第12話 励起権<加護のキス>収集家(ソヴレンティー・コレクター)

「え? あの? お気を悪くしたなら謝ります。その……でも……」

 おろおろするシュゼットを見て、ギャレットは、少しためらったあと、

「額へのキス、なのです」

「はい?」

「ですから、妖精の加護の譲り方です!」

「はあ。へ?」

 キス。額へのキス。ギャレットがする? それとも受ける方? 陰のある美貌の唇が綺麗な形をしているのを意識してしまうと、シュゼットは、何故かどきどきした。

 いえっ、この方は今、そういうお話をしているのではありませんよね!?

「騎士が死ぬと、その弓騎はただのゴミになってしまいます」

「ゴミ」

「ええ、大きな大きな邪魔なゴミです。そうでしょう? 他の騎士には動かせないのですから」

「なんと。潔く、美しい気もしますが」

「否定はしません。私もそうしたロマンを好みます。ただ、世間一般の皆さまの現実的な感性では、『もったいない』という判断です。当然でしょうね、妖精硝子は希少な鉱物ですから。息子か兄弟の騎士が騎り継ぐのが理想。故に、ローレン大王以来の歴史で、騎士、硝子鍛冶師、光炉護持師ら魔術師たちは、弓騎のゴミ化を回避するため、別の騎士も励起できるようにする手段を模索し、検証してきました。つまりは励起権委譲の手立て、てっとりばやく言うと合鍵を渡しておく方法です」

「それが、額へのキス……?」

「何が問題か、もうお分かりかと存じますが」

「あの、大変頭が悪いのかもしれませんが、私には」

 そうですかー、と、ギャレットが遠い目になって呻いた。ややあってから、

「では、こう言えばよろしいでしょうか。――たとえばある貴族の姫君。彼女じしんは騎士ではありませんが、父君は騎士だとします。彼は、父として当然、愛娘が生まれてから一度も額にキスしないということはないでしょう? すると妖精の加護は姫君にも働くこととなります。加護の力が使えるかどうかは魔法の素質の有無によりますが、父君と同じ加護は得ている。そうして父君からのソヴレンティーの譲渡が妖精から認知されている以上、姫君という姫君は例外なく、結婚相手でもない騎士に、額へのキスはしません。婚約者に求められても断るほどです。夫になってからでなくては、実家の宝刀の合鍵は渡さない。ふつうは」

「ふつうは、というのはつまり? いえ、いいです、なんとなく分かったような気が」

 励起権収集家とは、姫君たちの恋慕をいいことに、手当たり次第に励起権を略奪する者、というような揶揄らしい。

 分かっていただけましたか、とギャレットはため息をつく。

「愛の証をと勝手に思い切ったキスを下さる姫君や奥方たちには辟易していました。が、ここで一目千両の君を救えるなら、安い悪名だったかもしれませんね」

 ふっと微笑したギャレット。

 シュゼットよりも十も年下にして、臈長けた笑みを浮かべた黒衣の騎士に、シュゼットは絶句する。

「いえ、ご婦人がたを責められた筋では。私も子どもで、惚れっぽかったと申しますか。いつでも本気だったのですが。それにしても愛の強すぎるご婦人とばかり遭遇したようで、父君やご兄弟やご夫君の公・伯・騎士身分の殿たちに卑怯者、不心得者、となじられたり、悪評をたてられるのみならばともかく、トラブルが……あまりにトラブルが」

 シュゼットはあんぐり口を開けていた。

 凄いです! 婉曲的なモテ自慢の構文そのものなのに、全く自慢に聞こえません! ただありのままを述べて、純粋に憔悴しているのが分かります! お人柄というものでしょうか。それともこの美貌ではしかたがないというほどの美貌ゆえの説得力です!?

 魔性の貴公子。そんな文句が頭をよぎる。一目千両殿の図書室にあった物語のどれかで読んだ。

「おモテになるんですねえ」

 やめてください、とギャレットは手を振った。

「過去の話です。私は怖くなってしまった。少しでも恋愛感情を向けられることが。お陰で色恋沙汰から遠ざかり、以来、意外にも心穏やかですし、楽になりました」

 シュゼットは息の根が止まりそうになる。牽制? いやいや、これは、気づいているわけはない。出逢ってから見た様子だけでも、この騎士は、ある意味唐変木を地で行く貴公子だ。

 それに、実はシュゼットじしんも、確証が持てずにいた。

 ギャレットへのこの気持ちは、恋なのか?

 確証が持てないのは、化粧係・ジュリアンの言うとおり、常識が足りないからだろうか。

 この一目千両の化粧の下の本当の顔を見て欲しい。何点と言うのか、聞いてみたい。こんな気持ちは、ふつう、恋心に分類されるのでしょうか!? これは、恋とか、好き、というのではなく、用事がある、というのでは?

 と、そのとき、プロスペールがグウィネヴィアの手でこちらに大きくバタバタと手を振った。手信号をするのを、ギャレットが訳す。

「『大変だ!』 え!?」

 新たな追っ手かと、シュゼットは背筋が凍って振り返り、ギャレットも緊迫した顔になって周囲を警戒。

「『どうしたというんです! 何も見えませんが』」

 手信号をしつつ、口でも言うギャレット。

「『大変だよ、宿屋にお金、払ってない!』

「はぁ!?

「『バカですか。そんなのあとあと! 非常事なんですよ!?』」

 シュゼットは吹き出してしまった。

 プロスペールは、あせあせと、遙か後ろにしてきた大王都の宿屋の帳場を心配して、何かしきりに言いつのっている。ギャレットは渋面でなにやら手信号を返す。

 おかしくて口元を抑えてくつくつと喉で笑っているシュゼットを見ると、ギャレットは、困った顔をした。だがそのあとで、くつくつとギャレットも笑い出した。

「ふふふ」

「はははははは」

 笑い合ったあと、

「よかった。この状況で笑えるとは、上等です。ついでに、食べることもできますか? 体力も、もたせなければ」

 言われてみると、日は暮れ始め、周囲は茜色に染まっていた。行く手の道や斜面の木々の後ろは、灰色に落ちている。

 走り続ける大弓騎の中、とたんにぐうと鳴ったお腹を両手で押さえるシュゼット。苦笑して、

「そういえば、朝に果物をつまんだきりでした」

 ギャレットは優しく微笑むと、大弓騎に積んでいた水筒とビスケットと干し果物、干し肉を渡してくれた。

「あ、ありがとうございます!」

 ありがたくて涙が出そうだし、何故この方たちはこんなによくして下さるのだろう、と思った。

 男の人は怖いもの、と、ジュリアンがいつも言っているから、この人も、本当はきっと怖い人なのだ。目当ては纏っている高価なドレスか宝石か、美女の肢体か。このままついていっては駄目で、いつか隙を見て逃げ出さなければならない――とは、到底思えなかった。

 それともジュリアンを信じるべきか? 逆賊となってまで逃亡を助けたのは、装身具や体が狙いかもしれない?

 シュゼットは、黙々と甘みの濃い干果物をゆっくり噛みほぐしながら、考えていた。

 宝石類は取られてもいいですけれど、体は困ります!! 辛そうな気がしますもの! よく知りませんけど。いえ、実は、知っておかなければ今度の美女は演じられないと、ジュリアンから資料を渡され熟読を申し渡された謁見もあるので、その、ゴニョゴニョ……

 途端に火照ってくる頬をごまかすように、そっぽを向く。

「? どうかなさいましたか、一目千両の君?」

「なんでもありません」

「しかし、様子が」

「なんでもありませんったら何でもありませんー!」

 どうしてそう、いらぬほどまで細やかなのですか、まったくもう!

 モテ飽きるほどモテた理由が、分かる気がする。魔性の貴公子という語と並んで、罪作りという語も頭に浮かんだ。


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