十二月十六日 その一

 昨日、十二月十五日。討ち入り翌日。

 おおわらわのうちに陽が落ち、間に合わせの灯りと火鉢で暖を取ったものの、みんな疲れ果ててぐったりと眠りこけた。


 朝起きてから、朝餉の支度、怪我人の手当て、片付けと、忙しない一日が始まっている。そして、重症だった取次の齋藤十朗兵衛さいとうじゅうろべえ様、小姓の宮石新兵衛みやいししんべえ様は、昨夜お亡くなりになった。


「昨日は、面目ない姿を見せてしまった」


 そう言ってお布団から身を越こそうとする左兵衛様を、私が慌てて止める。

「お身体に障ります。どうぞそのままで」


 お人払いがされて、お部屋には私と左兵衛様の二人だけ。


「少しゅう寒い。むつみよ、湯を所望だ」

「畏まりました」

 火鉢には鉄瓶がかけてあった。あらかじめ左兵衛様が望んだ際に飲ませようとしたものだろう。

 急須に湯を注ぎ、一緒にある甕から少し水を移して冷ます。枕元ににじり寄ると、お身体に手を添えて飲むお手伝いをする。左兵衛様が私を見る顔つきに、湯を欲しがったというより、私との会話の糸口を探していることが伝わってきた。


 なんだか、左兵衛様はすべてを知っているかのように思えてくる。


 お身体を横たえ、落ち着いた様子と見えてから私は声をかけた。

「左兵衛さま」

「うむ」


「心より、お詫び申し上げます。今さら、悔いても悔やみきれぬほどの罪を、私は犯してしまいました!」

 畳に突っ伏すように頭を下げたまま、左兵衛様の返答をじっと待つ。


「やはり……この討ち入りは、後の世に伝わりしことであったか」

「……はい」


 大怪我をした左兵衛様に、こんな言葉を聞かせなければならない自分が恨めしくて情けなくて、それこそ消えてなくなりたい気持ちになる。


 しばらくして、左兵衛様がぽつりと言った。

「むつみよ。されば姿の無き間、何処いずれにおった?」

「そ……それは」

 口ごもる私に、左兵衛様の目が厳しい。ごまかせないと悟った私が、すべてを話す。

 米屋に化けた前原伊助まえはらいすけを探したこと、逆につかまり閉じ込められたこと。赤穂の浪人、おそらくは頭領と目される人物と出会い、説得したが逆に決意を固めさせてしまったこと。逃げ出して駆け付けたけれど、すべては手遅れだったこと。


 聞き終えた左兵衛様が、ふーっと長い息を吐く。

「……たわけたことを」

「申し訳ございません! すべて、私の思い上がりでございました!」


「そうではない」

 顔を伏せる私に、左兵衛様が絞り出すように言った。

女子独おなごひとりで、そのような大それたことをし、その身に何かあれば如何いかがする? そなたの姿が見えず、身がどれほど案じたか……」

「も、申し訳ございません!」


「されば、父上とは、我らの知らぬうちに元の世に戻りしか、と話しておった。それがそなたのためとも思うたが、もしそなたの身に何かあれば、身こそ悔いても悔やみきれぬではないか……」

 顔を挙げた私に、左兵衛様はお顔をしかめていたけれど、少ししてからその表情がふっと緩んだ。


「いや、そなたの心の内はよう分かる……顛末てんまつを知りようと、そなたにも両家のいずれに儀がありしかは分かるまい。されば、もろ手を挙げて当家に組することもあたわず。ことの次第を言い出せぬはずもないこともな」

 息を吸うと、思いの丈を吐き出すように続ける。


「むつみよ。良いのだ、仮にそなたが打ち明けたところで、身にも父にも何もできなかったであろう」

 その苦し気な言葉に、私が左兵衛様を見る。


「そなたの思うたとおり、赤穂浪人の討ち入りに備えをもって迎え撃ったとなれば、それはいくさぞ。この江戸表、お上のお膝元で戦なぞと相成れば、まさに喧嘩両成敗に則り当吉良家も重きお仕置きは免れぬ。いや、浪人どもはそれまでを承知で、当家に戦を仕掛けてきたのだ」


「でも……でも、どこかへ逃げることもできたかと」

 私の目に涙があふれてきた。


「そうすれば、ご隠居様も、みんなも、死ななくて済んだんです……私が話してさえいれば!」


 左兵衛様が、優しい目つきで私を見る。

「まこと浪人の討ち入りがあらば、仮に身や父がこの屋敷に居らずとも立ち合いは起こる。高家旗本として、屋敷に押し入った狼藉ろうぜきを黙って見過ごすことはできぬ。見過ごせば、やはり武家の心得至こころえいたらずとしてお仕置きされよう。されば臣なる者は命懸けで当家を守る。だが……」

 左兵衛様が考え込むように言葉を切った。


「もし、狼藉を承知の上で身や父上のみが屋敷より移らば、世間ではなんと申すかの」

 その言葉に、私もハッと気づく。


「吉良の親子は家臣を見捨て、己らのみががれしぞ、とはやし立てるであろうな」


 左兵衛様はただ天井を向いているようで、でもその目はずっと遠くを見ていた。


「先年より当吉良家は江戸中のいとわれ者ぞ。ご公儀は赤穂浪人らの報復を恐れ、呉服橋の屋敷も召し上げ当家をこの本所に渡された。それすなはち、ひっきょう大事が起こらばこの地にて浪人どもを迎え撃ち、よしんば打ち負かされても是非ぜひに及ばず。いや、むしろそれを望んで内内に約定やくじょうされているであろう。さすれば、父と身が生きながらえようと、ご公儀はいずれ何らかの策を講じ当家に処罰を下されよう」

 私は、その言葉を自分でも意外なほど冷静に聴いていた。


「思えば、内匠頭殿刃傷に及び、喧嘩両成敗のご法度はっとが世間に片手落ちと映りし時より、当吉良家の行く末はいずれ決まっていた」

「左兵衛様!」


「もはやこの江戸表に吉良家の居場所はない。父、上野介はお役御免。お上もご公儀も市井しせいの者も、吉良に情けを持つものはおらぬ。赤穂の浪人が攻め寄せれば、その始末はどうあれ吉良家は詰め腹を切らされる。当家のこの有り様は、すでに先年よりの運命さだめと相成っていたのだ」


 それなら、私が討ち入りのことを話しても、もう防ぎようがなかったということなのか。

 全てはずっと前から決まっていた運命で、今さら私が何をしても、それは独りよがりな思い込みだったのか。


 私は、何のためにここに来たのか。その答えはやっぱり出なかった。

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