「元禄吉良鏡」むつみのレポート 序文

 私、月森むつみは、現代へと戻ってきた後に、赤穂事件について改めて調べ直してみた。


 思えば、「忠臣蔵」という物語ほど、有名で日本人の誰もが知りつつ、その実、大変不可思議な展開を見せるものもないかと思う。


 そもそも、発端は赤穂藩の主君浅野内匠頭が江戸城内にて刃傷に及んだこと。相手は高家肝煎、勅使饗応役指南の吉良上野介。

 それは誰もが知るドラマであり、上野介が内匠頭に散々なぶるような罵声を浴びせ、腹に据えかねた内匠頭が切りかかる、というのが筋立てだが、これは所詮、大名二人の喧嘩であり、家臣にしてみれば大迷惑な話。

 内匠頭が即日切腹となり赤穂浅野家が改易となって赤穂藩の侍が路頭に迷ったとしても、正直当時の状況から見れば、なぜ浅野内匠頭が江戸城内という禁忌の内裏で刃傷にまで及んだのか、それは結局内匠頭の心のうちに頼らざるを得ない。ところが、それこそが全く誰にも分らぬうちに刃傷事件自体が無理やり幕引きとなってしまったことが、後々にまで禍根を残し、ついには赤穂浪士の吉良邸討ち入り、吉良上野介および家臣の殺害、そして最終的には赤穂浪士全員(行方不明の寺坂吉右衛門を除く)の切腹と、吉良家の領地没収、改易へと至ってしまった。


 当時の記録から察すれば、吉良上野介が何をしたとしても、当日の行動は内匠頭の計画的犯行であり、それがもとで浅野家を取りつぶすことにはなったものの、それを上野介が目論んだというわけでもない。


 ところが、その矛先が上野介のみならず吉良家にまで及び、公儀からは建てたばかりの呉服橋の屋敷から江戸の端、本所の古びた屋敷にとばされ、一年九か月後に赤穂浪士の討ち入りによって上野介本人は討ち取られ、多くの死傷者を出し、後継ぎの左兵衛義周までが大けがを負うという自体になってしまう。

 のみならず、江戸の庶民はこれをたいそう歓び、面白おかしく各種の戯曲に仕立て上げたというのだから、元来の日本人が持つ判官びいきが、なぜかここでのみはかなり歪んだ形で仕立て上げられていったと、強く思う。


 そのうえ、赤穂の義士四十七人の一人一人は、名前、年齢、官職、エピソードに至るまでが克明に記録されているにもかかわらず、吉良家の人物はほとんど記録がないという事実。

 もちろん、現代の犯罪よろしく、生きている加害者はさまざまに調べることもできるが、江戸の時代に、亡くなった者は過去の人物として限界があるのも理解できる。


 ところが、忠臣蔵における吉良家の扱いは、その範疇を超え、全くと言ってよいほどに記録がない。


 結局、吉良家の家臣なぞどうでもよい。その一言に付きるのだろう。


 「忠臣蔵」は赤穂浪士の仇討ちの物語。その仇とは吉良上野介に外ならず、その周りにいた吉良家の家臣は、いわばすべてが斬られ役のザコ、子ども向け特撮ヒーロー番組に出てくる、全員同じコスチュームの戦闘員として、個性もなく存在価値すらなく、ただただ赤穂浪士たちの見せ場を作る踏み石として存在する。

 ドラマでは、小林平八郎あるいは清水一学のみが中ボスとして存在し、二刀流で大活劇を演じ最後には討たれるが、これとて彼がメインではなく、あくまで主役は強者と闘い見事にこれを打ち倒す赤穂浪士であり、そのための敵役に他ならない。


 上野介から下々に至るまで、吉良はすべて悪でなければならない。

 世にも憎たらしい吉良上野介と、それを護り赤穂浪士に手向かう吉良の家臣団をまさに成敗しなければ、赤穂浪士の物語は成立しない。


 だが、本当にそれでよいのか。

 赤穂浪士に、討ち入りまでの艱難辛苦があったとして、同じ時間を生きていた吉良家の人々には生活がなかったとでもいうのだろうか。


 討ち入りで死んだ吉良家の家臣は、誰にも顧みられない。

 彼らにも武士としての矜持があり、主君を護り死んでいった彼らへの手向けとして、私が調べ考えたことを、この機会に書き記しておきたいと思う。

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