第7話 院生と社会人

 卒業式は縮小され、謝恩会は中止になった。

 大学院の入学式も中止。四月二日のオリエンテーションに出席して、授業がしばらく行われないことを知った。空白の期間はずるずると伸び、六月になって遠隔授業が実施された。

 

 家に毎朝いれば、外出自粛を呼び掛ける防災無線が聞こえる。規則正しいチャイムの音が、心をむしばんでいく。


 そこまで呼び掛けなくても良いじゃない。行けない場所が多すぎるのに。博物館も、図書館も、実家も、彼女の家も足を運べない。手持ちの文学全集を読み直す日々が永遠のように感じられた。


 同じ研究科の院生は、自分一人。不安を共有できる友達はいない。雪乃だけが支えになった。夜勤以外は電話をかけてくれたおかげで、人との繋がりを感じられた。


 雪乃はコロナ禍で研修がなくなり、就職して三日で現場に入っていた。高齢者と接する仕事のため、私以上に外出が制限されていた。電話の声がか細くなる。


「慧さん、会いに来てよ」

「雪乃は介護職でしょ。それに家族は全員、基礎疾患があるんだよね。もし私が移動して、感染させちゃったら嫌だよ」


 会えないの淋しい。雪乃はポツリと呟いた。


「慧さんの迷惑になるから言わなかったけど、私は人と二週間会わなかったら顔を思い出せなくなるの。家族でも、長期出張があると輪郭がぼやけちゃう。写真を見て、何とか忘れないようにしてるの。だから、慧さんが思っている以上に、淋しいんだよ。それに、コロナは二年で収束しないよ。長くて四年はかかる。その間、慧さんは我慢できるの」

「できるよ。雪乃と、大事な人を守れるなら」


 雪乃が求めている答えではなかったようだ。電話越しでも、唇を尖らせているのが分かる。一ヶ月会わなくても平気と話したときも、機嫌を悪くさせていた。予想通り、とげのある言葉を浴びせられる。


「どうせ慧さんは一ヶ月会わなくても平気だもんね。心細いのは私だけなんだ」


 楽しい卒業旅行のおかげで、思い出が鮮明に残っているだけだ。

 地獄めぐりで歩き疲れると足湯で休憩し、次に行きたい観光スポットを地図で確認した。地獄蒸しに、やせうま、くろめのお吸い物に舌鼓を打つ。ホテルの夕食は、雪乃が楽しみにしていたカニ料理が出た。頬を抑えて咀嚼する様子に、何度もシャッターを切った。どの写真も、ブルームーンストーンが胸元で輝いていた。


 回想に浸れば、卒業式から会えていない事実を忘れられる。だから雪乃も、会えない期間を耐えてほしい。


 そんな本音は押し問答で曲げられた。私は妥協し、雪乃の家に月一で泊まることを了承するのだった。


 付き合って二年目は、立場が逆転した。


「雪乃。本当は今すぐ会いに行きたい」


 私は弱音ばかり話すようになった。ビデオ通話に映る雪乃の頬を、泣き出しそうになりながら指でつついた。

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