「元禄吉良鏡」むつみのレポート その三

 さて、こう考えていくと、浅野内匠頭は本当に吉良上野介に恨みが募っていたのか、また、まったくそれのみで刃傷に及んだのか、ということも考察すべきと思う。


 浅野内匠頭が元禄十四年の勅使饗応役を下知されるまでの、吉良上野介との接点と言えば、上野介が勅額火事で鍜治橋の吉良邸を焼失した際、火消し大名として指揮を執っていたのが浅野内匠頭だが、ここまで遡って禍根の発端を求めるのは不可能で、想像の世界となってしまうため、あえて言及は避ける。


 ここでは、刃傷事件の二人について、記録に遺っている人物評を載せる。


【人物評】

浅野内匠頭長矩あさのたくみのかみながのり

 播磨赤穂藩第三代藩主。

 所領は兵庫県赤穂市だが、江戸生まれで満十六歳まで江戸屋敷で暮らしていた。またこの十六歳の年(天和三年)に初めて自分の所領である赤穂藩に入っている。

 「忠臣蔵」などのドラマにおいて吉良上野介から「田舎侍」呼ばわりされる場合もあるが、幕府から江戸での任務を多数拝命しており、前述の通り火消し大名を仰せつかるなど、決して田舎の殿様ではない。

 殿中松の廊下で刃傷に及んだが、その理由を家臣に対しても一言も語らず即日切腹したため、多くの謎を生んだ。


 人物評としては、赤穂浪士に好意的で「赤穂義人録」を書いた室鳩巣から「武骨で頑固者」、また刃傷の当日、上野介の治療に当たった栗崎道有は、周囲の人間から「気短なる人と聞いている」と記録しているが、その他は伝聞や噂を拠りどころとしているものが多く、聡明で清廉潔白な人物だった、逆に知恵がなく短慮である、小心で律儀である、一方、女好きで、好みの女を差し出した家臣を重用した、など相反するものが多い。

 女好きとの説は裏付けが取れず、むしろ側室がいた記録がないため事実に反するとも考えられる。切腹した時点で満三十四歳だったが、正室の阿久里との間には子がいない。


 儒学者、軍学者であった山鹿素行は、幕府が信奉していた朱子学を批判したために罰せられ赤穂藩にお預けとなり、浅野家とは縁が深く、内匠頭は弟の大学とともにその教えに傾注したとされる。


 一六八二年(満十五歳)で朝鮮通信使饗応役に、翌年(満十六歳)で霊元天皇勅使の饗応役に任ぜられ、この時も吉良上野介が指南役となり問題なく勤め上げている。

 そのため、元禄の饗応役拝命時に江戸不在だった吉良上野介に対し、浅野家は当然ながら以前の饗応役の記録などをもとに独自に着手、準備を始めていたはずで、それが進むうち、次第に自分らのみで十分に対応できるとの見解が大きくなり、指南役である吉良上野介の存在を過小評価し始めたと考えることは理に適っている。

 なお、以前の饗応役は十八年前であり、元禄十四年当時の物価は過去の饗応役時から二倍程度まで上昇していたと言われる。これは付け届けなどの慣習にも影響したと考えられ、浅野家が準備した予算が吉良上野介の目から見てかなり低額で、それに上野介が口を出したとも言われ、また贈答品の相場や重要性までもが十八年前とは打って変わっていたことに、内匠頭があまり注意を払わなかったということが、諍いに輪をかけたこともあり得る。

 赤穂事件の重要な文献とされる「江赤見聞記」には、江戸留守居役の家臣が「吉良上野介には相応の付け届けをするべき」と数度にわたり進言していたが、内匠頭自身が「終わった後でならいくらでもすれば良いが、事前に行う必要はない」と却下したという記録があり、内匠頭自身は、前もって贓品を送ることを快く思っていなかった節がある。


 なお、浅野内匠頭の辞世の句として有名な


「風さそふ 花よりもなほ 我はまた 春の名残を いかにとか(や)せん」


 は、刃傷後の浅野内匠頭を取り調べ、切腹時の検使役の一人であった多門伝八郎重共おかどでんぱちろうしげともによって書かれたとされる「多門伝八郎覚書」に登場するが、筆者の多門は言動不一致の人間とされ、他に記した「多門筆記」も含め、これらの書物には実際に赤穂事件当時に書かれたものとしては誤りが多い。

 また赤穂事件を題材とした最古の「忠臣蔵」物語と言われる「播磨椙原はりますぎはら」に酷似した句が出てくるため、この内匠頭辞世の句とは、後世の創作ではないかとも言われている。



吉良上野介義央きらこうずけのすけよしひさ

 高家肝煎・左近衛権少将

 「鸚鵡籠中記」を筆頭に、いくつかの文献に「賄賂をむさぼり、貢物や付け届けを強要する」「賄賂の少ない者には嫌がらせをする」という批判があるが、ほとんどが伝聞や噂として書かれており、どこまで信ぴょう性があるかは不明。

 ただし、これらが出てくるところを見ると、こういった人物と見ていた人間もいたということであり、また刃傷に遭ったことが京に伝わると、付き合いのあった公家衆がこぞって喜んだという記録も遺っているため、誰からも好かれる人物だったとも言えない。

 十九世紀に編纂された徳川幕府の公式史書である「御実記(徳川実記)」には「吉良上野介は賄賂をむさぼり、浅野内匠頭がこれに応じなかったため、様々な連絡事項をわざと伝えず、内匠頭が失敗することが多かった」とあるが、事実としたら勅使饗応という幕府の一大行事では大変なことであり、元禄十四年当時にこれらが表ざたになっていないところをみると、やはり後年になって後付けされたものと思われる。


 高家肝煎として随一の知識、経験があったことは事実で、江戸幕府も重用しており、いわば当時の大御所、カリスマ的存在であった。

 そのため、大名諸家がこびへつらう場面も多かったであろうし、付け届けも多くあったと考えれば、うわべでは納得して追従していた者が、殿中での刃傷を境に一気に手のひらを返し、それまでのうっぷん晴らしと、こぞって吉良上野介の悪評を流し、批判的になったとも考えられる。

 なお、すべての大名が吉良家に批判的ではなく、討ち入り当日に助成を送った津軽家や、伊達家は吉良上野介に同情的で、付き合いの良かった大名もいたことになる。

 また、浅野内匠頭が傾注した山鹿素行は、吉良上野介とも昵懇の間柄で、たびたびの付き合いがあったと伝えられている。


 高家旗本とはいえ知行は四千二百石で、そのうえ他の高家よりも抜きんでて多く京へと参内しており、それらの費用も関係したであろう結果、上野介が当主の頃には財政は事実上破綻しており、上杉家から莫大な借金の肩代わりや屋敷の普請費用も出してもらうなど、非常に苦しい台所事情であった。この援助によって上杉家の財政もひっ迫し、上野介は上杉家からも疎んじられた。

 また上杉、吉良両家の財政難のために、上野介は朝廷への遣いの回数を減らすことや、吉良家から他家への挨拶、贈答を控えたいと、当時の老中である大久保忠朝に申し入れている。

 加えて勅額火事によって鍛冶橋の屋敷を焼失し、せっかく新築した呉服橋の屋敷から赤穂事件によって本所の古屋敷へと転居させられ、屋敷は普請(修繕)中であったといわれるが、これによってもお家事情は大打撃をこうむったことだろう。


 そう考えると、財政難で火の車の吉良家にとって、高家肝煎として入ってくる金銭は無くてはならぬものであり、その多少は死活問題にも直結するほどの重要事項だったはずである。

 そもそも当時は賄賂、付け届けが当たり前の時代だったため、そんな中でただ一人、杓子定規にかまえた浅野内匠頭に違和感を覚えたということは考えられる。


 なお、領地では名君主として評判が良かったという説もあるが、根拠はなく、自分の領地の殿さまが悪く言われるのを領民が好まないのは当たり前なので、実際のところは不明である。

 浅野内匠頭が饗応役を命ぜられた当初は江戸に居らず、その間に浅野家が独自に接待の中身を整えていたとすれば、自分たちだけで十分に勤め上げられると思った浅野家と確執が生まれたのも無理からぬことではないだろうか。


【二人の間の確執について】

 この二人の間に、浅野内匠頭が言った「禍根」「意趣」があったとすることはおおむね間違いないだろう。ただし、それが吉良上野介が意図的に行ったか否かは、一概に決めつけることはできないと思う。

 上野介の目的が、浅野内匠頭に自分の権威を分からせ、改めて付け届けをさせることであったとすれば、内匠頭個人に対する過剰に陰湿ないじめは、自分にも害を及ぼすことはあっても賄賂の補填にはつながらないと予想できたはずである。また、財政破綻状態で自らが他家への贈答を行わないと公言していた上野介が、そこまで大上段に立って賄賂を要求したとも思えない。

 記録には見られないが、どこかで上野介から内匠頭に対して嫌味、悪口があったとすれば、上野介が何気なく言った一言が、たまたま内匠頭にとっては非常に憤慨するものであり、それが発端になった可能性は否定できない。


 私が思うに、浅野内匠頭という人物は、もともと他人にこびへつらったり、賄賂を贈って取り入ったりすること自体に思うところがあり、それが上野介の不在時に浅野家自身で饗応役の準備を進められたこともあって、増長してしまったのではないだろうか。 

 だが、それは吉良上野介にとっては収入減へとつながりかねず、何より恐れることであり、自分がないがしろにされつつあると危機感を募らせた。とすれば、上野介はどうにかして内匠頭に自分の存在を誇示せねばならず、とかく浅野家の采配に口を出すこととなり、そこには嫌味に聞こえる言葉も入ってしまったのかもしれない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る