7話目 大きな幼馴染にご褒美

 放課後、鞄を持って教室から出ると愛と出くわした。


「らぶちゃん」

「…………」

「らぶちゃんどうしたの?」

「…………」


 声をかけた僕と視線が合った愛は何も言わずに石のように動かなくなる。


 体調を崩しているのかと思い、愛の額に手を当てるが平熱。


「一緒に帰ろう」


 愛とは中学の受験が始まってからは毎日一緒に帰っている。


 だから、高校生になっても一緒に帰ると思ってそう言ったけど、愛は左右に首を振る。


「何か用事でもあるの?」


 愛は申し訳なさそうに小さく頷く。


 何の用事だと言いそうになって黙る。


 話しかけた時も固まっていたし、いつもは相手の目を見て話す愛が窓の外を見ている。


 何か隠し事をしているのは分かるけど、無理に聞き出してもいいものだろうか。


 もしも、愛が怒って「お兄ちゃんなんて大嫌い‼」なんて言い出して、それから僕のことを避け出したら生きる希望がなくなってしまう。


 お兄ちゃんとは1度呼ばれたい。


「遅くならないように帰ってきてね。どうしても遅くなりそうだったら僕が迎えにくるからランイか電話して」


 嫌われたくないので事情を聞きださずに、心配している気持ちだけ伝えた。


「遅く、ならないから、大丈夫、だよ!」


 愛は声を震わせながら僕の目を見て言う。


「それなら、安心だね。それじゃ、また僕の家でね」


 去ろうとすると、服の裾を握られたので振り返ると重々しい表情をした愛がいた。


 もしかして、彼氏ができたから今からデートしてくるなんて言うんじゃないよね?


 もし、そうだったら……家に帰って早く包丁を研がないといけない。


 駄目だ、僕。冷静になれ。


 まだ、愛に彼氏ができたと決まったわけではない。


「どうしたの?」


 平静を装って訊く。


「エ」

「エ?」

「エッ」

「エッ?」

「……エッチ漫画なんて描いてないから。漫研部で描いてないから。絶対に描いてないから」

「何て言ったの?」


 声が小さ過ぎて何を言っているのか分からなかったので聞き返す。


「エッチな漫画なんて描いてないから! 漫研部で描いてないから! だから、安心してね! 安心だかね!」


 愛は目を逸らして顔を真っ赤にして叫んだ後、僕の服から手を放して靴箱と逆の方に向かって走る。


 途中でこけそうになって、踏ん張って回避できた。


 愛は彼氏ができたんじゃなくて、部活に入っただけ。


 勝訴! 


 頭の中にその文字が浮かんだ。


 やったー! 


 愛に彼氏ができていなくて本当によかったー!


 そういやさっき、エッチな漫画なんて描いていないと言っていた。


 たぶん、愛はエッチな漫画を描いている。


 嘘を吐くのが下手だからすぐに分かる。


 小さい頃から絵を描いているのは知っているけど、最近絵を描いているのを見たことがない。


 もしかしたエッチな絵を描き始めたから、僕達の前では描かなくなったのかもしれない。


 そっとしておきたい。


 でも、もしエッチな漫画を描く空間に男子がいたら愛が襲われてしまう。


 新たな心配事ができたから、愛を追いかけることにした。


 愛は階段を上がって2階に行き、少し歩いた所にある教室に入って行く。


 近づくとドアには『漫研部』と書かれた張り紙がドアの壁に貼られていた。


 開ける音がしないようにそっとドアを開けて室内を見ると、椅子に座った愛がいた。


「今日も我らの神絵師様が降臨されました! みなさん、我らの神絵師様を称えましょう! 崇めましょう!」

「ああ、ありがたや。ああ、ありがたや」

「生きててよかった! 神絵師様ありがとうございます。ありがとうございます」


 部屋の真ん中にいる愛を囲んで、床に正座して拝んでいる女子5人が口々に言っている。


「らぶは神だよ! この世の真理をこの手で描くことができるんだよ!」

「「「「「ははぁー!」」」」」

「らぶの絵が見たい?」

「「「「「見たいですー!」」」」」

「うん! いいよ! 今日もたくさん描くよ!」

「「「「「ありがたき幸せ」」」」」


 椅子の上に立ってペンを天井に向けている愛と、それにひれ伏す女子達。


 何度見ても男子はいなかったから、安心して静かにドアを閉めた。


 異常はないし、心配することは何1つないから、純を探すことにした。


 裏庭に向かうといなかった。


 人気の少ない所が好きだから、その場所を考えると今日昼に行った屋上は誰もいなかった。


 最上階まで階段を上り、ドアに手を伸ばすと純の喋り声が聞こえてきた。


 いや、これは喋り声ではなく歌。


 朝歌っていた童謡ではなく洋楽を歌っている。


 透き通ったしっとりとした声で、心が癒されていつまでも聞いていたい。


 ここで出て行けば純に限ってないと思うけど、「兄さんなんて大嫌い‼」と言われたら屋上から飛び降りる。


 歌い終わるまで床に座って純の歌を堪能した。



★★★



 買い物はアプリでチェックしている店の特売がない限りは、日曜に1週間分の材料を買う。


 まとめて買った方が余計なものを買わなくて節約になる。


 でも、今日は下校途中にあるスーパーにきている。


 店内に入ると、隣を歩いている純がちらちらと見てきたのはそれが理由だろう。


 不思議がっている純に言う。


「今日は男子からじゅんちゃんが助けてくれたからお礼をするよ。何か食べたいもの、作ってほしいものがあったら遠慮なく言ってね」


 瞳を輝かせた純が、すぐに下を俯く。


「どうしたの?」


「頭に血が上って、しばくって言ったし、暴力をしようとしたからいらない」


 申し訳なさそうに呟いた純の両手を握る。


「確かに暴言も暴力をしようとしたことも悪いことかもしれないけど、じゅんちゃんは僕のために怒ってくれた。そのことがとても嬉しかったよ。だから、お礼させてもらっていいかな?」

「……いいの?」


 純は今にも捨てられそうな猫が必死に媚びるような目で、僕の顔を見ながら遠慮がちに言う。


 僕の幼馴染は世界一だ――――――――――――――――――――――――――。


 と、叫びそうになるのを必死にこらえる。


 可愛い、可愛すぎる。僕の幼馴染は可愛過ぎる。


 みなさん僕の幼馴染が可愛過ぎますよ!


 落ち着け僕、急に黙ったから純が心配しているだろう。


「いいよ」

「……ホットケーキが……食べたい」

「いいよ。いくらでも作ってあげるよ!」

「……2段にしてもいい?」

「もちろんだよ。2段でも3段でも4段でも作ってあげるよ。その上には生クリームとチョコソースをたくさんかけようね」

「こうちゃん、ありがとう!」


 純は両手を広げて、そのまま固まる。


 テンションが上がって僕に抱き着こうとしたけど、すぐに正気に戻って恥ずかしがっている。


 可愛いな! もう!


 我慢の限界が来たので純を抱きしめる。


 体が温かくて心地よくてこのまま眠れそう。


 寒い時期には必須だな。


「…………こうちゃん」


 絞り出すような純の声で我に返ってここが店内だったことを思い出す。


 純がお菓子売り場に向かった後、買い物かごを取ってホットケーキの材料を集める。


 必要な材料が揃ったのでお菓子売り場に行くと、純は2つのお菓子を両手に持って悩んでいた。


「あのお姉ちゃんお菓子を睨みつけていて怖いよ~」


 お菓子売り場に来た子どもは、その光景を見て泣きながら立ち去った。


「じゅんちゃん決まりそう?」


 問いかけると、純は視線を僕に向ける。


「春限定の桜味のチョコはどんな味がするのか気になるから食べてみたいし、定番のチョコも食べたい気分だから……こうちゃんはどっちの方がいいと思う?」


 2つとも買えばいいよと言いそうになるのを我慢。


 買い物に来るときは純に付いてきてもらうけど、いつもお菓子を1つしか買わない。


 そういう自分ルールがあるのだろう。


 2つ買えばいいなんて僕のエゴだから、純の気持ちを大切しながら質問に答える。


「前来た時に定番のチョコ買っていたから、春限定のチョコを買ったらどうかな?」

「春限定は今しか食べれない。おう。そうする」


 純は定番チョコを元の棚に戻し、限定チョコを両手にもって微笑む。


 いつも可愛いけどお菓子を手にした純は満面の笑みを浮かべていて可愛過ぎる。


 可愛過ぎて、僕の全財産で店中のお菓子を買って純に渡したい衝動に駆られてしまう。


 会計を済ませて、学生鞄の中に入れていたエコバックに買ったものを入れていると視線を感じる。


 そちらを見ると、店員が純のことを凝視していた。


 不思議に思って純を見ると、すぐに理由が分かる。


 純が持っているチョコの会計が済んでいない。


 このまま外にでたら万引きになってしまう。


「じゅんちゃんお菓子を買いに行くよ」


 口にしてすぐに言い方が悪かったことに気づく。


 これでは、今持っている会計の済んでいないお菓子を買いにいくのではなくて、もう1個新しいお菓子を買いに誘っているみたい。


「……お菓子は1つしか買ったら駄目じゃないの?」


 もう1個買える喜びと、自分を制する気持ちで葛藤している純の表情は口角が上がっているのに眉間に皺が寄って目つきが鋭くなっている。


 事実を言うのがすごく辛くてどう説明しようかと思いながら、純が持っているチョコに視線を向ける。


 純もそちらを見て、耳を赤くして俯く。


「……並んでくる」


 純が列に並んだから、後を追ってチョコの会計を済ませた。


 純は帰り道シールの張られたチョコを両手で大切そうに握っている。


「こうちゃん荷物持つ」

「これぐらい1人で持てるから大丈夫だよ。じゅんちゃんは帰りながらチョコ食べないの?」

「行儀悪いから食べない」

「そうなんだ」

「それに」


 チョコに向けていた笑顔を僕に向けて言う。


「こうちゃんに買ってもらったものだから、大事に食べたい」


 ……可愛過ぎて辛い。

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