第2話 十四年目
「
台所から母の声が聞こえて、私は口を尖らせた。
「いや忘れないように置いてるんだから忘れないよ」
リビングテーブルの中央には一冊のノートが置かれている。今日提出の宿題だ。
今日はこれを忘れるわけにはいかない。そのためにわざわざ目立つ場所に置いたんだ。
「あんたのことだからご飯食べてる間に忘れるわよ。先に鞄入れちゃいなさい」
「大丈夫だって。ほらパンも冷めちゃうしさ」
そう言って私はテーブルに座って「いただきます」と手を合わせた。視線の先には先程のノートがある。ほら、いつでも目に入る場所に置いたんだから忘れるわけない。
私はテレビをつけて天気予報を確認する。
「うええ、今日雨なんだー」
「もう降ってたよ。替えの靴下持って行きなさい」
「むー仕方ない。濡れた靴下は世界でも一二を争う不快度だしなあ」
「あんたの世界は今日も平和ねえ。はいお弁当」
「あ、ありがと」
母からお弁当を受け取って机に置く。最近の私の中で流行っているピーナツバターをたっぷり塗ったトーストを齧ると、歯の裏に甘さがへばりついた。それをコーヒーで流し込むのがまた美味しい。
「呑気にコーヒー飲んでる場合? 遅刻するよ」
「え? うわ、やばっ」
気付けばさっきまで天気予報をやっていたニュース番組は終わり、別の番組が始まっていた。どうして朝の時間というのはこんなにも急に消えてなくなるんだろう。
私は急いでヘアアイロンのスイッチを入れる。アイロンが温まるまでの間に歯磨きを済ませた。
「もー! 雨の日は髪くるんってなるから困る!」
「血筋だから諦めな」
丸まった毛先をぴょんぴょん揺らす母の声を聞きながら、私はヘアアイロンで遺伝子に抵抗する。
ある程度髪型が整ってきたところでブレザーを羽織り、鞄を持ち上げた。お弁当と折り畳み傘を持って靴を履く。
「よし! 行ってきます!」
「ほら忘れてる」
玄関の扉を開けて駆けだそうとしたところで、ぽんと頭をノートで叩かれた。わざわざ目立つようにテーブルに置いておいた宿題のノートだ。
「げ、あぶなっ」
「だから言ったでしょ」
得意げな母にぐうの音も出ない。あんなに目立つところに置いたのにどうして忘れちゃうんだろう。そしてそれを予知していた母にも驚きだ。
「お母さんよくわかったね」
「母親には娘の未来が見えるもんなのよ」
遠くでも見るように、手を庇のように額に当てて母は「見えます見えます」とわざとらしく言った。
「ほう。私の未来はどうなってます?」
「遅刻して怒られてる未来が見えます」
「あーっ! 本気でやばい!」
私は傘を開いて、雨に濡れた道を走り出す。
後ろの方から「いってらっしゃい」と小さく声が聞こえた。
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