第31話 怒れるガラス鍛冶師
ギャレットは頭を垂れている。
大王都を出た直後の弓矢合戦の際、何本かは大弓騎のガラス面をかすった。それでできた瑕が重大だったので、老人は怒っているらしい。シュゼットはそう心配して、はらはらしてしまったが、
「こんな修繕ばっかりしていては、腕がなまるわ! もっと思い切りガツンといかんか!! こんのモヤシども! 儂にやりがいのある仕事をさせい!!」
シュゼットには、衝撃的だった。ええー!? と、吹き出しそうになる。
その後もくどくどと叱る様子を聞いていると、どうやら、この老人は、毎度彼らが大弓騎を壊して帰ってくるから怒っているのではない。毎度ちょっとしか壊してくれないから、怒っているらしい。
「シュゼット。彼は、国で一、二を争う高名な硝子鍛冶師にして光炉護持師です。デイム・ゼアヒルドが高給で招聘してこの城に据えたのですが」
「ふん。最強の騎士たちの城に住み込みでつとめるんじゃ、腕が鳴るわいと思うて来たというのに、貴様らは強すぎて、硝子弓騎が滅多に壊れん。壊れてもちょっとの瑕じゃ。退屈じゃ!! 大いに暇にしておる!! この怒り、いったいどうしてくれようか!!」
「申し訳ありません」
ひゃあ、強すぎて怒られるとは、大変です! とシュゼットは心の中で感嘆する。
ギャレットは、唯々諾々と、叱られるままになっている。
歌っていたそばかすの娘が、手袋をはずしながら近づいてきた。
「このたびはご結婚おめでとうございます! サー・ギャレット、シュゼット様」
にこにこしていて、柔らかい笑顔だ。
「ああ、ありがとう、ヘレーナ」
「ありがとうございます! ヘレーナさんとおっしゃるんですね。今の歌はなんですか? とても綺麗な、慰められるような」
途端に、老人がさらに噴火した。
「なんじゃと!? 『淡海(みずうみ)の残照』を知らんのか!? わしの最も好きな歌じゃ! 有名な歌じゃぞ!!」
「シュゼット様、知らないの?」
そばかすの娘、ヘレーナも、目を丸くして驚いている。
「すみません。常識が少々足りないようなのです、私」
「ああ、いいよいいよ。父さんの若い頃に流行った歌だから」
「シュゼット、前いたところでは、誰も歌は歌わなかったのですか? 一般には、人が歌うといえばまっさきに歌う曲の一つですが」
千両殿では、と人前で言うのをうまく避けて、ギャレットが聞いてきた。
「ジュリアンは歌が嫌いだったので。何か厭なことを思いだすらしいです。私に歌を修める必要がある、と申し渡したときも、他の人に教われ、僕は教えたくない、と、もの凄い顔をしていました。ですからその数ヶ月以外、あそこでは歌うのは御法度みたいなものでした」
「なんだそのジュリアンって奴は! 芸術を解さん奴だな! 芸術の中の芸術! あの歌はこの世の珠玉じゃぞ!」
老人が手を振りまわして怒る。
「わしらが若い頃、大人気だった歌い手の持ち歌じゃった。若き日、兵役で隣国ベルンハルトとの戦にかり出されたとき、天幕に歌い手が慰問にやってきて、そのとき初披露の『淡海の残照』を聞いた。そりゃあ自慢の記念日じゃよ! 皆、涙を流したものさ。嗚咽が止まらんかった。この世にこんな歌が、歌声があるのじゃと」
「はいはい、父さんの『淡海の残照』バナシは、長くなるから」
年が祖父と孫ほども離れているが、老人とヘレーナは親子らしい。
「なんじゃと!? ヘレーナ、大事な話じゃ!!」
「怒ってばっかいると嫌われるよ? 他に言うことあるでしょ?」
「うっ。その、結婚おめでとう。遅れてすまん」
視線を逸らして、決まり悪そうに言う老人。シュゼットはまた吹き出しそうになった。ギャレットも笑いを堪えている。
「もうっ。お父さんたら。こんなでごめんなさいね、シュゼット様、サー」
「ううっ、こんなとはなんじゃ、こんなとは。ヘレーナ、拗ねてしまうぞ?」
「あーあ、うざったいな、もう」
仲のいい親子で楽しそうだ。シュゼットは、年の離れたお父さんっていいなあ、と少し憧れた。夢見るだけなら、どんな父親を何人、想像しても自由だ。
「宴にはわしらも行くからの」
咳払いして言う老人。
「楽しみにしていますよ。ではシュゼット、戻りましょう」
そろそろ茜色に染まってきた外へ向かって、ギャレットは歩き出した。
「帰り道は、階段を昇るのではないのですか?」
振り仰いで、降りてきた階段を指さすシュゼット。
「ついでに大矢倉(おおやぐら)を見せてあげます。ここで鍛冶師に見てもらうとき以外は、大弓騎は大矢倉に休ませるものです」
シュゼットは目を輝かせてギャレットの背を追った。
「見ます! もちろん見たいです!!」
巨大な硝子鍛冶師の工房を出ると、台地に沿って、ぐるりと細長い郭に続いていた。
「あちらです」
「大きい……!」
内郭の街が載っている台地の崖によせかけるように、見上げるような建屋が建っていた。巨人サイズの扉の下方についている、人間サイズの扉の前まで、シュゼットは高鳴る胸を押さえて、いそいそと移動する。ギャレットが取り出した鍵を開けて入ると、想像していた以上に広い空間に、息を呑んだ。
一目千両の謁見の大伽藍と同じか、それ以上だろうか?
明かりとりの高窓や天窓から差し込んでいる、午後遅い時刻の斜めの光線。
ガラスの巨人がじゅうぶん立てる高さの中に、片膝と両手をついてうずくまり、主を待っている四両があった。
「色が」
シュゼットは、言葉を失った。
まるでステンド・グラスの中のガラスの一色だ。混じりけのない澄んだ色。美しい色。
赤。青。黄。緑。
四両とも、透明度が恐ろしく高いのに、目にしみるほど濃い色のガラスだった。
「用心で分散させているため、この矢倉には四両です。でも、他の矢倉の大弓騎もすべて、同じほど美しい色をしていますよ」
「なんて……麗しい色……」
あの大王都で見た弓騎の群れの中には、こんな透明度でこんな澄んだ色の弓騎は一両もいなかった。近かったのは、青紫の一両くらいだ。指揮官だったらしき大弓機。
それ以外は、くすんだり、斑な色合いをしていた。そんな弓機がほとんどらしいというのに、ここにはこんなに綺麗な大弓機が並び、この城の他の大弓機もまた、という。
シュゼットはそれらと目の前のガラスの美姫や女神たちが集う、青空の下を想像した。
「並ぶときっと、虹のように綺麗でしょうね……」
「いい例えですね。まさに虹のような輝きになりますよ。言ったでしょう、私たちは一人一人が一騎当千。最強の騎士団です」
硝子弓騎の透明度は、硬さの証左であり、とりもなおさず励起権をもつ騎士の強さの証だと聞いた。
「この子たちにも、お名前があるのですか?」
「! ええ! そのことに気づくとは、なかなかです、シュゼット」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます