう! 寮に帰ろう乱道君っ!」

「待って、まる!」

「にゃっ、にゃんでしょうか……?」

「僕のことも、名前で呼んでほしい」

「ふぇっ!? なななんでっ!?」

「だってこのままじゃ不公平だから!」


 何がだ、我ながら。


「だだだだだよねっ! しょしょしょしょうがないなぁ…… 不公平ならしょうがないよね…… えっと、あの、柚希、くん……」


 青春、してる気がする。


「めちゃくちゃ暑いな!」

「うんうんうんうん!」


 いつの間にか僕はまるの顔を見られなくなっていた。


 いつの間にか、夕日も沈んでいたからだ。

 これじゃあ赤く染まる頬を夕日のせいにできない。

 だからそもそも赤く染まっているかどうかを確認できないよう、まるの顔を見るのを止めた。

 シュレディンガーの頬。


 校門の前で「またね」と言葉を交わしたが、帰る寮は同じなので結局一緒に歩くことになった。


 日は落ちたのに、更に気温が上がった気がした。


 今日だけは、地球温暖化のせいにしても良いよね。


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