56話目 デススプレー

 キッチンで朝食をとっていると愛がやってきた。


 卵焼きを載せたお皿を両手で持ち、それを机に置いて出ていく。


 次に現れた愛はみそ汁を入れた茶碗を机に置く。


「どうしたの?」


 椅子に座る愛の隣に行って訊く。


「ママがデススプレー使ったらダメって言ったからこうちゃんの家に来たの! こうちゃんの家でデススプレー使ったら駄目?」


 辛党の恭弥が食べて倒れるほどの激辛調味料。


 近くにいるだけでも目が痛くなるから、琴絵さんが禁止にした気持ちは分かる。


 でも、可愛い愛のお願いを断ることは僕にはできない。


「いいよ」

「ありがとう。こうちゃん大好き」


 抱き着いてきた愛の頭を撫でると、いつも弾かれるけど弾かれなかい。


 愛と一緒に食事をするから、僕が食べるとしても食パンと青汁だけでは味気ない。


 目玉焼きとサラダを作り、愛が座る対面の席に並べる。


「こうちゃん、らぶの隣に座らないの?」


 少しでもデススプレーの臭いを遠ざけたい。


「らぶはこうちゃんに隣に座ってほしいよ!」

「僕もらぶちゃんの隣に座りたいから、そうするね」


 愛の隣に僕が食べる料理を並べ直す。


「何回押していい?」


 食事を始めてすぐに愛が聞いてきた。


 デススプレーには1つの料理に1回以上は押してはいけないと書かれていた。


「1回かな」

「もう1回はだめ?」


 デススプレーの臭いを嗅いだ瞬間涙と汗が大量に出たことを思い出す。


 命にかかわる問題なので、駄目だと言わないといけない。


「駄目?」


 愛が僕のことを上目遣いで甘えた声を出す。


「だ…………」

「こうちゃん大好きだよ!」

「いいよ」

「ありがとう!」


 愛が可愛過ぎて辛い。


 みそ汁に愛はデススプレーを2プッシュした瞬間、昨日以上に涙と汗が出たが無心で早く食べてキッチンに避難。


 ここもデススプレーの臭いはするけど我慢できない程ではない。


 愛がデススプレーを使う所に純がいたら確実に死んでしまうから、早くどうにかしないと。


 ふと、思いついたことがあるので食事を終えて皿を運んできた愛に言う。


「デススプレーに多くの人がいる時は使わないでくださいって書いていたよね?」

「うん! だから、こうちゃんの家でしか使わないようにするよ!」

「そうだね。らぶちゃんは多くの人って何人からだと思う?」

「1億人以上だよ!」

「それは確かに多いね。デススプレーを作っている会社に多いは何人以上のことを言うのか電話で聞いたんだよ」

「何人だったの?」

「2人以上と言ってたよ。だから、僕といる時だけに使おうね」

「分かった! らぶのために聞いてくれてありがとう!」


 もちろん電話はしていない。


 大好きな人に嘘を吐いて感謝されると心が痛いな。


 これで純の前でデススプレーを使うことは阻止できから、考えないといけないのは使用後に残る臭い。


 服についた臭いは消臭スプレー、口臭は歯を磨けばとれる。


 でも、昨日愛の口臭で純は気絶した。


 愛は毎日歯を磨いているのにそうなるのは、デススプレーの臭いが中々取れないから。


 今日は徹底的に愛の歯を僕が磨くことにする。


 歯を磨くために愛は家に戻るのでついて行き、愛が洗面所に行くのを確認してリビングに入る。


 琴絵さんと利一さんは椅子に座りながら話をしていた。


 2人に近づきこれからすることを説明して、話を合わせてほしいと頼むと了承してくれた。


 洗面所に行き、愛に歯を磨かしてほしいと言うと。


「らぶはお姉さんだから、自分で磨けるよ!」


 予想通りの反応が返ってくる。


「らぶちゃん少し歯を開けてもらっていい?」

「いいよ!」

「うわっ!」

「どうしたの?」


 大袈裟に驚くふりをすると、愛は心配そうに僕を見る。


「少し黒くなりかけの歯があるから、綺麗に磨かないと虫歯になって歯医者に行かないといけないね」

「歯医者⁉」


 愛の顔が青ざめて小刻みに震える。


「どうしたらいいの?」

「自分では磨けない所もあるから僕が磨いてもいいかな?」

「赤ちゃんみたいじゃない?」

「大人だって磨いてもらうこともあるよ。嘘だと思うなら大人の琴絵さんや利一さんに聞いてみたら」

「分かったよ! パパとママに聞いてくるよ!」


 愛は洗面所を出て行き、すぐに戻る。


「磨くって言ってたよ! だから、こうちゃんらぶの歯を磨いて!」


 打ち合わせ通り動いてくれた琴絵さんと利一には後でもう1度感謝を言いに行こう。


「らぶちゃん、口を大きく開けて」

「あーん」


 デススプレーの臭いがするから口呼吸をしながら、愛の歯を歯ブラシで擦る。


「こうちゃん~、こそばぃよぉ~」


 甘たるい声を出しながら愛は喘いでいる。


「こうちゃん~、もっと~、もっと~、つよくしてぇ~」


 視線を感じて振り向くと琴絵さんがスマホをこちらに向けていて、視線が合うと親指を立てた。


「何してるんですか?」

「らぶちゃんのエッチな声が聞こえてきたから、もうすぐ孫の顔が見られるのかと思ってきたのよ」

「エッチな、ゴホッゴホッ」


 歯磨き中に喋ろうとしたので愛はむせた。


「ママはこっちにきてね」

「これからかもしれないからもう少しだけ見たいわ」

「はいはい。いいからこっちにきてね」


 抵抗する琴絵さんを利一さんは優しく窘めながら連れて行く。


 次から愛の歯を磨く時は僕の家ですることにした。




 愛と一緒に純の部屋に入ると、純は壁際に立っている。


 対策をして愛からはデススプレーの臭いはほとんどしないし、もししたとしても廊下からは臭うことは絶対にない。


 たぶん、僕達の足音で目を覚ました。


 昨日のことが余程のトラウマになっている純。


 純の所に行き臭い対策をしていることを話すと、安心したようにその場に座る。


「じゅんちゃんおはよう!」

「……おはよう!」

「なんでらぶから離れるの?」

「……」


 純は僕に助けを求める視線を向けてきたので愛に言う。


「恭弥さんリビングに1人じゃないのかな。もし1人だったらデススプレーを使えるね」

「使っていいの?」

「恭弥さんがいいって言ったらね」

「わかった! 聞いてくるね!」


 愛は足音を立てて部屋を出て行く。


「……辛いものに少しは耐性つけたほうがいい?」


 おずおずと純が聞いてきた。


「別に気にしなくていいよ」

「辛いものが平気になればらぶちゃんと同じもの食べられるからこうちゃんは楽になるよ」


 3人で食事する時は愛と純で味付けを変えていることを言っているだな。


「2人のために料理を作るのは楽しいから気にしなくていいよ」

「ありがとう。でも、いつまでもこうちゃんに甘えていられないから」


 純は僕に抱きついて、服に顔を押し当てた。


 深く息をする音が聞こえてくる。


「今日もらぶちゃんはデススプレー使った?」

「うん。使ったよ」

「少しだけど臭う」

「らぶちゃんがデススプレーを使うときに隣にいたからね。じゅんちゃんは苦手な臭いだから離れた方がいいよ」

「大丈夫。こうちゃんの匂いもして安心する」


 この可愛すぎる生物は何なんだろ。


「もう少しこのままでいい?」


 胸に抱きついていることで、僕より身長の高い純が上目遣いで僕のことを見ている。


 優しく純の頭を撫でながら「いいよ」と答えると、純は目を瞑る。


 少しして、純から寝息が聞こえてきた。


 このままぎりぎりまで寝かしてあげようと思っていると。


「グギャ――――――――――――――――――――――――――――」


 野太い声が下から聞こえて純は目を開ける。


 純とリビングに行くと、昨日と同じく恭弥さんが倒れていた。


 部屋に入ってすぐに純も部屋に充満したデススプレーの臭いを吸って倒れる。


 頭がくらくらしながらリビングの窓とドアを開けて、純の部屋に消臭スプレーを取りに行きリビング全体にかける。


「美味しいよ!」


 僕が動いている間、愛は美味しそうにデススプレーの臭いが発するおにぎりを食べている。

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