43話目 前髪で顔が隠れている女子と部活

 下校時間が近づいているから、剣は帰っているかもしれない。


 調理実習室のドアの前に着くと、中から声がする。


「黒をベースにしてフリルの所だけ白にするのはとても可愛いです。でもわたしには似合いません。いや、そんな後ろ向きでは駄目です」


 ドアを開くと、大きな手鏡に向かってポーズをとっている腰ぐらいある長い髪の女子の後姿があった。


 この女子こそ、家庭科部の部長の音倉剣おとくらつるぎ


「家庭科部に百合中君……こ、こ、こ、こ、こ、こ、こ、幸君が入部してくれたんです。だから、部長のわたしが弱気では駄目です。もっとプラス思考になって、活発的に行動できるようになるんです」


 自分の制服をつまみながら剣は言う。


「制服だからエプロンが似合わないのかもしれません。いや、制服エプロンはいいものです。制服エプロンを1度否定したわたしには制服もエプロンも着る資格はありません」 


 そう言いながらエプロンを脱いで、制服を脱ごうとした所で声をかける。


「遅くなってごめん」

「……」


 ゆっくりと僕の方に顔を向けた、前髪で顔が隠れている剣は無言。


 2か月も一緒にいないけど、剣の性格はなんとなく分かる。


 引っ込み思案の性格上、独り言を呟いている所を見られるのは恥ずかしがる。


 でも、あのまま声をかけていないと剣は下着姿になり、それを見られたことが分かると失神するかもしれないから早めに声をかけたほうがいい。


 このまま剣に合わせて立っていても先に進まない。


「時間はあまりないから、今日は簡単に作れるものにしようか? 剣は作りたいものはある?」


 小さく首を左右に振る剣。


 剣が作りたいものがないなら冷蔵庫の材料を見ながら何を作るのか考えよう。


 確認するために冷蔵庫に向かって歩くと、剣が体を震わせたが気にせずに冷蔵庫を開ける。


 剣が金曜に持ってきた卵ぐらいしかない。


 ホットケーキミックスは冷蔵庫の近くの引き出しに入れていたけど、昨日全て使い何もない。


 調味料はあるから卵だけで何か作ろう。


 全く料理のできなかった剣がだけど、少しずつ料理の腕前が上がっている。


 今日は剣1人がスクランブルエッグを作ってもらうことにした。


 そのことを伝えると、物凄い勢いで首を左右に振る。


「無理です! ……こ……百合中君が隣にいてくれないとわたしは作れないです。1人で作るなんて絶対に無理です」

「失敗してもいいよ」

「……絶対失敗します……失敗する気しかしません」

「それでもいいよ!」


 少し強めに言うと、剣はキッチンの前に立つ。


 冷蔵庫から卵と引き出しからサラダ油を取り出して剣の近くに置く。


 1,2分食材の方に顔を向けていた剣は動き始めた。


 食器棚に行き小さめのお茶碗を取りに行き、それに卵を入れてかき混ぜる。


「食べ物を炒めるときは食材が焦げないように油を引く」


 僕が今までにしたアドバイスを口にしながら手を動かす。


 コンロの上にフライパンを置いて、火をつけ油を入れようとしてやめる。


「油を入れるのはフライパンが少し温まってから」


 少し経ってフライパンから少し離れた上空で手のひらをかざして頷き、油を入れる。


 かき混ぜた卵をおずおずとフライパンに入れて、混ぜながら焼いて少し固まってきた所で火を消した。


「味付けは塩コショウを少々です」


 塩コショウを1回振ってよく混ぜてから味見をする。


 それを何度か繰り返してから、隣で見ていた僕に言う。


「完成しました」


 ふわとろなスクランブルエッグができていて美味しそう。


 剣は完成した料理を皿に載せて机の上に、横に2つ並べる。


 僕が入部した最初の頃は剣の声が小さ過ぎて聞えないので、隣に座ることにしていた。


 普通に会話できるようになっても、その名残で今も剣の隣が定位置。


「自分で言うのもなんですが美味しいです」

「うん。塩コショウがちゃんと効いてるのに、辛すぎることもないしね」

「今日の晩御飯はスクランブルエッグにします」

「健康面を考えてサラダを食べるようにね」

「はい。サラダはちぎってお皿に盛りつけてドレッシングをかけるだけなのでわたしにでもできます」


 後片付けをした僕達は靴箱を目指して歩いている。


「日が長くなってきましたね」

「そうだね。18時を過ぎているのに明るいよ」


 剣の言う通り、外を見ると確かに明るい。


 中間テストが終わり、もう少ししたら期末テストがあって、それが終るとすぐに夏休み。


 夏休みは1日中愛と純と一緒にいられるのですごく楽しみ。


「……こ、こ、こ、こ、百合中くん」


 上擦った声で剣に呼ばれたので視線を向ける。


「百合中君…………今週の…………休みの日に…………どこかに遊びに行きませんか?」

「名前以外聞こえなかったからもう1度言ってもらっていい?」

「……百合中君、今週の休みの日にどこかに」

「下校時間過ぎてるぞ! 早く帰れよ!」


 剣は話し終わる前に、生活指導の先生の声が後ろからした。


 僕達は早足で靴箱に向かう。


「話の続き聞くよ」


 剣は初めて会った時ぐらいの小さな声で言う。


「……そんな勇気もう出ないです」



★★★



「遅くなってごめんね」


 自宅の玄関のドアを開けると純が立っていたのでそう言うと、「大丈夫」と少し微笑んで返してくれた。


 キッチンに向かい手早く晩飯を作りながら純に話しかける。


「らぶちゃんの調子はどう?」

「熱は36・1まで下がってる」

「そっか。それは安心だね」

「おう」

「じゅんちゃんは今日学校どうだった?」

「バスケット面白かった」

「バスケット?」

「おう」


 確か純のクラスの1時間目は体育。


 でも、女子は1年全クラスバドミントンをしていると体育の先生が言っていた気がする。


「女子はバドミントンじゃないの?」

「男子に混ざってした」


 なんだと、純が汚くて汗まみれの男子とバスケをしただと!


 純のクラスと合同の体育にならないかな。


 仲間にパスをする振りをして純とバスケした男子達にボールをぶつけて2度とバスケができない体にしたい。


「体育の先生がよく許してくれたね」

「お前は男っぽいからいいぞって言われた」


 純のどこが男っぽいんじゃ!


 可愛いだろ!


 どこをどう見ても女子だろ!


 きちんと見ろよ!


 教育委員会に電話して、純のことを男呼ばわりした体育の先生をクビにしてもらわないといけない。


 ポケットに入れていたスマホで教育委員会の電話番号を調べて、かける一歩手前で踏みとどまる。


 純が授業で楽しみにしているのは体育だけなので邪魔をしたくない。


「私より身長の高い男子がいて、その男子のディフェンスが強くて、バスケット楽しかった。3ポイントシュートも何度も決まって気持ちよかった」


 楽しそうに語る純の声を聞いて、男子達や先生に抱く殺意が緩和される。


 晩飯を食べた後、ソファに座りテレビを見る。


 音楽番組が始まると、隣にいる純が音量を大きくしていいか聞いてきたので頷いた。


 画面の中で20歳ぐらいの女子がCMで聞いたことある曲を歌いだした。


 隣でそれに合わせて口ずさむ純に癒される。


 ふと目に入った時計は21時を少し過ぎていた。


 今日は愛が体調を崩しているから、勉強を一緒にしない。


 このままゆっくりとしようと思っていると。


「こうちゃん勉強教えて!」


 愛が元気よく片手を挙げて部屋に入ってきた。


「らぶちゃん大丈夫なの?」

「たくさん食べてたくさん寝たたから今のらぶは元気一杯だよ! 勉強しよう!」


 跳びながら愛は答えた。


 顔色も悪くないから勉強をしてもいいけど。


「琴絵さんはらぶちゃんが僕の家にきていることを知っているの?」

「知らないよ! 勝手にきたから!」


 穢れが全くない笑顔を浮かべる愛。


 このまま愛と一緒に勉強したい気持ちになる。


 念のため琴絵さんに連絡する。


 スマホで琴絵さんにかけて事情を話すと、数秒後にきた。


「いやだ! 勉強するの! らぶはこうちゃんと勉強するの!」

「勉強はいつでもできるでしょう! 体調が悪かったんだから今日は休みなさい!」

「毎日勉強することが大切なんだよ! そうだよね、こうちゃん?」


 必死な顔で話しかけてくる愛が可愛くて頷きそうになるのを我慢。


 琴絵さんの言う通り、愛は病み上がりだから休んだ方がいい。


「明日から頑張ろうね」

「裏切り者! こうちゃんの裏切り者! じゅんちゃんはらぶの味方だよね?」


 愛に見つめられた純は愛から目を逸らす。


「今日は帰って体を休めた方がいい」

「じゅんちゃんも裏切り者! 2人とも裏切り者! 裏切り者‼」

「らぶちゃん、帰るわよ!」

「嫌だよ! らぶはこうちゃんと一緒に勉強するんだよ! らぶは勉強するよ‼」


 琴絵さんに手を引かれながら帰っていく愛の声は部屋に響く。

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