4

鉄の建造物から出てきた女を待っていたのは、あぐらをかきながら草をむしって遊んでいるライカンスロープの姿だった。女は顔を顰めてそれを睥睨する。


「もう5年分刑を追加しても構わんぞ」


「怒んなって、ガブ」


「次その呼び方をしたら20年追加する」


「怖え〜」


ライカンスロープはごろんと仰向けになって寝転んだ。雲ひとつなく静寂な青空を眺め、狼は言葉を継ぐ。


「薄情だよな」


「何がだ」


「お前らも、お前らの神サマもさ」


「我々は人の世を維持するために存在する」


「そうじゃなくてさ」


ライカンスロープが草の海を泳ぐ。草原は風に揺れることはない。不変を模造した箱庭であるからだ。


「お前ら、俺がいくら人殺しても怒らないじゃん」


「……全ては主の御心に従う故の、」


「動揺してんだろ、わかるぜそういうの。これだけの付き合いじゃん」


不意に草がなびいた。それは風によってではなく、女の周囲の草が気迫によってそこから逃れようと蠢いているようだった。それを見た狼は目を泳がせた。


「ちょ、タンマタンマ。悪かったよいきなり知ったような口きいて。ほら、今なんかしたら神サマ怒るだろ?」


「私は冷静だ」


「嘘つ……あーはいはいわかったよ、俺が悪うござんした」


草はしばらくうねっていたが、やがて放射状に弱々しく倒れたまま動かなくなった。


しばらく平たく寝そべった草を見つめた後、女は呟いた。


「人は脆い。永遠の時間に耐えられない程に」


「知ってるさ、俺が一番よく知ってる」


「……お前はなぜ来た。人を傷つけてまで刑を受ける気があるのか?」


「だから遊びに来ただけだって。友達まで連れてきてやったのに疑うとか、そりゃないぜお前。それとも、」


狼は起き上がって女を見た。


「あのガキが怪我したの、許せねえの?」


「私は……」


女の言葉は、巨大機械が発したサイレンにかき消された。女は虚を突かれて振り向いた後、ライカンスロープに向き直り眼光を鋭くした。


「貴様!」


「あーあ、壊れちった。だから言ったじゃん、」


買い替え時だって。そう言い放った後、狼は天を仰いで哄笑した。




女の人はきっと悪い人なのだと思っていた。人を殺すことを正当化する化け物なのだと。だから、こんなことになって動揺している自分の主体性のなさに我ながら呆れていた。


水槽への送水は止まり、横を見ると肉塊がどす黒く染まっていた。自分が入っている水槽の扉を叩いてもびくともしない。閉じ込められたことにようやく気がついて、顔がさあっと寒くなった。


ほどなくして足音が聞こえ、唯をここへ連れてきた女とライカンスロープが部屋に入ってきた。


「うわ、色やべー!でけえレーズンじゃん!」


「黙れ!この子を連れてすぐ出るぞ!」


女はそのしなやかな足を振り上げて水槽を叩き割った。飛沫とガラス(果たしてガラスであったかは不明だが)片が床に飛び散り、唯もその上に倒れ込む。自力で立ち上がる前に、唯は女に担ぎあげられていた。


廊下を走って機械から出てきた頃には、機械はその活動を完全に停止していた。僅かなパイプの振動も感じられない、紛れもなくそれは死んでいる・・・・・ように見えた。


女は立ち止まり、肩に担いでいた唯を取り落とした。草原に放り出された唯は、しばらく動けずにいた。


転がって空を見上げる。連れてこられた時と同じ雲一つない青い空だったが、ただ1つ、異様なものが目に入った。


「主はお隠れになった。この世界もいずれ崩壊する」


空に現れた異物――その亀裂は、ゆっくりと、しかし確実に伸びて軋み始めていた。


「……これが貴様の望んだことか、狼」


「まーね。あのカス鉄クズぶっ殺せたからそれで満足」


唯はぼんやりと空を見つめながらそれを聞いていた。もう指の1本も動かす気になれない。


騙されていたなどと言う資格はないのかもしれないが、それでもあの女の人が機械の殺人行為を肯定していたのは事実だ。何を信じればいいのかわからない。空のひび割れは大きくなっていくばかりで、今にも空がれ落ちてきそうだ。


女が不意に指を上げ、空中に四角を描き始めた。


「ここはもう駄目だ。出るぞ」


女が描いた軌跡は奇妙な色で光り、縦に伸びてちょうどドアのような形になった。女は唯にそこへ入るように促す。唯はのろのろと立ち上がって、恐らくこの世界からの出口であろう長方形の空間へと足を踏み入れた。


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