十二月十五日 その三

 皆さんの手当ても一段落し、左兵衛様のご様子が気になった私はお部屋へと戻った。ご家老の齋藤様がお付きになっていた。

 そこに、公儀の検使役が到着したと報せが入る。


 左兵衛様がゆっくりと身体を起こす。私が手を伸ばして支えたが、途中でうっと呻いて顔をひきつらせた。背中の傷がだいぶ重い。

「むつみよ、そなたは下がれ」

「ですが、左兵衛様はお怪我も重く、おそばに控えていたいと存じます」

「案ずるな。そなたの身上しんじょうが検使になぞ知られては、そのほうが大ごとぞ」


 そう言われてハッとする。この時代にそぐわない髪や物言いが不審な者と判断されれば、ご迷惑をかけることとなる。

「早うせい」

「……畏まりました」

 仕方なく、次の間に下がる。破れて半分ほどしか閉まらない襖の陰に座り込んだ。ここなら声も聞こえるし、様子も分かるはず。


 やがて、数人の人たちが入ってくる気配があった。

評定ひょうじょうの儀でござる。包み隠さずことの次第を述べられたし」

 続いて、身分を名乗る二人の男の人の声。どことなく上から目線に聞こえる。


「吉良家当主、左兵衛義周さひょうえよしちかにございます」


 二人の役人はそれぞれ、討ち入りの状況をあれこれと問いただしていった。


「……して、貴殿は浪士に立ち向かわれたのか?」

「はい。薙刀なぎなたにて立ち向かいましたが、不覚にも手傷を負いその場に昏倒。気を取り直し父の寝所しんじょに参じました時にはすでに遅く……」

「傷は面体めんていと背中でござるか。斬られて背を向け逃げ出し、気を失したとな」

 義周様の言葉に、役人がこれ見よがしの問いかけをする。


「は……面目次第もなく」


 背を向けて逃げ出す。武士にとってこの上ない屈辱の言葉だ。それでも左兵衛様はぐっとこらえて逆らわずに控えている。

 

「確か父君の上野介殿も額を斬られ、背を向けて逃げたところを内匠頭に斬られ申したな。父と子が同じ手傷を負うとは、これも因縁でござるかな」


 もう片方の検使の声が続く。

「貴殿は当吉良家のご当主。戦国の世になぞらえれば一国一城の主。それが戦場いくさばにおいて気をしっし、敵方が目指した父君の首級くびをあっぱれ取られ申したか……いや、まっこと親孝行とは難しいものでござるな」

 皮肉たっぷりの言葉に、でも左兵衛様は一言も言い返せない。


 年配の検使が言った。

「お家断絶と相成った赤穂浪人にとって、父君とともに当主である貴殿もまた主家のあだ。共に討ち取るつもりではなかったかの? それが浪士の前に昏倒しながら生き延びられたとは、いささかせぬともいえるが、いかがかな?」

「それは……いかなる意でございましょうや?」

 微妙なひと時の後に、検使の方の声が響いた。

「よもや、おのが父を敵に差し出し、わが身の命乞いなぞ致されたのでは?」


「滅相も無い! それがしは、そのような不義、不忠ものではない!」 

 左兵衛様が声を張り上げる。


 しばらくの沈黙の後、検使の人が静かに言った。

「いずれこの平生の世、まして上様お膝元の江戸表にてこれだけの騒動。赤穂の浪士はさておき、子が親をみすみす討たれるとは、武士として不始末ともいえよう。此度こたびばかりは当吉良家もおとがめなしとはいかぬと、左様心得ませ」


「……御意ぎょい


 検使の方々の手厳しい詰問の後、解放された左兵衛様は、やっとまたお布団に横たわることができた。

 黙ってみているしかない私たち。しばらくして、左兵衛様が口を開く。


「齋藤、落命らくめいせし者の名を報ぜよ」


「は……落命せし者は」

 齋藤様が、一人ずつ名前を挙げていく。


 小林 平八郎

 鳥居 利右衛門

 須藤 与一右衛門

 大須賀 治部右衛門

 榊原 平右衛門

 左右田 源八郎

 新貝 弥七郎

 齋藤 清左衛門

 清水 一学

 鈴木 元右衛門

 笠原 長右衛門

 小堀 源次郎

 森 半右衛門


 聞き終えた左兵衛様が口を開く。

齋藤清左さいとうせいざは、そちの縁者ではなかったか?」

 その言葉に、齋藤様が平伏する。

「……叔母の子にてございました」

「あいすまぬ。左右田源八そうだげんぱちもか」

「は」

 私はさっきの左右田様の姿を思い出して、また下を向いた。


 左兵衛様が、悔しそうに口を開く。

「鳥居と須藤は身の寝所に参り、三つ身で動きおりしが、浪人どもに斬り込まれた。身も立ち合うたがこの有り様にて……」

「……ご無事にて何よりでございました、鳥居殿も須藤も、殿をお護りできれば本望にございましょう」

 齋藤様が、どうにか慰めようと言葉をかける。


「他にはいかがであるか」

「他に、中間が二名」

 齋藤様が伝える。

「その者らは?」

「は」

「中間らの名だ。いずれぞ?」

「吉右衛門、権十郎にございます。表門内にて斬り伏せられておりました」

帯刀たいとうせぬ者も容赦なしか……他には? 他には、おらぬか?」


「……若殿」

 齋藤様が一層重い表情となる。左兵衛様が何かに気づいたような顔をした。


「……齋藤、されば今朝は松竹と春斎を見ておらず。いかがいたした?」


 齋藤様が頭を垂れる。


鈴木松竹すずきしょうちく牧野春斎まきのしゅんさい、両名……いずれも」

 左兵衛様が愕然とする。

「茶坊主ではないか……何ゆえだ!」

「春斎は、賊に手向かったかと存じます。松竹は、表玄関にて。立ち合いの巻き添えに相成ったかと」


 だいぶ経ってから、左兵衛様が押し殺したような声を出した。

「……以上か?」

「傷を負いましたものは家中かちゅう中間ちゅうげん小者こものまで合わせて二十名あまり……うち手ひどく傷を負ったものが数名。手当をしておりますが、心もとなく」


 ああ、私のせいだ!

 私が、もっと早くすべてを話していたら、みんな死なずに済んだんだ!


 私は、身動きもできずただ泣いているだけだった。

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