十二月十日

 私の胸の内を置き去りに、時は過ぎていく。

 いっそのこと、皆さんにすべてを教えてしまおうか。でも本当にそれができるのか?


 吉良家に赤穂浪士の討ち入りを伝えたら、茶会もなくなり上野介様は上杉屋敷に避難する。それを知れば赤穂浪士も討ち入りを取りやめる。忠臣蔵という物語自体がなくなる。とすれば、そもそも私がここにこうしていること自体がなくなる?

 パラドックスだ。


 甘酒をお持ちしようと左兵衛様を探すと、お屋敷中ほどの縁側からお庭を眺めていた。


「いかがなされました?」

「むつみか……庭の牡丹が見頃となったによって」

 左兵衛様がお庭に目を戻す。

 普請もままならないこの吉良屋敷で、お庭だけが風雅に手入れをされているのは、茶人としても名の通ったご隠居の上野介様の指示によるものだ。

 日本庭園なんてじっくり見たことはないけれど、改めて見てみると、いわゆる風情や趣きというものが感じられて、私はほうっと長い息を吐いた。


「冬の花もまた見事であるが、今日は少しゅう寒いな」

 そう言って障子を閉めた左兵衛様に、はっと気付いた私は言った。

「しばし、お待ちくださいませ」


 部屋に戻ると、風呂敷包みからスマホを取り出す。パワーオンにするとお庭に回って、何枚かの画像を撮った。

 左兵衛様の許へと戻る。

「おお、あの南蛮渡来の仕掛け板であるな」

「はい。左兵衛様、これを」

 写したお庭の花の画像を出して、左兵衛様にお見せする。


「これは見事! まさしく現のものと見まごうばかりの絵であるな」

 スマホの画像をしげしげと見つめる左兵衛様に、私まで嬉しくなってくる。


「むつみよ。この絵であるが、他にもあるや? 身は、そなたの世の仔細を見てみたい」

 左兵衛様の言葉に、ちょっと考える。

 大丈夫かな。二〇二〇年代の風景なんて見せて、カルチャーショックで失神したりしないだろうか?

 でも、バッテリーはもう半分を切っているし、そのうち動かなくなってしまうことを考えると、左兵衛様にも教えてあげたいと思った。

「あ……はい。何枚もございます」

「見せてはくれぬか?」

「かしこまりました」


 保存されていた画像を呼び出して、一枚ずつ左兵衛様にお見せする。

 私とクラスメイトのおバカなフォト。テーマパークではしゃぐ私たち。道端で撮ったネコ。東京スカイツリーには、左兵衛様が目を丸くして驚いていた。

「なんと! これがこの国の行く末か……そなたの世には、武家も町民もなくなるか」

 お侍という身分制度がなくなることをどう思っているだろう。

 でも心配する私の横で、左兵衛様はむしろ無邪気に、世にも珍しいものを楽しげに見ているようだった。


「身にも動かせようか?」

 そういう左兵衛様にスマホを渡し、二人で覗き込むように見ながらフリックの仕方を教える。

「そうです。そのようにして」

「か、斯様かようにか?」

 たどたどしく動いていた左兵衛様の指が、だんだんとさまになってくる。少し安心した途端、左兵衛様のお顔が、息がかかりそうなほど近くにあることに気づいて、私はパッと身体を離した。

 顔がほてってきて視線を部屋の中にずらす。自分の心の中に、何かが生まれている気がする。


「む……むつみよ」

 左兵衛様が呼んだ。

「は、はい」

 答えたもののお顔が見られない。が、おかしな空気に気づいて視線を戻したら、左兵衛様が、スマホをガン見したまま身じろぎもできなくなっていた。

 不思議に思って画面を覗き込む。 


 そこにいたのは、水着でポーズをとりピースサインを出す私。


「ぎゃぁぁぁーっ!」


 あわててスマホをひったくる。夏、学校のみんなでプールに行ったとき撮ったヤツだ!

 

 後ろに隠したスマホを指さす左兵衛様が、驚きのあまり震えている。

「……今、見しものは」

「な、何でもありませんっ!」

 これが平成や令和だったら、私もここまで過剰な反応はしない。だけど、この江戸時代であの露出度は、アダ●ト雑誌なみだ。

 それに、正直言って私の身体はまだ発展途上。自信をもって見せられるサイズでもない。 


「むつみよ、左様な格好を日ごろより……」

「ちがいますっ! これは、その、夏の行水のような……」

「後ろに、おのこらもおったようだが……皆で浴びるものか?」

 そう言われて、言葉に詰まる。この時代の人に、私たちの時代の文化を伝えるのは無理。苦し紛れに私は言った。

「こ、心を許した相手とでございましたら……」

「なれば、そなたには左様な相手が⁉」

「いいえ。おりませんっ!」

 大声できっぱり否定したけれど、収拾がつかなくなってきた。


「そ、そうです。左兵衛様。これより入ってみましょう」

 自分を落ち着かせるように私は言った。

「冬場に行水をか?」

「いえ、わたくしにお任せくださいませ」


 逃げ去るようにお部屋から出ると小姓の方々に事情を話す。同意した皆様が、ほどなくしていろいろと準備してくれた。


「失礼仕ります」

 たすき掛けにして左兵衛様のお座敷に戻った私。手には大きなたらい

「さても、何をいたす?」

 目を丸くする左兵衛様に言った。


「足湯にございます」


 左兵衛様を縁側に座らせると、沓脱石くつぬぎいしの上に盥を置く。小姓の方々が桶にお湯を運んできた。それをザブンと盥に入れて、準備完了。


「左兵衛様、おみ足をお浸けくださいませ。温まります」

 足袋を脱がせて両足をお湯に入れさせる。

「お加減は如何でございましょう?」

「なるほど……良い心地だ。これならば庭も楽しめる」

 手拭いをお湯に浸すと、左兵衛様の足を優しくぬぐう。


 そんな私を見下ろす左兵衛様の視線を感じる。ちらっと盗み見るように顔を上げると、左兵衛様と目が合った。微笑む左兵衛様にまた視線が泳ぐ。


「むつみよ、そなたは寒うないか。そなたもぬくんではどうか」

「は、はい。後ほど」

「良い。ここに入れ。身一人にはいささか大きい」

 そう言って、左兵衛様が足をずらした。

 え? この盥に一緒に入れって。お殿様と? いやいや、それは。


「早うせい。そなたの友とは左様にいたすのであろう?」

 皮肉っぽく言うところを見ると、さっきの話をまだ引きずっているらしい。仕方なく左兵衛様の脇に腰を下ろすと、おずおずと着物の裾をたくし上げ、そうっと足をお湯に浸した。


 普段スカートを穿いていた私にしてみれば、ひざ下を出すことなんかなんでもない、はず。

 それが、左兵衛様に裸足を見られて、同じ盥のお湯に入れていることが何だかすごく恥ずかしい。

 どうしてこんなにドキドキするんだろう? 


「……心地よいの」

 そんな私に気づいたのかどうか、のんびりと口に出す左兵衛様。

 私の身体がホカホカしてきたのは、足湯のせいだけではないのかも。


 心があっちこっちに跳んだり跳ねたりしているところに、庭先からお声がかかった。

「殿、今しがたてました湯でござい、ま……」

 宮石新兵衛みやいししんべえ様だ。中小姓のお一人で一番若い。私たちの姿を見て動きが止まる。

「あっ! これはっ、し、失礼仕りました!」

 桶を置くと慌てて身をひるがえす。


「あっ! いえ、これは……その、違うんです!」

 ざぶっとお湯を蹴って上がろうとした私の手を、左兵衛様がいきなり握った。

 ドキッとして振り返る。


「よいよい……そのままに。しばしこうしておれ。身の願いだ」


 そう言って笑う左兵衛様のお顔が、今までよりちょっと大人びたように見えて、私は言われるがままにまた腰を下ろした。


 のんびりと足湯をしながら、お庭を眺める。車の音も、TVからの声も、隣近所の喧騒も、なにもない。シーンと静まり返っているけれど、寂しいというものでもない。暮らしている人々の息遣い、ゆったりと流れる空気、時間というものに縛られない生活が、ここにはある。

 お屋敷の方々とも、次第に仲良くなっていく。

 そして何より、隣にいる若き吉良家の当主、左兵衛様の将来が気になっている。


 その晩、私は一つのことを決めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る