十二月七日
朝、まだ暗いうちに目が覚めた。寝るのが早いから当たり前。
微かに物音が聞こえる。江戸時代の一日は、もう始まっている。いわゆる明け六つのころかな。
寒いし、布団から出たくない。お屋敷の方々に比べたら、何もすることのない私はすっかりナマケモノに映っているだろうなぁ、と思いながら、それでもしばらくは綿入れにくるまって夜が明けるのを待った。
やがて、外がほの白くなり、周りのものも見えるくらいになった。
意を決して布団から出ると、小袖を羽織り、そうっと廊下へと出る。トイレ、というかお
まさに、郷に入っては郷に従え。
武家の女性の洗面は屋内というが、そこまで厄介になりたくないし、令和の女子高生はもっとアクティブにならねば。
しばらくして松竹さんがやってきた。身の回りのお世話と言われても、髪も短く着物もありあわせの私にはさほど問題はない。代わりに、この時代の言葉や言い回しを教えてもらうことにした。まだまだ現代語とのちゃんぽんだけど、プライドの高い武士の皆さんに対して失礼の無いようにはしておきたい。
自分にも何かできないか、お屋敷にお世話になっているご恩返しにと思い、
台所を覗くと、朝餉の片付けも一段落ついた頃で、小堀さんを見つけて声をかける。
聞くと、義周様の朝餉は、湯漬けに香の物だけで済ませたそうだ。
確かに、お殿様が朝から寝込んでいては、困りものだろう。
江戸時代、白米が主食で庶民からお殿様までご飯はよく食べるが、肉食の習慣がない日本では栄養不足になりがちで、
「目先や味の
他の方がたも寄ってきて、みんなで思案顔。
「何か精の付く食べ物を……あ、卵などは
卵料理なら、私にも作れるかもしれない。でも、私の言葉に台所にいた人たちが顔を見合わせた。
「……卵」
「何か?」
「卵なぞ……滅多に手に入らぬ。そも当家の台所ではそうは買えぬものでござる」
「え? そうなんですか……」
「
奥にいた方がつぶやいた。
頭の中で計算する。元禄だと一
え? 四百四十円? 卵一個が、四百四十円⁉
この時代、まだ売り物の卵というものは流通していなくて、お百姓さんが、飼っている鶏が生んだと行商に来る時にしか買えないらしい。でも、やっぱり庶民の手にはそうそう届かないし、向こうも分かっているから、武家のように表向きは立派でも実際の家計が苦しいところにはほとんど売りに来ないそうだ。
皆さんの話を聞いていて、私は気になっていたことを思い出した。
そう。正直に言って、この吉良家、あまり裕福に見えない。
忠臣蔵で言えば、
でも、実際のこの吉良家、
お世話になっている身でぜいたくは言えないけれど、出される食事もどちらかと言えば質素。ご隠居の吉良上野介様にしても当代の義周様にしても、とてもお金が有り余っている暮らしには見えない。
高価とはいえ、お殿様に卵の一つも準備できない財政難の吉良家。今までのイメージが崩れる。
でも困った。
完全栄養食の卵が普段は食べられないとなると、あとは何だろう。甘いものなら元気が出るかも。家庭科の授業で習ったことを思い出して、うーんと考える。
「あの、さつまいもは?」
だけど、言われた台所の人たちはキョトン。
「薩摩、芋、でござるか?」
あちゃあ。誰も知らなかった。
そうか、青木昆陽がさつまいもの栽培を奨励したのは、八代将軍徳川吉宗の時代。五代将軍綱吉の時代に、まださつまいもは普及していない。
他に何か、何か、と考えていて、ぽっと一つ浮かんだ。
「それでは、
確か甘酒の栄養価は点滴と同じ、と聞いたことがある。
「甘酒か……だが、若殿は好まれぬのう」
甘酒は誰にでもよく飲まれるので屋敷内にもあるが、義周様は好きではないとのことで、みんなが顔を曇らせる。でも、せっかく栄養の高いものがあるのに、無駄にすることはない。好き嫌いを言っていては始まらない。
「では、私からお話ししてみましょう」
義周様の寝所に行くと、手前のお部屋で中小姓の
「何用か?」
「お殿様……」
「いや、
そう言って義周様、いや左兵衛様は少し笑った。
「お薬をお持ちいたしました」
「薬とな?」
蓋つきのお椀を差し出す。蓋を取った左兵衛様は、中を覗いて顔をしかめた。
「甘酒か……身はあまり好まぬゆえ」
「承知しております。なれど左様なことを仰せになっていては皆様が困ります。お薬と思って召し上がっていただかねば」
「これが薬か?」
「滋養がございます。お身体が温まります」
でも、左兵衛様は困った顔をするばかりだ。今のお顔は、まさに自分と同い年の男の子。ちょっと駄々っ子のように思えてほほえましい反面、しっかりしてほしいという気持ちにもなってくる。
私は、その顔を見て言った。
「左兵衛様は吉良家ご当主として、周りの皆に支えられ、ここにおわします。この器の中は甘酒ではございません。お屋敷の皆さまが左兵衛様を思うお心とお考えなさいませ。家臣の皆さまのお心を汲み取ることは、ご当主として大切なお役目のはず」
さあ、という勢いで勧める。
左兵衛様は私の言葉に面食らった様子で、しぶしぶ口にした。少し味わっていたが、飲み下すと私に訊く。
「……ふむ。先とは異な味のようだが」
「少しお塩を振りました。それに生姜も」
「む……これならば、少しは」
「冬の間は朝夕、
「ひ、日並みに? これをか」
「お薬と
ニコッと笑う私に、毎日飲むように言われて苦い顔の若殿様。
「むつみよ、そなた、
そう言われてぐっと詰まった私は、照れ隠しに口にした。
「今日は
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます