十二月十一日
私は、一人でお屋敷から出てみることにした。
とにかく、情報収集がしたい。何かが進行しているのか、それを自分の目で確かめたい。
裏門に回ると、門番の六郎衛門さんが不思議そうな顔をした。
「むつみ様、お一人でお
「はい。遣いを頼まれまして。その先まででございますから、ご心配なく」
門をくぐると、権十郎さんに教わった通り左に向かってまっすぐ進む。
ここが
元赤穂藩士の
頭は昨日のようにちりめんで覆っているけれど、どうやら
なるべく人目を惹かないように、川べりを散策でもしているような気持ちで、ちらちらとお店を見て回った。
お米屋さんなら、一目見れば分かるはず。
でも、それらしきお店はないし、米屋とか五兵衛とかといった看板も
もちろん、小堀さんに聞いた米屋五兵衛という人が、本当に前原伊助であれば、だけど。
何しろ、忠臣蔵自体がフィクションを織り交ぜた物語なのだから、どこまでが事実であるかは分からない。ドラマなどでは、米屋に化けた前原伊助は吉良の家来に赤穂浪士のスパイではないかと疑われ、屋敷に連れ込まれて責められるシーンがある。
でもそれは作り話ということだろう。
仕方なく、目の前の乾物屋さんの店先に立っているご主人に声をかけた。
「恐れ入ります。こちらに米屋五兵衛様とおっしゃるお店がございましたか?」
「はぁ、お女中はどちらさまで?」
「あ……私は吉良のお屋敷にご厄介になっております。以前買い付けをしていたとのことで」
「吉良様の……えぇ、五兵衛さんならそっちにいなすったが、しばらく前に越しなすったねぇ」
ご主人が指さしたのは、今私が通って来た道の向こう。ということは、米屋五兵衛の店は吉良家の裏門までは目と鼻の先だ。
「お越しになった先はご存じですか?」
「日本橋の方っつってなさったかねぇ」
日本橋。
前原伊助は、確か日本橋のあたりに住んでいて、この本所に引っ越してきたはず。吉良家まで距離のある日本橋に戻るとは思えないし、とすると偽りか。
「五兵衛さんてお人は、どんな
と続けてみたが、ご主人は怪訝な顔をした。
「お会いんさったことはねぇんでございやすか?」
「ええ、わたくしは」
「さあて、どんな風体っつってもなぁ……なんてぇ言やぁいいんだか」
ご主人が言葉を濁す。会ったこともない米屋五兵衛を探す武家の女に、違和感を覚えたのかもしれない。
隣近所でのよしみで仲が良かったんなら、誤魔化したりはぐらかしたりするかもしれないし、どうやらあまり実のある話は聞けなさそうだ。
私は、そそくさと礼を言ってまた歩き出した。
でも、お米屋さんならいろんな人とお付き合いがあったはず。そう思いながら歩いていると、「めし」と書いた暖簾を見つけた。
中を覗くと、ご飯時でもないのでお客はいない。チャンスとばかりに、私は中にいた女将さんらしき人に会釈した。
「もし、ちょっとお尋ねいたしますが」
「へえ、なんでございましょ?」
「あちらの角に、五兵衛さまとおっしゃるお米屋さんがあったかと存じますが」
なるべく物腰穏やかに、笑顔で問いかけると、女将さんが店先まで出てくる。
「へえ、五兵衛さんねぇ、だいぶ
「そうですか……うちの者がずいぶんお世話になったとのこと。一言お礼をと立ち寄りましたが、いずれへお越しかご存じですか?」
「日本橋の方へってぇことでございましたかねぇ」
ここでも空振りっぽい。
めし屋を出て、さてどうしようかと考えながら一つ目の橋、現代で言う一之橋を背に、
そのまま通り過ぎようとして立ち止まった。
思い返して、その店に入る。さっきのめし屋と同じように、でも今度は違う品目でそこにいた手代さんに訊いてみる。
「もし、お尋ねいたしますが、こちらで
「へえ、小豆でしたら、もちろん仕入れてございやすが」
「
手代さんが、思い出すようにうなずいた。
「小豆屋の善兵衛さんでしたら、そっちの通りにいなすったが、
私の胸の中が、波打ち始める。
米屋五兵衛だけではなく、
そして、二人とも引っ越した。
礼の言葉もそこそこ、言われた通りに行ってみたが空き
一昨日、初めて江戸の町に出て、リアル江戸時代を体験した。あの時の高揚感はない。冬の寒さに、目の前の街並みがすべてモノトーンに見えて、働いている人たちと自分の間にも薄紙一枚隔てたような違和感を感じる。
江戸時代の冬は殊にほこりっぽい。
北風に吹かれて舞い上がるほこりに目を覆いながら、米屋五兵衛がいたという空き
ここにいたのが元赤穂藩の前原伊助で、その後を引き継いだのが小豆屋に扮した神崎与五郎なら。
不安な気持ちが湧きおこる。
他にも調べたいことがあったが、そのためにはもう少し準備がいる。
今日はお屋敷に帰ろうと、足を踏み出した時、傍に子どもたちが立っているのに気づいた。みんな着古したねんねこ。冬でも素足に下駄履き。前掛けを結んでいる子もいる。この辺りのお
「姉さまは、きらのお家にいるの?」
年かさらしい女の子が私を見上げて言った。先ほどの乾物屋での話を耳にしていたようだ。
「そうだけど」
「なんで、きらのお家にいるの?」
「迷子になって、お世話になっているからよ」
と笑いかける。
「それなら、番屋に行けばいいのに」
隣の男の子が、声を張り上げた。
「だって、きらこうずけのすけは、悪ものなんだよ」
後ろの男の子が言う。
「みんな言ってるよ。悪いことをしておあしをいっぱいもらってるって」
「だから、今にあこうのおさむらいがきて、やっつけてくれるんだって」
子どもたちに向ける自分の眼差しまでが、冬の風にさらされ乾いてしまったように感じる。そんな私の心に呼応したかのように、空から白いものがちらほらと舞い落ちてきた。
雪に気づいて天を見上げ、はやし立てながら遊びに興じる子どもたち。
私には、彼らにかける言葉がなかった。
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