第3話 対決、幽霊退治



「夏休み、何してるん」


 七月末の終業式、井崎いさきは不機嫌そうに俺へとそう尋ねた。

 質問の意図をはかりかね、俺が答えあぐねていると、井崎は「ちゃうで」と付け足した。何が違うのかは全くもってわからないが、井崎が「ちゃうねん」と話し出す内容はだいたい違わないという事は知っている。


「補習……は、あんたにあるわけないか」

「ない」

「夏期講習は?」

「うちは塾には行かない教育方針だから」

「ええなぁ、あんたんとこ」


 どこか遠い目をして、井崎はため息をつく。


「うち、補習と夏期講習とバイトあるねん」

「充実した夏休みですね」

「せやから、うちの予定に合わせてもらうで」

「なにを?」

「ホムセンの幽霊退治の日取りや」


 至極真面目な顔をして井崎は言う。

 なんと答えていいか分からず、俺は井崎の大きな目を見つめた。何より、中庭の自販機前での話を井崎が覚えていたことに驚いた。あれから二週間近く経過している。前日の話すら忘れることのある友人の、記憶力のムラの激しさに驚きを禁じ得ない。


「幽霊退治って。霊感とかあるの、おまえ」

「あるわけないやん。そんなんあったら今頃、美少女霊媒師として名を馳せとるわ」

「じゃあ無理だろ。なんだよ藪から棒に」

「美少女につっこまんかい」


 井崎はじっとりと俺を見据えている。指導者の顔だ。


「今は話せへんて、言うたやん。あんた」

「…………」

「じゃあいつ話してくれるん? 明日?」

「明日はちょっと」

「せやろ。せやから、うちから言うたんや。待っとったらあっという間に高校卒業してまうわ」


 そうして、俺たちは夏休みに件のホームセンターへと行く約束を交わしたのだ。

 井崎の誘いに俺が乗ったのは、ほとんど義務感のような感情からだった。もしかしたらまたあそこにあの人が居るかもしれないと、いつまでも怯えているわけにはいかない。


 俺は、あの日の俺に責任がある。


 とはいえ、ほぼ全教科の補習に引っかかり、親にも諦められていない井崎に自由な時間は少なかった。やっとこさ、スケジュールがあったのが今日だったのだ。

 バスの窓からのどかな街並みを眺めつつ、俺は考える。十年前のあの日も、こんな晴れた日だった。

 バスは時折停車し、客を乗せ、または降ろし、進んでいく。とある小さなクリニック前では数人の老人が降りていった。ああ、ここは……と思い出し、前方の扉が閉まった瞬間に俺は降車ボタンを押した。


『次、止まります』


 女性の機械音が、そう告げる。続けて運転手が「次は、白橋しらばし。白橋。お釣りは出ませんので停車中に両替をお願いします」とアナウンスした。明らかに俺へと向けたものである。


『次は、白橋。白橋。ホームセンター前』


 正式な機械音のアナウンスを聞いて、後ろの席で井崎が「ああ」と声をこぼした。


「すごいな、バス停の順番覚えてるんや」

「……まぁ。地元だし」

「うちは地元のバス停いっこも覚えへんまま引っ越して来てしもたわ」


 井崎が懐かしげに呟く。俺だって全部覚えてるわけじゃない、と言いかけたところでバスが停車した。

 窓の外には見慣れた景色がある。運賃を運賃入れに放り込み、俺と井崎は目的地であるその場所に降り立った。この町で一番大きい、全国チェーンのホームセンターだ。


「行くで」


 黙ったままたたずむ俺へとそう言って、井崎は日傘を開く。ぱんっと、小気味いい音が響いた。

 クラスメイトの白い背中に続く。見上げた空は冗談みたいに青い。

 ああ、そうだ。あの日もこんな晴天だった。

 夏休みの時間を持て余し、退屈で死にそうになっていた当時の俺を、父はここへ連れて来た。子供を思ってホームセンターに連れてくる親が居るわけがない。自分に何かしらの買い物があったのだろう。

 あの日も俺はバスに乗った。靴を脱ぎ、シートに乗って窓の外を眺めた。降車ボタンを押して、それで──。

「お父さんはちょっと買い物があるから、アイスクリームでも食べていて」と、父は俺を自販機の前に残して、店内へと行ったのだ。


「ここか、噂の自動販売機」


 その自動販売機は記憶のまま、そこにあった。

 屋外売り場の、一番はし。植物などが売られているメインエリアではなく、壁際にレンガや物干し竿が並ぶ雑多な売り場のそのまた隅である。トイレは店内にあるため、ここに用があるのは正真正銘、自動販売機を利用したい者だけだ。

 そんな客は決して多くはない。おざなりに置かれた錆びたベンチが、ここの利用頻度の低さを証明するようだった。「こんな汚いベンチに座れるか」という苦情すら出ないのだろう。


「これ……か、例の」


 井崎は三台並んだ自動販売機を眺めながら歩く。こつ、こつ、と細いヒールが小気味いい音を立てた。サンダルから覗くつま先が真っ赤に染まっている。血マメのようなそれに、背筋がひやりとした。


「べつに、普通の自販機っぽいけどな」


 二台は一般的なジュースやコーヒーを扱うもので、もう一台はアイスクリームのものである。

 白くそびえ立つ機械は、子供の頃見たより薄汚れて見えた。ジュースのものとは違い、商品のレプリカを見せる窓はなく、様々なアイスクリームの写真が直接プリントされている。このディスプレイはずっと変わらない。


「アイス、ほんまに勝手に出てくるんやろか」

「え、井崎。何するの?」

「何って。実際に買うてみなわからへんやん」


 鞄から財布を取り出した井崎はけろりとした顔で言う。俺は思わずその二の腕を掴んだ。

 細くて白い剥き出しの素肌は、太陽に照らされているのにひんやりとしていた。井崎の表情がこわばる。


「なに。なに、必死になってるん、あんたらしくもない……」

「井崎、今更どうにもならない。俺のせいなんだ、絶対」

「せやから、それを確かめるためにうちは、」

「こんな事になるなんて思ってなかったんだよ。だけど、あの時ちゃんと、俺が──、」


 あの時ちゃんと、俺がおじさんに言えていたら。こんな事にはならなかった。きっと。


「……十年前、俺、ここで父さんが買い物終わらせるの待ってた」


 井崎は俺の話を黙って聞いている。じんわりと、井崎の腕を握った手のひらに汗が滲んだ。


「すぐ終わるからジュースでも飲んで待ってろって、お金貰って。昔から、アイスの自販機もあった。だから俺、アイス食べて待ってようって、ここに来たんだ」


 そしたら、知らないおじさんが居た。大きなダンボールを大事そうに抱えてた。俺の言葉に、井崎の表情が更に硬くなる。

 話したくない、と思った。でももうそんな段階じゃない。怪奇現象まで起きているのだ。

 俺には、話す義務がある。


「ああ、きみ、アイスが欲しいのか、って。何味がいい? って聞かれてさ。優しそうなおじさんだったよ。あんなことする人には到底見えなかった」

「……うそやろ。そんなん、うち、聞いたことない」

「話してないからな。こんなこと、誰かに話せるわけない」


 ああ、そうだ。おじさんは戸惑う俺にアイスを渡してくれたんだ。戸惑う俺に、「いいんだよ」と笑って。

 俺は──、俺は、ただ、流されるままだった。


「あの日から、全部、おかしくなった」


 そう、あの日を境に俺の日常はおかしくなってしまったのだ。

 あの日からずっと、俺は──。


「ボタンが押したくて押したくて、たまらないんだ……」


 ジーワジワジワジワ。セミの声が聞こえる。ここら一帯はアブラゼミの縄張りらしい。

「……は?」ぽかんと口を開いた井崎が間抜けな声を上げた。どこにも力が入っていない顔だ。


「おじさん、業者の人だったんだよ。自販機の扉開けてアイスの補充しててさ、アイス買いに来た俺からお金受け取って、欲しい種類聞いて、それを直接俺に渡してくれた。俺、それがめちゃくちゃショックで……」


「は?」今度は盛大に顔を歪めて井崎は言う。

 いや、だってさ。だって、それは違うだろ。


「だって、話が違うじゃん。アイスの自販機なんて、小学生からしたらお金入れるところからがアトラクションだろ。ボタン押すとこがクライマックスだろ。アイスはどんなでも美味しいけどさ、自販機で買うってことに価値があるんじゃん!」

「なに言うてんの、あんた。そんな無気力な現代っ子代表みたいな顔して」

「だから、言ってるだろ。井崎は昔の俺を知らないからだって」


 子供の頃の俺はたいそう活発な少年だった。好奇心と冒険心に満ち溢れていた。夏休みなど、早朝から深夜までそれはもう暴れまわったものだ。

 ラジオ体操に、プールに、虫とり。歩道は基本的に境界ブロックの上を歩き、横断歩道では白線のみを踏んだ。更には日陰だけを進むというワンランク上の任務にも積極的に取り組んだ。

 ボタンと見れば何でも押したい少年だったのだ、俺は。……なのに。


「おじさん、汗だくで仕事してて。いくら子供とはいえ、商品入ったデカいダンボールどけて扉閉めてくれよ、ボタン押したいからさ、なんて言えなかった。でも、言えばよかったんだ。こんなことになるなら」

「こんなことってどんなことや」

「あの日から、ボタンを押したい気持ちに明らかに歯止めがきかなくなった。寝ても覚めてもボタンボタン。夢でも何度もここへ来たよ、ボタンを押すために」

「じゃあ、あんたが言うてた心当たりってのは、」

「アイスの自販機に出る男の子の幽霊。勝手に商品出てくるって、たぶん俺のせいだ。俺の生霊があの日からずっとここで待機してて、ボタンを押し続けてるんだと思う」

「あんた、もしかせんでも相当アホやろ?」


 間髪入れずに井崎は言った。俺もそう思う。

 いやでも、どう考えてもそうとしか考えられない。


「うちはてっきり、そのおっさんはヤバい人で……それで、ここで殺された子供の霊でも取り憑いてるんかと……」

「いや、冷静に考えろよ。こんな小さな町でそんな事件起きてたらみんな知ってるだろ」


 俺は生まれも育ちもこの町だけど、そんな話聞いたことない。

 馬鹿じゃねえの、くらいの声色で言ったら「あんたに言われたないわ!」と井崎は俺の手を振り払った。勢い余った腕が自販機にぶつかって、少女は声にならない声で呻く。


「大丈夫か。あんまりはしゃぐなよ」

「うっさいわ! なんで今まで来おへんかったんよ、ここに! こんな近所やのに!」

「いや、あの人がまた居たらって思ったら、」

「どんな確率やねん! そのおっさんも担当エリア変わっとるやろさすがに! 十年も経ってんねんから!」

「それにさ、恥ずかしいだろアイス一つでこんな。それなりに噂にもなってるし」

「羞恥心だけは一丁前か!」


 そう吐き捨て、井崎は財布を開く。続けて、自販機に小銭を投入し始めた。

 チャリン、チャリン、チャリン。胸の底をくすぐるような甘美な音が響く。投入金額、130円。昔は110円だったのに、世知辛い世の中になったものだ。


「……え、なんで? 勝手に出て来おへんやん、アイス」

「本人がここに居るからな」


 当然のことなのに、井崎は地球外生命体でも見るような目で俺を見上げた。そうして、「早よせえや」と低い声で唸る。


「え?」

「早よボタン押しいや! トラウマか執念か知らんけどな、しょーもない! これやから理数系は!」

「理数系がおかしいんじゃなくて俺が粘着質なんだよ」

「なんでもええわ! 早よボタン押せ、阿呆!」


 背中を押されて、件の自動販売機の前に立つ。ドキドキと心臓が高鳴っていた。

 数年ぶりに初恋の人に再会したような気分だ。こいつ、こんなに背低かったっけ? なんて思ったりして。初恋なんてした覚えすらないというのに。

 震える指先で、当時、おじさんに所望したチョコミントのボタンを押した。


 ガコン。商品取り出し口の中で響いた音に、未だかつてないほどの快感を感じた。ぞくぞくと、背筋が痺れる。それと同時に聞こえた、遠ざかる子供の楽しげな足音。

 きゃらきゃらと笑う少年は、やっと理想の形でアイスを手に入れたのだ。


「……井崎」

「なにぃ」

「ありがとう」

「こんな事で感謝されたなかったわ」


 ああ、もう! 井崎はその場にしゃがみ込み、商品取り出し口に向かって叫んだ。


「男って、ほんっまにアホ!」









end.

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