エピローグ 目覚めた日
なんだか頭がぼーっとしている。
どこかに寝かせられている。
ここはどこだろう。うっすらと目を開けると、視界に入ってきたのは白い天井と、それを取り巻くような形のカーテンレール。
――こんなもの、江戸時代にあったかな。
そう思っているうちに、少しずつ頭がはっきりしてきた。目に映っているものは、江戸時代のものなんかじゃない。身体には柔らかい布触り。吉良家の布団ではなく、化繊のシーツと上掛けだ。
枕の上でゆっくりと頭を動かすと、傍に大きな機械があってモニターでは何色もの波型の光が動いている。腕には点滴のチューブ。
そこに至って、やっと頭の中が整理できた。
思わずガバッと起き上がる。その拍子に、頭にくっついていた何かのコードが外れたらしい。機械が変な音を立て始める。
と思ったら、カーテンがさっと開いて、白い服の女の人がのぞき込んできた。
「あっ、目が覚めたね!」
看護師だった。
私はまた寝かされて、コードを元通りにされた。その頃には他の看護師やお医者さんも来て、機械のデータを見ながら、気分はどうかとか、頭は痛くないかとか、いくつもの質問をされる。
「いいよ。会わせても大丈夫だろう」
お医者さんの言葉に看護師さんがどこかに立ち去って、しばらくすると誰かを連れてきた。
「むつみ!」
「あ……お母さん」
「ああ、よかった!」
お母さんがそう言って、笑顔のまま泣き始める。しきりに
そういう私には、何が起こっているのかまだ分からないんだけど、たった一つ、明らかなことがあった。
――戻ってきた。
どうやら、図書室で倒れたまま発見されてから、ずっと意識がなかったらしい。
やがてお父さんもやってきて、良い年をしたおじさんがお母さんと同じように、よかった、よかったといって泣きそうな顔でやっぱり私を見ていた。
ベッドに寝かせられたまま、両親に訊く。
「今日……何月何日?」
「十二月十八日よ。あなた、半月以上も目が覚めなかったのよ!」
「……十八日」
あのお屋敷での最後の記憶が十七日。三百年後に戻ってくるのに一日かかって翌日か。いや、グレゴリオ暦だと一ヶ月半くらい差が出るから……
いいや。そんなこと。今がもとの時代だということで。
そこから、あの元禄の吉良屋敷でのことが思い出されてきた。
全部夢だった、とは思えない。私は確かにあの時の吉良様のお屋敷にいて、みんなに会って、しゃべって、一緒に暮らした。
ご隠居の上野介様、笠原さん、鳥居様、齋藤様、小堀さん、権十郎さん、松竹さん、春斎さん。
そして、左兵衛様。
目の中が熱くなっていく。
泣き出した私をお母さんが抱きしめる。たぶんお母さんが思っている理由とは全く違う理由で泣いているな、と自覚していた。
――神様だか仏様だか知らないけど、ずいぶん意地悪なことしてくれるじゃない。
何が何だか分からないうちに元禄に跳ばされて、それまでの私にとって、ただの時代劇のやられ役だった吉良家の方々が、目の前にいて、みんなまじめに暮らしていた。悪い人なんていなかった。斬られてもいい人なんて一人もいなかった。
最後に左兵衛様と交わしたあの時のあの気持ち、あの決意、あれは本心だったのに。
高校二年生女子の乙女心と初恋と、ううん、それ以上の一世一代の恋物語は、結局遂げられないままに、また現代に戻された。
意識が戻った私はまたいくつか検査を受けて、ようやく問題はないと診断された。でも二週間の入院の間ずっと点滴で暮らしていたから、身体が弱っていて、食事をおかゆから一般食へと徐々に戻して、リハビリもして、三日後にほぼ元通りになった。
それからまた三日後。クリスマスイブの日。
私は学校へと登校した。クラスメイトたちが駆け寄ってくる。みんなが私を取り囲み、心配したよー、治ってよかったー、と口々に声をかけてくれる。
左兵衛様の言葉がよみがえった。
――その正しき穏やかなる世にて、そなた自らの日々を過ごしてほしい。
意識が戻ってから、私は改めてインターネットでいろいろと検索したり、図書館で赤穂事件のこと、吉良家のことを調べ直した。
そして気づく。
吉良家の記録はほとんどない。
赤穂浪士四十七人は名前も履歴も、多少はお芝居などの影響があるかもしれないけれど、ほぼ忠実に残っている。でも当時の吉良家の記録はほとんどない。たまに見つけたと思えば中身はばらばら。お歳もお役目も亡くなった場所も、それどころかお名前ですら、記録、文献の一つ一つが合致しない。
忠臣、義士として語られ続けた赤穂の浪士に比べ、吉良家は
あの日事件に巻き込まれたお屋敷の人々は、生き残った方のみならず、主君を護り亡くなった方々までもが死後もそのレッテルを貼られ、周囲、親族でさえも関わりを隠した。
あの十五日の大わらわでの検分とも相まって、正確な記録と呼べるものはとても少ない。
いったい彼らは何を護り、何と闘い、何のために死んでいったんだろう。
今にして、私は思う。
左兵衛様は、赤穂の浪士には忠義の志士として仕官も叶い、みんなに生き続けて欲しかったのではないだろうか、と。
江戸中の嫌われ者となり、身の置き場の無くなった吉良家。
自分が祖父の子として養子縁組をし、図らずも継ぐこととなった
十七歳の左兵衛様は、浅野内匠頭様と同じように、武士の面目や意地というよりも、清廉潔白に生きられたならどんなに良いことかと、心の内には理想を描いていたのかもしれない。
ならば、赤穂の浪士に仇と打たれ、彼らの本当の心はどうあれ、忠臣として世に返り咲く。それこそが武士の本懐、面目躍如のいわば踏み石として、彼らに自らの思いを託していた、と私は信じたい。
放課後、私は図書室へと行った。顧問の先生や司書の人たちに、倒れてお世話になったことへのお詫びとお礼を伝える。
堀部さんと目が合った私は、あの日のことを尋ねた。
「そういえば、私が倒れたとき、古い本が落ちていませんでしたか?」
「ああ……あの吉良義周の?」
「えっ⁉」
吉良義周? じゃ、あれは、左兵衛様が書いた本?
「あの本は、どこにあったの? 目録にもないし、どうしてあの部屋にあったのか分からないけど、大学の先生がどうにか解読したら、吉良家のものらしいって」
「み、見せてもらえますか!」
思わず声を挙げた私に、堀部さんはびっくりしつつも連絡を取ってくれた。
大学の研究室を紹介され、飛ぶようにして構内へと入った。歴史文芸や古文書の研究室に通されると、見つけた本人であることを告げる。優しい顔の先生は、穏やかに頷くと、私にあの本を見せてくれた。
「
「は、はい。もちろんですっ!」
大きく頷く私に、先生はちょっと不思議そうな顔をしながらも続けた。
「日記のようなものだと思う。ほとんど読めなくなっているが」
先生が、手袋をはめた手で慎重にページをめくる。残念ながら保存状態が良くなく、字もかすれていてやっぱり私にはほとんど読めない。
先生が、そうそう、と言いながら最後のページを開いた。
「ここにね、和歌がある。出来はともかくとしてちょっと面白いよ。恋の歌だ。ほんの一時出会ったらしい女性に、別れた後の思いを送ってある」
私は怪訝な顔をした。
最後のページ? 確か見つけたときに最後まで開いてみたけど、そのページには何も書いてなかった。まっさらなままだった。
でも、先生に言われて見てみると、確かに最後の紙面に文字がある。あの時にはなかったはずの文字が書いてある。
なぜか、その和歌の文字だけは、かすれた書の中でくっきりと、そして私にも読めた。
うたかたの 振る袖もなき あまをとめ 思ひつなげよ むつみ永きに
ドキッとした。
顔に熱が上がってくる。頬が熱くなってくる。
そんな私に先生が言った。
「それと、これ」
指が示したところに、絵が描いてある。お椀のようなものから湯気が立っていて脇には、文字が。
あまさけ
先生がくすくすと笑う。
「義周は、甘酒が大好物だったようだね」
しばらくそれを見つめていた私は、ふっと口元を緩めると、先生に向き直った。
その言葉を笑顔で言おうと思ったはずなのに、何故か両目からは涙がぽろぽろとこぼれ出た。
「いいえ、先生。吉良左兵衛義周は、甘酒が大の苦手な方でした」
戸惑う先生の前で涙をこぼし続ける私を、今も左兵衛様がどこかから微笑みながら見ているような、そんな気がした。
― 元禄吉良鏡 むつみの物語 完 ―
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月森むつみの物語は、三十一話にて一端の終幕となりました。お付き合いいただき、誠にありがとうございました。
ですが、この物語は、そもそも「忠臣蔵」として語られる赤穂事件において、その発端となった殿中松の廊下での刃傷に関する筆者なりの考察と、そして物語中、全くと言って良いほど取りざたされない吉良家の状況の周知を目的としております。
そのため、物語の最後を締めくくる次回からの文章は、赤穂事件を題材としたこの「元禄吉良鏡」のもう一つのエピソードであり、むつみの体験をさらに深く味わっていただくためのスパイスとしてお送りいたします。
どうか、蛇足などとおっしゃらず、いましばらくお付き合いください。
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