第4話 及川 vs 杉本 3

リングに上がれ?



プロレスを教えてやる?



冗談じゃない。



お前みたいなどこの誰ともわからない、


頭のイカれた奴に指導を乞うほど


落ちぶれちゃいない。



しかも、


余所者をリングに上げたなんて先輩達に知れたら


それこそ殺されちまう。



杉本は肝が据わっていた。


いや、据わっていると思っていた。



実際、それは間違いではなかった。



この道場に入るまでにも


さんざん修羅場は潜ってきたし


ここに来てからだって、


地獄の練習の日々を乗り越えてきた。


根性だけなら誰にも負けない、


というのは


あながち大袈裟ではない。


しかしいかんせん杉本は小柄だった。


150cmに満たない体格では、


喧嘩なら威勢やハッタリで凌げても


体と体を直接ぶつけ合うプロレスでは


圧倒的に不利なのは隠しようがなかった。



実際入門試験にも体格で門前払いにされた。



入門できなければ、道場の前で餓死する、


と5日間座り込み、意識を失って倒れた後


入門を許可された。


それほどに強い決意を持ってここにいた。



体もここに来てから鍛え上げ


体重は15kgも増え、2回りは大きくなったはずだ。



しかし、身長が伸びるわけではない。



こいつとまともにやったって


プロレスでは勝てない。


どうすればいいか。


誰よりも考え続けてきた杉本には


知恵があった。



難局を切り抜けるために


瞬時に頭を回転させ


様々な場面を想定し


対応策を実行する。



考えることは


ガキの頃から今に至るまでずっと


我を通すために、


いや生きるために、


負けないために続けてきた


杉本の最も大きな武器だった。



「あー負け負け。やってられるか」



杉本は大きな声で吐き捨てた。


本来ならもう少し、


このでかい女の反感を買わないような言い方で


負けを認め、なだめて落ち着かせ、


リングに上がるなどという暴挙を防ぐのが良策だ。



しかし、


練習生の目がある以上


それはできない。



皆が見ている中


これ以上は戦わない


だからリングにも上がらない


という完全白旗の対戦拒否を


精一杯の理由と格好をつけて


言わなければならない。



でないと練習生に対する面目を失うだけでなく


こいつがリングに上がる事を止められなくなる可能性もある。


ここでとりうる最善は、


引き分けだ。



もちろんやられているので


やり返さなければ負けは確定する。



しかしどのみちやっても勝てない。



リングに上がる暴挙を許し、


こてんぱんに負け


練習生からもなめられてしまうなんて


最悪のシナリオだ。


ここで引き分けにするには、


このイカれた女と対応な立場であるという事を


アピールするしかない。


もちろんコイツが、


自分の予想以上に狂っていたら


生意気な口を聞いた私を


さらに追い込んでくるだろう。



そうなったら仕方がない。


やるだけやってやられてやる。


戦ったけどやられたのなら、


責められはしても殺されはしない。


それにコイツの雰囲気から察するに


コイツはそこまで好戦的じゃない。



いや、


やる気まんまんなんだし


実際なんのためらいもなくチョーパンくれてきたわけだけど


すでに勝った相手をいたぶるような


そういう気質じゃない。



杉本は根拠なく確信した。


そう確信したから勝負に出た。



タメ口で、かつ、怒りながら


しかもその言葉の中の見えないニュアンスとして


一回勝負したからもういまさら喧嘩したってしょうがないし


そもそも一線交えた仲だ、


という空気を織り交ぜながら


「リングには上がんな。許可しねえ。死んでも無理」


と及川に告げた。



及川に返事をさせる隙を与えないまますぐ、


「おい、ぼさっとすんな。タオル持ってこいや!」


と練習生に怒鳴る。



及川はさっきまでの殺気をなくし


練習生がバタバタと走り回って


タオルやら救急箱やらを運ぶ姿にぼうっと目をやっている。



“よし、あのイカれ女止まった!してやったりだ!”


先輩達がロードから帰ってくるまでにはまだ1時間はある。



その間、こいつを返すわけには行かない。



ここに留めておいて、


帰ってきたら全員でボコボコにしてやる。



可愛い顔してスタイルも良くて、


肝も据わってておまけに強い。



一番許せないのはガタイだ。



そこらへんの男より全然でかい。



ぜってえ許せねえ。



こんなやつ、バレーかバスケやっとけばいい。



なんでプロレスに来るんだ。



ここにお前の居場所はねえ。



杉本はいらだちながら手当をした。



無言で道場内をうろうろする及川。


杉本はこちらに背を向けて


練習生とああだこうだ傷の手当をしている。


どうやらリングに上がって対戦するのは無理のようだ。


「つまんな」


頭をぽりぽり描きながらつぶやいて


不服そうな顔を浮かべた。



「まあいいや。お前は休んでろよ」



及川は遠くから杉本にそう言った。



「あ?」


杉本は振り返りざまに及川を見た。



及川は小走りでリングに駆け寄ると


ふわりのジャンプし、


リングとロープの隙間から


するりとリングに滑り込んだ。



その所作があまりに滑らかで美しかったので


杉本も練習生もみな一瞬見とれてしまった。



「あ、てめっ」


杉本が叫ぶ。



その時はもう、


及川はリングの中を


大きく弧を描くようにゆっくりと


さわやかな笑顔で歩いていた。

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