十二月十五日 その二
左兵衛様は、応急処置をされて次の間の一つに寝かされていた。
このお部屋は傷みもなく襖も障子もきちんとしまる。お部屋の前にはお付きの方。お部屋の中にはご家老の左右田様がいた。ご挨拶もそこそこに、左兵衛様のお布団の足元に畏まる。
目を瞑って我慢していても、涙があふれ流れ出た。
「……左兵衛様」
お名前を口に出すのが精いっぱい。
吉良左兵衛が負傷しつつも助かったことは、史実として知っている。それでも、実際の怪我がどれほどのものかは当然分からない。左兵衛様は、頭に包帯のようなものを捲いていた。
「ご……ご隠居様が」
私が、涙声でやっとそれだけ絞り出す。
「存じおる、存じおるぞ……」
横たわったまま、私を元気づけてくれるかのように頷く左兵衛様。
「むつみよ。その足はいかがした?」
泥まみれの足袋に、少し血がにじんでいる。
「いえ、こんなもの、なんでもございません。それより……それよりも」
涙がブワッとあふれ出す。
「私のせいです! みんな私が悪いんです!」
突如として泣き叫んだ私に、お付きの左右田様が戸惑っている。
左兵衛様は、ただ子どもをあやすようにうんうんと頷いていた。
そのうち、パタパタと足音が聞こえてきた。襖が開けられ、使番の方がお辞儀をして告げる。
「上杉様より、ご
「おお、そうか! では早速に殿のお手当てを」
左右田様が声を挙げた。
お医者さんまで来たというので、少し安心した。江戸時代でも大名家に仕えるお医者さんなら、左兵衛様はお任せして私は控えた方がいい。
そう、私にもせめて何かの罪滅ぼしができれば。
「……あの、私にも、どうぞ何かお手伝いを」
そういう私に、左兵衛様が目を向けた。
「むつみよ、
左右田様やお着きの人も困った顔をしている。でも私は引き下がらなかった。
「お願いします。何か、お手伝いをさせてください!」
額を畳にこすりつける。
この世界で、私だけがこうなることを知っていた。私の迷いが大勢の人を死なせた。そんな気持ちだった。
「……殿、それでは、手傷を負ったものの介抱を」
左右田様が助言してくれて、私が頷く。
足の手当てをしていただくと、たすき掛けをして、怪我人が運ばれているお屋敷中ほどの次の間へと行った。中は、怪我を負った人、介抱している人でごった返している。
みんな刀で斬られ槍で突かれて、血まみれの傷口を目にした途端、足がすくんでしまう。でも、苦しんでいる人を目の前に動けないでいる場合じゃない。恐いのは今ここにいる全員が同じ。
何とか、傍の方に声をかけて手伝いに入った。
傷口は消毒してから膏薬を塗り、布で抑えた上を細長い布で縛って血止めをしていく。
身体は横に寝かせず、布団などをあてがって背を起こしておくそうだ。手当をしながら気付けのお薬も飲ませる。意識のある方には声をかけて元気づけてあげる。
その最中、いきなり大声が聞こえた。
「うぬら、助太刀もせず長屋に閉じこもっておったとは何事ぞ! 恥を知れ!」
びっくりしてみんなの視線が一斉に集まる。
腕に怪我をしたお侍が、庭に立っている人たちを怒鳴りつけている。
物音に起きたものの、長屋に逃げ帰りそのままでいた人たち。
「討ち死にした皆に、何と言って詫びる気か!」
問われた人たちには声もない。
左兵衛様に付いていた
「あ、あの!」
思わず大声を出していた。みんなが今度は私を見る。
「何か?」
お庭の人を叱責していたお侍が、私に鋭く言った。
「し、失礼ながら、今はともかく皆さまお力を合わせて、お手当てやお屋敷の片づけを……」
睨みつけられて、つい語尾があやふやになる。
「むつみ殿、お女中なれば、武士の始末にお言葉は控えていただこう」
思わず言葉に詰まる。その時、後ろから声がした。
「待て、加藤。むつみ殿の言うこと
やっぱり怪我をして手当されていた伊東様という方だった。みんなに聞こえるように言う。
「ここに至り、我らの命運は皆一つぞ。今さら誰れの彼れのと問うておる時ではない」
そう言われて加藤様が唸る。
命運は一つ。そう、ご隠居の上野介様を討ち取られ、今度はこの吉良家が改易となる。ここにいる人たちにはもう察しがついている。まさに運命共同体なんだ。
上杉家から来た方たちが、気の毒そうな目で吉良家の家臣を見ている。
何とか場は収まり、皆に交じって手当をしているうち、私の神経もマヒしてきたのか、刀傷にもあまり驚かなくなっていった。
隣の部屋には、特にひどい怪我の方々が寝かされている。
やがて屋敷の検分が終わり、亡くなった方々が次々と屋内に運ばれてきた。
玄関から広間で戦った小姓の方々、玄関前で亡くなっていた権十郎さんたち。
そして、松竹さん。
皆さんの顔が曇る。誰もが無言。
座敷がざわつき、続いて松竹さんと同じような小柄な体が運ばれてくる。間に合わせに襦袢をかけられている。畳に下ろす際にちらりと横顔が覗く。まだ大人になっていない顔。松竹さんと同じような坊主頭。
春斎さんだ。
今年十五歳。満で言えば、まだ十四歳。
「
「何ゆえ、かような者まで……」
上杉家から来た家来の人たちも、悔しそうに唇をかむ。周りにいたお侍たちも、手当をされている人たちも、みんなが手を合わせる。
松竹さんや春斎さんと同室で寝ていた
ご家老の左右田様が、一つのご遺体の前に座り込んでいる。手拭いで顔に付いた血を丹念に拭き取ってあげながら、ゆっくりと顔を近づける。
「良う……良う働いたのう。源八郎」
息子の源八郎様だった。
左右田様が胸の上で両手を組ませようとする。でも源八郎様の両手はぼろぼろで、何本もの指が今にもちぎれそうになっていた。
「まこと……父は誇りに思うでな」
お屋敷の中に、悲しみが充満している。冬の最中、乾いたうつろな風が、みんなの胸に吹いている。
私は、こうなるかもしれないと知っていた。
それなのに、自分の力を過信しすぎてとりかえしのつかないことをしてしまった。
今は、その後悔しかなかった。
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