「元禄吉良鏡」むつみのレポート その四

【吉良家討ち入りについて】

 詳細は、多数の書物、記録にもあるため割愛する。ここではフィクションと異なる部分のみ列挙しておく。


●集合

 大勢が雪の中を吉良屋敷までしずしずと行進してくるのはフィクションであり、実際には本所吉良屋敷に近い三か所に分かれて集合し、吉良邸前で全員が落ち合ったと記録される。

 また赤穂浪士は四十七人と伝わるが、これは士分(侍)で討ち入りに参加することを許可された人数で、各々の侍には赤穂藩の時代より仕える使用人たちが多数おり、これらの者たちも当日の夜には吉良屋敷に同行し、外部からの吉良方への助成や役人等が駆け付けないかを警戒していたとのこと。


●装束

 赤穂浪士は一六七二年に起きた「浄瑠璃坂の仇討ち」と呼ばれる奥平源八一族の仇討ちを参考にしたと言われ、火事装束も彼らに倣った。これには、夜間に大勢が町中を移動するにあたり、呼び止められた際に火消し役人と偽る効果もあり、いくつかの木戸を通るうえでも役立ったとも言われる。

 黒小袖に白晒しろさらしを縫い留めることは統一されたが、名前を書いた者もいれば書いたと記録にない者もいる。鎖帷子ではなく布で包んだ鎖を身体の要所に巻き付けたという記録もある。それ以外は銘々が戦闘に向くあつらえを用意し、討ち入りに臨んだ。


●表門隊

 大石内蔵助はじめ二十三名。

 図面をもとに復元された吉良家を見ると、表門はドラマに出てくる大名屋敷のような立派なものではなくせいぜい三~四メートルの高さで、ここにはしごをかけて数名が内側に飛び降り、中からかんぬきをぬいて門を開けた。この際に原惣右衛門が屋根から落ちて足首をくじく。

 異変に気付いた表門の門番、中間、小者が赤穂浪士にまず斬られる。

 その後、三名一組の編成を組み、屋敷への突入隊と外回りの見張りに別れ、突入隊は玄関より屋内へ。玄関先の広間で張り番をしていた小姓たちと戦闘に入る。


●裏門隊

 大石主税をはじめ二十四名。

 裏門は長屋の建物と続き、表門よりも高い。

 門の外から「火消しだが屋敷内にて火事との通報あり」と声をかけるが、門番は不審に思い開門を拒否。そのため予定通りかけや(木製の大型ハンマー)で打ち破り突入。裏門門番の足軽、大河内六郎右衛門が槍で刺され、数日後に死亡。

 表門隊と同様に三名一組の編成を組み、二隊に別れ、一隊が屋敷内に侵入。


●吉良上野介の死亡場所

 庭の炭置き小屋という話は現在ほとんど取りざたされず、記録にもある台所に併設の物置となっているが、この場所の特定にも諸説ある。

 というのは、一つには現代にまで伝わる吉良邸の図面が複数あり、おのおのの屋敷の造りが異なること、また屋敷には左兵衛が居住と執務を行うための本邸扱いの区域と上野介の隠居区域があり、それぞれに台所があり、かつ物置は台所をはじめ屋敷内に複数あるなど、最終的にどこに隠れたのかが今一つ不明なことによる。


 上野介の隠居区域は屋敷西の裏門側で、併設の台所は裏玄関から浪士が侵入した目の前である。そのため、もしここに逃れたとすると真っ先に見つかっていたはずで、表と裏から侵入してきた敵に対して安全なのは屋敷の奥であるから、まずは東側の屋敷内に向かって逃げ、どこかに隠れたと思われる。

 一方、本邸区域の台所は屋敷の東よりで北側の庭に面しているが、ここまで行くと表門からの侵入者に見つかる恐れもあり、また途中に左兵衛の寝所があるが、二人が合流したという記録はないので、おそらくここまではたどり着いていないだろう。いずれにせよ討ち入りから二時間余りも逃げおおせたということは、表と裏からの敵の侵入に対して屋敷の内部で数か所移動し、最終的に台所脇の物置に隠れているところを見つかったと思われる。


 護衛は、榊原平右衛門と大須賀治部右衛門の二名とも、また清水一学もおり三名とも言われているが、見つかった際に全員が討ち死に。

 上野介は槍で刺され、物置から引きずり出された段階で死亡もしくは意識がない状態だったとも、無抵抗で出てきたが浪士数名に惨殺されたとも記録があり、どちらが事実かは定かでない。

 上野介かと思われたが頭部の傷は分からず、肩先に傷痕があったことからその場で首を打ち落とし、生き残っていた表門の門番に見せたところ上野介と確認できた。

 首を取った上野介の遺体は、寝所の布団に丁重に寝かせられ、後に助成として到着した津軽家によって発見された。


●討ち入り後

 上野介の首を挙げた浪士たちは大声でそのことを宣言し、長屋の吉良方に「立ち向かう気はあるか?」と訊いたが返答するものがなかったため、裏門から引き揚げた。

 吉良屋敷の西にある無縁寺回向院でこの後の展開を見定めようとしたが、寺側が開門を拒み、また追手がかかる様子もなかったため、泉岳寺へと向かう。

 船で川を下る案もあったが結局徒歩となり、浪士側は疲労と、また怪我人や老人もいたため、徐々に一行は乱れ始める。なお、池に落とされ腿に重傷を負った近松勘六と、侵入時に屋根から落ちて足をくじいた原惣右衛門は、途中で駕籠に乗せられたとの記録もある。

 物語のような一糸乱れずの隊列、行進ではなく、めいめいが自分のペースで歩いていき、かなり遅れて続く者もいた様子が、見物した者の記録に残されている。


●吉良方の状況

 以下は、見分時の死亡者の場所として伝わるものや、浪士の証言による内容だが、現代のように灯りがあるわけでもなく、月明かりとがんどう(蝋燭を使ったサーチライト)のみでは現場は相当に暗かったはずで、また大騒ぎの後の検分で身誤りも多々あるようで、すべて正しいかは不明である。


 表門からの浪士侵入時、表門下番の八太夫、中間の権十郎、馬口取の吉右衛門(曽右衛門とも)、駕籠人の兵左衛門(兵右衛門とも)等が死亡。表門での死者、森半右衛門も門番とされる場合があるが、彼は台所役人との記録もあり定かではない。他の門番は生き残っていることを考えると、侵入者に対してなにがしかの抵抗を試みたのかもしれない。

 表玄関奥には広間があり、ここには見張り番を兼ねた小姓ら数名が寝ていたので、玄関から広間にかけて、まず浪士との戦闘が始まった。だが、状況から見て全員が槍で追い立てられ、ほとんどが大した抵抗もできずに死亡したと思われる。

 左兵衛の護衛を兼ねて宿直が四名いたがいずれも行方不明となっており、逃亡したといわれる。

 浪士は「火事だ!」と叫んで長屋からおびき出した者を槍で追い立て弓矢で射たり、実際以上の人数がいるように大声で偽の指示を出して吉良方の戦意を喪失させ、そのうえで長屋の戸を鎹で打ちとめ閉じ込めた。


 吉良邸にいた士分の約五十名のうち、実際に浪士と刀を交えのは、上野介の護衛二~三名、左兵衛の護衛二名、これに広間の小姓やその他を入れたとしても総勢十数名で、その他は一方的に斬られて放置されたり、長屋から出ようとすると威嚇されたりと、何もできないままとなっていた。

 結果、討ち入り時の死傷者は上野介も含め四十名ほどとなり、うちこの事件がもとで近日中に死亡した者は二十五名もしくは二十六名となっている。


●茶坊主のこと

 現在にまで伝わる「赤穂浪士」の物語において、まず触れられないのが討ち入り時に斬殺された十代の茶坊主二名である。

 士分ではなく刀も持たない中間、小者の死者以上に、美談である浪士の物語にそぐわないとして禁忌の扱いとなっているためだろう。

 だが、彼等ほど討ち入りの状況を鮮烈に物語る犠牲者はいない。

 それは、赤穂浪士にしても真剣での斬り合いなどほとんどが初めてで、全員が極限状態であったこと。防備を備え怪我を負わない支度をしていたとはいえ、吉良方に容赦をしている余裕はなく、まさに斬るか斬られるか。見つけたものは即座に槍で刺し、刀で斬って先に進むという、死に物狂いの戦を展開したことが十分にうかがえる。


●山吉新八郎のこと

 吉良方で唯一奮戦したのが、中小姓の山吉新八郎盛侍やまよししんぱちろうもりひとと言われる。

 討ち入りに際しいったんは長屋から飛び出たが、すぐに取って返して脇差を手に再び屋敷に向かう。

 庭で浪士三名に見つかり戦闘。近松勘六を池に追い落とし腿に大怪我を負わせるという名場面を創り、もう一名も追い立てたが、背後から槍で突かれ顔面も斬られて倒れる。その後に息を吹き返し屋内に到達。ここでも浪士に見つかり再び闘うが、またも斬られてついに失神。だが一命を取り留め、改易後も左兵衛に仕えて左右田孫兵衛とともに諏訪藩にまで従い、左兵衛病没後も菩提を弔うという、赤穂事件における吉良家随一の武人であり英雄、忠臣と言える。


 でありながら、「忠臣蔵」での一番の強敵が、史実で獅子奮迅の働きをしたこの山吉新八郎ではなく、小林平八郎や清水一学に置き換えられてしまったのはなぜか。


 思うにそれは唯一つ。

 山吉新八郎は死んでおらず、悪役として描けないからだ。

 たった一人で浪士と闘い、全身傷だらけになりながらも奇跡的に生き残り、諏訪に流された左兵衛に最期まで仕えた忠義の英傑なぞが吉良方に居ては困るからだ。

 講釈、講談において吉良方はあくまで意地悪く、憎らしく、討ち取られて当然とされなければならない。

 先の茶坊主二名と同様、討ち入りの史実から闇に葬られた人物である。

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