十二月十七日 その一
上野介様のお首と身体は繋ぎ合わせてお弔いすることとなり、ご
栗崎道有と言えば、浅野内匠頭刃傷の折にも吉良上野介の怪我を手当てした人物のはず。でも家臣の方々のお話では、刃傷の時だけではなく、その後も吉良家や上杉家から頼まれて、しばらくは上野介様の主治医となり治療に通っていたそうだ。
怪我の手当てをして命を助け、主治医として付いた方が結局は殺されてしまうなんて、どのように感じているだろう。
昼過ぎ、左兵衛様に呼ばれた私は、寝所とされているお座敷へと向かった。
斬られた背中の怪我は思いのほか深く骨まで達していたそうで、ずっと寝たきり。それでも、上野介様亡き後、吉良家当主として今回の事件の矢面に立たねばならず、しばらくは上杉のお屋敷にも行けない。
食事もままならず、甘酒を文句を言わずに飲まれている。
お部屋に入れていただくと、左兵衛様は布団の上に半身を起こしていた。
「すまぬの。もそっと近う参れ」
お人払いを命じて二人きりになると、いつかの上野介様のように私を呼ぶ。布団の脇までにじり寄った私に、左兵衛様は穏やかな顔を見せていた。
「父上の
「そのようなお言葉、勿体のうございます」
左兵衛様は、自分を落ち着かせるかのように静かにうなずいていたけれど、だいぶたってから私の顔をまっすぐに見た。
「むつみよ。
その質問の答えにしばらく考える。ありのままを伝えるべきか、言葉を選ぶべきか。でもその時、上野介様の言葉がよみがえってきた。
――ありていに、存じよりを申せ。
家臣が気を遣い、本当のことを伝えないお殿様。今にして思えば、浅野内匠頭の周囲も同じようなものだったのかもしれない。
「……はい。私の知るものと同じです」
「では、これが、この後
「……はい」
「左様か」
取り繕うこともできずにいたけれど、意外なことに左兵衛様は落ち着いた表情のままだった。
「良い。少しく気が晴れた」
気が晴れた。その言葉がとても気になる。
「……それは、どのような?」
「むつみよ。そなたがここに参った折の装束はいかがいたした?」
突然、左兵衛様が話題を変える。
「あ……はい。手元にございますが」
「いま一度身に着けてくれぬか。そなたのあの姿を、重ねて見てみたい」
「は、はい。ご所望とあらば」
あてがわれている部屋へと戻ると、風呂敷をほどいてセーラー服を引っ張り出した。下着はどうしようかと悩んだけれど、スカートを穿くなら必要だし、そうなれば上も着けないと心地が悪い。というより、なんだか左兵衛様が全部来た時のままにしろと言っているみたいで、結局下着から何から、すべてを来た時のまま身に着けると上履を手に下げ、左兵衛様の許に戻った。
「おお。やはりその装束が似合っておるな、その
お座敷だったけれど、お殿様の言いつけには従わないといけない。風呂敷を広げ、はしたないのを承知で履くと全身が見えるように立った。
「うむ、
微笑む左兵衛様に、くるりと回って背中を見せる。なんだかファッションショーのモデルになったみたいで、すごく恥ずかしい。それでも左兵衛様は久しぶりに笑顔を見せ、満足げに何度も頷いていた。
やがて左兵衛様は自分の傍に私を招いた。お辞儀をして正座する。そんな私を、左兵衛様はなんだかすごく親しげなものを見るような眼で見ていた。
「むつみ……これより身が口にすべしこと。そなたの心一つに収めてくれるか」
「はい。お約束いたします」
いったい何を言い出すのだろう。ちょっとドキドキした気持ちで左兵衛様の言葉を待つ。
「そなたの父母は、この吉良家の顛末を伝える芸語りが
「はい」
「なれば、もし此度の討ち入りにて赤穂の者どもが首尾よろしからず、主君の無念を果たせずと相成っていたなら、
左兵衛様が何を言いたいのかよく分からなかったけれど、その話には同意して頷く。
でも、その次に続くお言葉を、左兵衛様はなかなか口にしなかった。思案しているかのように、少し眉根にしわが寄る。
しばらく経ってから、その口からぽつりと言葉がこぼれてきた。
「さすれば、赤穂浪人たちの芸語りなぞ、そもこの世に生まれぬであろう」
左兵衛様が何を言いたいのか、その先が分かってきたように思えて、でも同時に、それを聞いては、ううん、左兵衛様に言わせちゃいけないような気がして、私は口を開きかけた。
「むつみよ」
左兵衛様の呼ぶ声に、私の身体が固まる。
「もし、此度の顛末がそなたの生くる世に伝わるものと異なっておったとすれば、赤穂も吉良もその名は知れず、赤穂浪人の芸語りなぞこの世になく、されば、そなたの父母の縁はなかったやもしれず……」
左兵衛様が真剣な顔で私の顔を見る。
「されば……そなたもこの世に生を受けず」
その眼の奥に、何かが見えた気がした。
「かように、身とそなたとが出会うことも叶わなかったであろうな」
そう言った左兵衛様の顔から目が離せない。
左兵衛様は、私の目の奥そこにまで、何かを問いかけるようなまなざしを送ってくる。
「……左兵衛様」
その先の言葉が出ない。頭がぽうっと熱くなってくる。
「むつみよ。そなたと出会えたことは、身にとってこの世で何よりの至福と思っておる。斯様なときに何を戯れ言を、とは申すな。父上や家臣に何と申し開きすればよいかもわからぬ。だが、言わずにはおれぬ……身にもこのような心を抱ける日が来ようとは、まこと如何なるものの引き合わせか」
私もです。
そう言いたかった。でも左兵衛様の表情に、なんだかその言葉が憚られるような気がして、私は何も口に出せなかった。
「口惜しくは、そなたとの交わりを
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