十二月三日 その二

 目の前にでんと構えた大きなお屋敷の広い玄関に通されて、板の間に上がるように言われた。

 これからどうなるのか、ドキドキしながら脱いだ上履を揃えていると、また三人がのぞき込んで眉をひそめる。

南蛮人なんばんびとが履くような代物しろものよ。いずれで手にした?」

足袋たびでもございませんしなぁ」

 ハイソックスの足元をじろじろ見られてもじもじする。


「こちらじゃ、通れ」

 玄関から左に折れて廊下が続いている。その右側には板戸がずらっと並んでいた。

 促されて一つの座敷に入ると、座るように言われる。


 正面にご用人様と呼ばれたおじいさん、私とおじいさんの間、入ってきた戸のそばに笠原さん。権十郎というおじさんも事情を訊くのに一緒に座敷に上げられたけれど、普段はこんな場所には入らないようで、すごく緊張して隅っこに縮こまっている。


「当家用人を務める、鳥居利右衛門とりいりえもんと申す」

 おじいさんが名乗った。

「月森……むつみと申します」

 さっきの笠原さんの態度に、苗字まで言っていいのかどうかちょっと迷ったけど、とにかく私も名乗ってお辞儀をした。


「して、月森殿というおいえはいずれにある? 武家であるか?」

 おじいさんが訊いてきて、私はぐっと詰まった。

「黙っておったのでは分らぬ。正直に申されよ」


 でも、私には何も答えられない。だって、いきなりこんな江戸時代のような場所に来ていて、周りもお侍だらけ。その人たちにこんな尋問めいたことを受けても、何がどうなっているのかさっぱり分からない。

 ただ、この場で高校とか図書館とか、そういうことをそのまま言うのは何だかまずい結果になりそうなことだけは分かっていた。それに、この鳥居さんはおじいさんだし、ちょっと頭が固そう。私の言うことを信じてくれるなら、まだ笠原さんという人の方が可能性がありそうだけど、この人は若いし、どうやら下っ端であまり権限もなさそうだから、本人は信じてくれても他への影響力は疑わしい。


 とはいえ、ずっと黙っていたままじゃどうしようもないし、私への不信感も募る一方だろうし。

 今まで本で読んだり、時代劇で聞いたりした江戸時代っぽい言葉になるべく似せて、思い切って答えてみる。


「まことに相済あいすみませぬ。お屋敷内に紛れ込んだのは私の不調法ぶちょうほう。なれど、私にも前後の覚えがなく、申し開きができませぬ」

 そう言って頭を下げる。ちらっと伺うと、鳥居さんもちょっと困った顔つきになっていた。


「むう……権十郎、この娘を見つくし仔細を申せ」

「はぁ、そう仰せられましても、なんぞ落ちたような音がして見返りましたら、もうお庭におったもので」


天狗てんぐにでもかどわかされたような話でございますなぁ……」

 笠原さんがボソッとつぶやく。

「悠長なことを申すな」

「いや、その……申し訳ございませぬ」

 笠原さんが平謝りした。


「あ……あの、こちらは何方様いずかたさまのお屋敷でございましょうか?」

 私がまた尋ねた。でも鳥居さんは答えてくれない。

「いずれの者かもわからぬでは、いろうに及ばず。まず身の程を明かせ」

「そ、それでは、今日は、何年、何月、何日でございますか?」

「……なんじゃと?」

 鳥居さんと笠原さんがぽかんとする。たぶん後ろの権十郎さんも同じ。私は、怪しい者からいきなり頭がパー子ちゃんに昇格だ。でも、これはかなり重大なことだった。

「お願いでございます。何年何月何日か、お聞かせくださいませ」

 とにかく少しでも情報を集めたくて、頭を畳にこすりつける。


詮無せんないのう……元禄十五年十二月三日である」


 鳥居さんの言葉に、頭がグラッとした。


 まさか、と思う気持ちと一緒に、ああやっぱり、という気持ちも半分くらいあったような気がする。

 とにかく、ここが江戸時代、元禄十五年、一七〇二年の十二月。グレゴリオ暦に直せば一七〇三年、と、この人たちは言っている。


 夢だと思った。きっともうすぐ目が覚めていつもと同じ一日が始まる。

 でも夢だと思うにはあまりにもリアル。座敷に正座して、触れている畳も目に入る襖も障子も、そして私を見ているこの人たちも、テーマパークでもお芝居でもなくて、何と言うか、つまり本物の匂いがする。

 みんながここに実在している。それがすごく信じられる話だということを、私はもう悟っていた。


「失礼いたします」

 板戸の外から声がかかった。一番近くの笠原さんが開けると、くりくりの坊主頭が覗く。

松竹しょうちく殿、何用か?」

「お殿様にございます」

「なんと!」

 鳥居さんと笠原さんが脇にどくと居ずまいを正す。すぐに豪華な着物の若いお侍さんが入ってきた。


「いかがいたした?」


 三人とは違い穏やかで、まだ微妙に幼さの残る声が響く。

「これは、若殿」

 おじいさんを含めた全員が、ぱっと頭を下げる。私も見倣って慌てて頭を下げた。

「これ、下がれ、下がれ」

 笠原さんに言われて、頭を下げたまま座敷の隅までずりずりと下がる。


「鳥居か。書院より外を見かけたゆえ。何の騒ぎぞ?」

 その人が上座に立つと、鳥居さんが答えた。

「いずれかの娘が庭先に紛れ込みましたが、いささか面妖めんような者にて、次第を改めようと存じまして」

「面妖なものと?」

「は」

「ふうむ……」

 品定めに似た気配がある。


「確かに面妖な風体ふうていであるな。これ、表を挙げい」

 うわぁ、時代劇そのままだ。お殿様の物言いだ。私がおそるおそる顔を挙げる。立っている人と目が合った。

 若殿って呼ばれていた。確かに、まだ私と同じくらいの歳に見える。着ているものも豪華だった。色白で細面で、優しい目に理知的な顔。丁髷ちょんまげを除けば割とイケメンだ。でもどことなく影の薄い感じもする。


 若殿様が興味津々な顔で私を見る。上から下まで何度も眺めていたけれど、そのうち唸るような声を出した。

「うむ……確かに面妖だが」

 といった途端、ぷっと噴き出す。

「ふふ……ふふふふ!」

 可笑しくて仕方ないといった様子で笑い出した。みんなが顔を見合わせる。でも若様が笑ってくれたおかげで、私はちょっと緊張が解けた。


 ひとしきり笑いまくった後で、若様は笑顔のままで言った。

「いや、まこと面妖な女子おなごだが。皆、このものの顔を見るがよい。あけし、おびえ切っておるではないか。庭先にまどいしか。それとてしき思いにて参ったわけでもなかろう」

 私は、また皆にじろじろ見られて、恥ずかしくて仕方がない。


「良い良い。鳥居よ、無体な扱いはするな」

「は。しかし……若殿」

赤穂あこう間者かんじゃとでも申すか?」

「いえ、そこまでは……なれど」 

 え、赤穂。赤穂って言ったの。この人。


「あの……こ、こちらは何方様のお屋敷ですか?」

 気になってつい口を出る。

「これ、無礼であるぞ!」

「鳥居、よい」

 若様が、私を覗き込むようにしながら微笑んで言った。


「娘よ。ここはな、吉良きら家江戸屋敷だ。我が父は先の高家肝煎こうけきもいり左近衛権少将さこんえごんのしょうしょう吉良善央きらよしひさである」

 吉良。吉良善央。

 それって、吉良上野介きらこうずけのすけのこと?


「あ、あの、ではあなたは……吉良義周きらよしちかさま?」

 若様の顔がぱぁっと明るくなった。

「ふふ、身の名を知りおるか」

「あ……はい!」

 思わず、元気な声で答えていた。

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