十二月十七日 その二

「まこと、たわけた世よ。この吉良家のつまらぬ意地と面目を大事に、身は多くの者を冥途に送ってしもうた。父は今頃、地獄で身が来るのを待っておろうな。二人して劫火に身を焼かるる。それは覚悟の上。不憫なるは、吉良を思い散っていった忠臣たちこそ。この期に及び身の命を捧げて詫びる外、もはや成す術を持たぬ」


 左兵衛様が声を絞り出す。


「所詮は武家の面目、意地の張り合いよ。吉良も赤穂も同類、同罪であろう。いや、これは公儀、お上さえ同じことよ。身もそのうちの一人。関わったすべからくの者が、父や赤穂浪人と違わぬ道を歩み、遠からず冥途へと至るであろう」

 左兵衛様が、とんでもない言葉を口にする。徳川将軍までの非難。でもそれは、まさに内匠頭が最期に語った言葉と重なるのかもしれない。


「むつみよ。もしそなたと出会わなければ、身が今の言葉を口にすることもあたわなかったはず。身の心の内は誰にも知られず露と消えていた。身はそなたのみに話す。いや、そなただからこそ、身の心を知ってほしい」


「左兵衛様!」


 自分でも分からないうち、私は左兵衛様に抱き着いていた。


 背中の傷に障ると気づいたのはその後だった。慌てて体を離そうとした時、左兵衛様の手が私の背中に回された。


 左兵衛様の声が、耳のすぐそばから聞こえる。

「まこと、女子おなごよ」


 身体が止まり、左兵衛様と抱き合ったままの時が流れる。


「そなたの生くる世では、身分家柄にかかわらず、このように心を通わせらるるものであるか?」

「……はい」

「身も、そのような世に生を受くることが叶えば、違った一生を送れたやもしれぬな」


 左兵衛様の言葉が、これから先の自分の運命をすでに知っているように聞こえる。


 討ち入りの騒動において前主、隠居の上野介様を討たれ、武家として士方不届しかたふとどき武道不覚悟ぶどうふかくごを問われた三河吉良家は、二ヵ月後に所領を召し上げられ改易。当主の吉良左兵衛義周は、信濃の国、諏訪藩へと流され、幽閉同然の身となったのち三年後に病死する。

 一方的に討ち入られた吉良家は、松の廊下の一件とは手のひらを返したような裁きで責任を取らされた。同時に赤穂四十六人には切腹が申し渡され、幕府は自分たちの蒔いた種の結果を、すべて当事者たちに押し付け事態の鎮静化を図る。


 この後も、討ち入りの傷がもとで亡くなる方が出るはずだ。そして、赤穂四十七士が武士のかがみともてはやされる一方、討ち入りに参加しなかった元赤穂藩のお侍たちは恥さらしと罵られ、何人もが自害する。


 何かがねじれていた。

 今さら言っても仕方ないが、それがもとで数えきれないほどの人たちが人生を狂わされ、八十名近い方が犠牲になる。


 その責任が、この十七歳の左兵衛様にあるというのだろうか?


 私は、左兵衛様の耳元でそっと囁いた。

「左兵衛様……あと七日で『クリスマス』がきます」


「くりすます? とは、なんであろう」

「一年に一度、誰もが願いを叶えてもらえる日です」


「さような日があるのか? まこと、そなたの生まれし世は良いものであるな」

 左兵衛様がふふふ、と笑う。

「むつみよ、そなたは何を願う?」


「……そうですね。左兵衛様が甘酒をお好きになられますよう、お願いいたしましょうか?」

 枕元に置かれた甘酒の器に目をやりながらささやく。

「ううむ……それはまた、なんとも豪胆な願いであるな」

 耳元でうなる左兵衛様の顔つきを想像して、ちょっと可笑しくなった。

「あの卵の焼き物とツナ揚げとやらにはならぬか? あれならば日並みに出されても文句はないぞ」

 左兵衛様のちょっと冗談めかした言いように、私も微笑む。


「はい。あれならばいつでも調じましょう。ですが、今の左兵衛様には滋養が何より。甘酒は重ねてお召し上がりくださいませ」

「……詮無いのぅ。だが、むつみの言うことなれば、聞かぬわけにはいかぬな」

 温かな手が私の髪を撫でている。抱き合ったまま、私は子どもに言って聞かせるように口にした。


「左兵衛様は、何をお願いされますか?」


 私は、覚悟とでも言うようなものをしていたと思う。

 もし左兵衛様がずっとここにいて欲しいと言ってくれれば、それでも良いと思った。

 一時の同情? 吊り橋効果? 言いたいヤツは言え。

 そもそも、出会いなんていうのはそんなものから始まるはず。それを二人で育てて、大きく深くしていくんだ。

 今は、この人と一緒にずっと穏やかに暮らせたら。もし私が傍に居たら、この人の人生を変えられるかもしれない。

 本気でそう思った。

「……むつみ。七日なぞ待つことはない。身の願いは一つ。すでに決めておる」


「お聞かせください。左兵衛様のお心の内を」

 身体を預けたままの左兵衛様に、ねだるような声で言う。


 ほうっと、静かに漏れる息遣い。左兵衛様の身体が決意を込めたように硬くなる。熱ともいえるものが伝わってくる。

 私は、どんな言葉でも受ける気持ちで、待った。


「神か仏か……身の願いが叶うならば如何なる者でもよい。願いは唯一つ。むつみ、そなたを元の世に戻すべし」


「さ、左兵衛様!」

 思わず体を離すと左兵衛様の顔を見た。


「むつみよ。そなたがこの元禄、吉良家に参ったのは、紛れもなく身のためぞ。天が、身の心を安んじさせるために遣わしたのだ」

 穏やかに微笑むお顔が目の前にある。

「まさに、そなたは天女ぞ。甘酒あまさけをもったあま乙女をとめなるな」

 左兵衛様の目が潤んでいた。


「だが、そなたは元の世に戻らねばならぬ。その正しき穏やかなる世にて、そなた自らの日々を過ごしてほしい。父も、その思いであったはず」


 言葉もなくただ左兵衛様を見つめる私の身体が、突然ぼうっと熱くなっていった。体中が光るように透けていく。あの時と一緒だ!

 左兵衛様も一瞬驚いた顔をして、でもすぐにあの穏やかな笑顔に戻った。


「礼を申す。そなたと出会えたことで、身は心のつかえが下りた。この先いかなる運命さだめとなろうとも、そなたのことは片時も忘れぬ!」


「左兵衛様!」

「さらばだ! 身体をいとえ。父母とはつつがなく暮らせ。そなたの幸いを願っておるぞ」


「さひょうえさまぁーっ!」


 ああ、なんだか身体がぼうっとして、フワッと浮いた感覚があって、意識がなくなっていく――

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