2
最初に目に入ったのは、輝きに満ちた白い空だった。呆けたまま空を見つめていると、聞き覚えのある声が唯を呼んだ。
我に返り飛び起きると、少し離れたところで狼が手を振っていた。笑顔のまま唯を指さすような仕草をしている。振り向こうとした時、首筋にひやりとした感触が触れた。
「手を後ろに回せ」
言われるがまま背中に手を回すと、チリチリとした感覚が手首を包んだ。冷たい感触がすっと離れ、ようやく自分の意思で動かそうとした手は微動だにしない。
おそるおそる振り向く。そこに立っていたのは、白いスーツ姿の女性だった。ただの人ではないことはすぐにわかった。ブラウンの髪の上に光輪が浮かんでいたからだ。
女は拘束された唯の両手を乱暴に掴むと、狼に向かって歩き出した。充分な間合いにたどり着くと、女がようやく口を開いた。
「まさか盾を持ってくるとはな。下劣な狼が」
「あんたがここでひとりぼっちで警邏やってっからよ、寂しくないように連れてきてやったぜ」
「貴様にヒトは預けられん。私が身柄を拘束する。あとで貴様もだ」
「へいへいっと」
触れたら爆発でもしそうな2人に挟まれて、唯は辺りを見回すしかなかった。
そこは青い芝生がそよぐ平原のように見えた。さっき唯が気絶していたのは、広い平原に唯一そびえているあの大きな木の下だろうか。どうしてここに来たか思い出そうとしても、靄がかかったように思い出せない。
「お前が死ぬべきと託宣が下っていないのは心底残念だ。まったく、だから警護を増やして欲しいと……」
「喋ってもいいですか……?」
そう口を開くと、女の瞳孔だけがスッとこちらに降りた。それ以上何も言い出せず萎縮していると、女は何も言わず唯を見つめ続けた。
張り詰めた空気に耐えきれず、口を開く。
「た、助けてください……さっきこの狼みたいな人に、手を……」
女は再び瞳孔を動かし、後ろ手に拘束された唯の左手を見た。まじまじと見つめたあと、顔を顰めて狼に向き直る。
「貴様……」
「ただ連れてきたってお前、帰しに行っちまうだろ?ちょっとしたサプライズよ」
「悪知恵だけをぶくぶくと肥え太らせよって。やはり貴様は殺すべきだと進言しておこう」
何の話かわからないまま、拘束された腕をぐいと引っ張られる。浮かんでいた。空に。
女は空に浮かんだまま狼を見下し、冷たく突き刺さるような声で言い放つ。
「死にたければ来るがいい、罪を塗り重ねてきたお前のことだ、上手くいけば極刑もありうるかもしれん」
その言葉とともに、女は唯を掴んだまま空を滑空し始めた。狼がそれを追って走っているのが見える。何が何だかわからないまま、どうやら自分は当分囚われの身であるようだった。
「あの狼ってなんなんですか?」
女にぶら下がったまま唯はそう問うた。緑にさざめく平原の果てには、建造物のような何かが見える。女は先程と同じように瞳だけを唯に向けた。
「お前には関係のない話だ」
「いや……関係はあるじゃないですか。この傷見ましたよね?」
そう言って、必死に切り落とされた左手の方へ視線を向ける。
「こんな怪我させておいてお前には関係ないなんて、横暴すぎませんか?あなたも、あの狼も」
唯の言葉に、女は眉を顰めた。
「……ライカンスロープは受刑者だ」
「ライカン……?」
「遥か昔に罪を犯した。あの姿はその代償だ」
女は再び巨大な建造物に目を向けると、静かに語り始めた。
「恐れ知らずにも、我らの主が持つ心臓を盗もうとした。報いとして数々の罰を受けたのだ。お前にも、」
女が再び前を向く。巨大な建造物を見据えて女は言った。
「見えるだろう。主の御姿が」
「あれって、」
唯が言いかけた瞬間、女がぐっと顔を近づけ凄む。
「『あれ』ではない。言葉には気をつけろ」
身がすくむ目つきに思わず言葉を呑み込む。思わず目をそらすと、女もそれ以上は深追いせず飛行を続けた。
遥か下に広がる草原を見ると、狼――ライカンスロープは女よりわずかに後ろから走ってついていっているところだった。さっきみたいに跳べば捕まえられるのに、と思わないでもなかったが、先程の凄みを見てしまった後だととても口にはできなかった。
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