第7話 由鬼那と杉本
由鬼那は杉本を買っていた。
根性がある。
やる気もある。
小柄は体は逆に目立ってむしろいい。
俊敏な動きは誰にでもできるものじゃない。
こいつは天性の運動神経を持ってる。
もし子供の頃からいい環境で育っていたら
きっと今頃すでに一流のアスリートになってたに違いない。
だが、今からでも遅くない。
しっかりと基礎を叩き込んでいけば
将来華のあるいい選手になれる。
こいつは鍛えればものになる。
この団体の看板選手の一人になれる。
ただこいつは人一倍気が強いし
変に融通が効かない所がある。
指導の際も優しく言うと舐めてきてつけ上がる癖があるし
理論に裏打ちされていない練習をやりたがらない。
教える側にも覚悟がいる。
私はレスリングで世界の頂点に立ち
女子プロレスでも一番大きい団体でベルトを巻いた。
そして修羅場も越えてきた。
こいつを育てる事ができるのは
「日本女狼會」には自分しかいない。
自分の名前に鬼を入れた事だしちょうどいい。
私はこいつの鬼になる。
由鬼那は杉本を徹底的にシゴいた。
杉本が血を吐くことなどザラにあった。
骨を折る事もあった。
そんなことはまだマシな事で
以前に一度、
リングの上から飛んできた由鬼那の体をまともに受け止めて
心臓が止まった事もあった。
AEDでなんとか一命を取り留めたが
死んでいてもおかしくなかったし
むしろ一度死んだと言っていい。
杉本は毎日、トイレや布団の中で
声を押し殺して泣いていた。
それでも練習は休まなかった。
強くなりたい。
藤井とリングに立ちたい。
それだけが杉本の心の支えだった。
杉本はその頃ずっと、
いつか由鬼那を殺してやろうと思っていた。
藤井に憧れて入ってきたのに
藤井とは練習する機会がないばかりか、
話しをする事もほとんどない。
毎日毎日ブルドッグのような由鬼那に
ボロボロにされる。
練習ならまだわかる。
言葉遣いや動き方、生活態度まで全てにおいて
徹底的に指導される。
杉本は由鬼那に何度も向かっていった。
しかしどうにも敵わない。
毎日殴られ怒鳴られ叩きつけられ絞め落とされる。
こんなばばあのおもちゃになるために
ここに来たんじゃない。
絶対に殺してやる。
方法なんかどうでもいい。
あいつが便所でクソしてる時にドアを蹴り破って
鉄パイプで頭をかち割って殺してやる。
余りにも過酷すぎた日々に心身が限界を来たし
今日殺すと決めた日、
杉本は藤井とスパーリングの機会を得た。
そこで藤井にめちゃくちゃ褒められた。
「優花。ちゃんと形になってるよ。
こんな短期間にここまでやれるようになんて
めちゃくちゃがんばったんだね。
あんたがデビューする日も近いよ。
今、すごくしんどいかもしれないけど
今が一番しんどいんだよ。
小柄なあんたが
女子プロレスラーとして大成しようと思ったら
人の何倍も努力しなきゃなんない。
だけどね、その努力は絶対に報われる。
あんたのがんばりが報われる日は、絶対に来る。
女子プロレスラーになってよかったって
思う日が絶対来るよ。
私にはわかる。
あんたはここを支えるすごい女になる。
アンタとやれる日を待ってるからね。
もっと強くなってはやく上がっておいで」
そう言って藤井は杉本を強く抱きしめた。
杉本は泣いた。
人目をはばからず号泣し藤井に強く抱きついた。
それからの杉本は、いっさい泣かなくなった。
藤井が待っていてくれる。
それだけで全てが満たされた。
相変わらず由鬼那はきらいだった。
しかし、段々とやられている事の意味、
言われている事の意味がわかってきた。
由鬼那はただ自分をおもちゃにしているわけじゃない。
育てようとしてくれている。
それがわかるようになった。
もっといいやり方があるだろ、とは思う。
しかしそれは贅沢ってもんだ、とも思う。
ばばあはばばあのやり方がある。
だったらそれを飲み込んでやる。
杉本はそこからメキメキ成長した。
もう素人臭さなどどこにもない。
よその団体ならとっくにリングに上がっている。
そんな杉本が及川に軽くあしらわれるところを
由鬼那が偶然目撃する。
自分の許可なく勝手にスパーリングしている事にも腹が立ったが
どこの誰ともわからない相手にコケにされている姿を見て
悔しさで一杯になった。
そんな奴にあしらわれてるんじゃないよ!
どんだけ練習してきたか思い出せ!
本当はそう叫びたかった。
しかしそんな事は口が裂けても言えない。
こいつが一人前になるまでは
私はこいつの鬼でなければならない。
だから由鬼那は杉本に怒鳴った。
お前の代わりに私がそいつをぶちのめす。
右足が骨折している事も忘れるほど
頭に血がのぼった由鬼那は
松葉杖を片手に足をひきずりながら
リングへ向かって歩き出した。
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