3
『それ』は草原に鉄の根を張った、途方もなく大きな機械だった。小刻みに震えるパイプの中を何が通っているのかは分からないが、大量の何かを『それ』は吸い上げていた。
女はその機械のようなものの近くに降り立ち、膝を立てて深々と頭を下げた。身を起こそうとした唯の頭が女によって押さえつけられる。ライカンスロープだけが腕を組んで退屈そうに機械を眺めている。
不意に機械が大きく鳴動し、奇怪な音を発した。人間が恐怖に直面した時の絶叫が幾重にも連なったような音だった。
女が立ち上がる。腕を引っ張られて同時に唯も体勢を変えさせられる。威圧的な機械が屹立する草原で、女は声を響かせた。
「紫電の狼、名も無き者よ。貴様を10年の臓物喰いの刑に処す……そしてお前は」
女が初めて唯の方に向き直った。
「聖堂から追放する。特に刑はかけん。二度と来ることはないだろうからな」
「おいおい……今回はまだなんもしてないじゃねえよ」
ライカンスロープの抗議を無視し、女は唯を引っ張って機械に歩み寄った。それを見たライカンスロープが2人に近づく。
「こいつ年々厳しくなってない?もう買い換えた方がいいって」
「黙れ」
「あーあ、怖いでやんの。なあお前、この機械何か知ってるか?」
唯に肩を回してライカンスロープは指をさす。鉄の根を無数に生やしたその機械は、異音を発してから微動だにせず何かを吸い上げているだけだ。
「言うなら裁判長だよ。人の行動を余すことなく観測して刑罰を与える自動機械。しかもこれが考える罪ときたら、何時に何を食べただの1秒に何回呼吸しただのびっくりするほど適当な項目ばっか!これはそいつを参照して人類に刑をかけつづけてきた。どう思う?下らねぇよな?人の死も不幸も全部これの意味不明な裁量で決められてるってワケ」
「それ以上は喉を掻き切るぞ、狼」
先程唯に当てられた刃のように鋭利な声で女が言う。
「私はこの少女を送り届ける。貴様は主に祈りでも捧げながら待っていろ」
「主ね、鉄クズに仕えるあんたらも大変だわ」
女はギッとライカンスロープに視線をくれた後、唯を掴んだまま機械の方へと歩き出した。唯もよたよたと歩みを進めながらついて行く。
軋む音を立て、機械はその扉を開いた。
機械の中には細い通路が伸びていた。扉が閉まった後、女が先程よりかは幾分優しさを帯びた声で唯に語りかけた。
「まず君の左手を治すのが先決だ。ライカンスロープは私が君の処置をしている間になにかしでかそうとしているのだろう。まったく小賢しい狼だ」
押し黙る唯を見て、女は心配そうに顔を覗き込む。それに気がついた唯がおずおずと女に訊いた。
「あの、主?っていうものが人が死ぬのを決めてるって……」
「ああ、その通りだ。我らが神は人を管理し、規範に背いた者を断罪するお役目を帯びてらっしゃる。人は死なねば増え続けるだけだからな」
「……はい……」
女のその言葉を聞いて、唯は胸にわだかまりを作ったまま頷いた。わだかまりというより何がなんだかわからない。喋る狼が現れて?異世界に連れてこられて?明らかに人間ではない女性が隣にいて?人を裁くとかいう巨大な機械の中に今唯はいる。頭の整理がまるでつかない。今日の夜までは普通の生活を送っていたはずなのに、自分は何をやらされているのだろう。
「動力炉の物質形成エネルギーで腕を治す。余計なものも付いてくるかもしれないが、まあ我慢しろ」
余計なものとは何か、その答えを聞く前に女は歩き始めてしまった。
慌ててついて行く唯の足元からはカツカツと音がした。床は硬く、靴越しでも冷たさを感じる。しかしながら、確かな拍動も感じ取れた。この異様な空間から一刻も早く逃げ出したい一心で、必死に女から離れないよう歩調を早める。
何度も角を曲がって、気づけば開けた部屋にたどり着いていた。円状の部屋はのっぺりとした壁とディスプレイで囲まれており、その中央には水槽のようなものが鎮座していた。ディスプレイには人混みや先程見た草原など無数の映像が映っており、床と天井に繋がったその水槽の中では、肉塊のような何かが液に浮かんでいた。
女が切断された唯の腕を掴み、水槽の方へと引き連れていく。水槽の手前にはコンソールのようなものがあり、女はそれを片手で操作し始めた。しばらくすると、突然床が開き、肉塊が入っていたようなものと同じ空の水槽が現れた。
「入れ。液の中でも息はできる」
女がコンソールに目を落としたまま言う。唯は言われるまま、恐る恐る水槽に足を踏み入れた。
扉が閉まり、ごぼごぼと音を立てながら下から液が湧き出てくる。靴下に染みてくるそれを見ながら、残った右手をぐっと握りしめる。女の前にあるコンソールのモニターには、カウントダウンが表示されていた。時間を見るに15分でこの処置は終わるようだ。
女は水槽に背を向け、元来た扉へ歩いていった。ライカンスロープの様子でも見に行くのだろうか。それならいい、
既に体の半分を満たしている水を確認して、唯は静かに毒が握られた右手を開いた。
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