冬、青年たち
黒髪のセミロングに僕より少し低いくらいの身長で、生成り色のロングコートに全身を包んでいる。学生なのか、社会人なのか、曖昧な感じではあったが、可憐な雰囲気を纏った女性であるというのは確かだった。
「白いのって、雲ですか?」
「え?」
急に話しかけられたので、思わず聞き返してしまった。
「何のことですか?」
「この大きな地球の表面を移動している…」
(大きな地球…?)違和感のある表現だと思った。正しくは大きいじゃなく、小さい、だ。この地球は、実際の地球の約二百万分の一のスケールでつくられているのだから。でも、確かにそうだ。僕はもう二十一年もこの星に住んでいるのに、未だに絵や写真、地球儀を通してでしか地球の姿を見ることができていない。僕らがいつもみているそれらの地球に比べたら、この地球は充分大きいと言えるだろう。
「ええ、雲だと思いますけど」
僕が答えると、彼女は細い眉を少し上げて、へぇ、と小さく呟いた。
「曇ってこんなに白いんですね。みたことが無いから、びっくりしちゃった」
「まあ、今の時代、東京では雲なんて見られませんからね。僕もいまだに見たことがないです。それにしても、こんな時間に来るなんて珍しいですね。何か目的の展示物があるのですか?」
僕は話題を振り、何となく彼女を繋ぎ止める。
「この地球を見たかったんです」
「ジオ・コスモスって言うんですよ、それ」
「へぇ。地球を中心とした世界、って意味かな。もしかして、常連ですか?」
「そんなところです。と言っても、別に知的な人間というわけでもないですが」
僕の返答に、彼女はふふっと可愛らしく笑う。
「科学館に来る人の大体は、自分のことをそう思っていますよ。だって、知らないことがあるから、知りたくてここに来るんだもの」
軽い自虐をポジティブに肯定され、少し反省する。
「いつも午前中に来ているんですか?」
「はい。人が少ないから、時間が静止しているみたいで好きなので」
「そうなんですね。私は、時が止まった世界というより…私たちの時間軸の中のひとつひとつのスケールが、大きくなった世界のような気がする」
なるほど、と思った。それってつまり宇宙じゃないか。宇宙には、普段僕たちが扱う単位では表しにくいことばかりあって、今までもこれからもずっと変わらない姿に見えるけれど、時間は確実に進んでいる…と曽祖父の手帳にポツリと書いてあったのを思い出す。
彼女はきっと、僕より自由に生きている人なのだろう。
「それにここ、すごく落ち着きますね。まるで、この空間全体が、宇宙になっているみたい」
その言葉を聞いて、特に見つめる先がなかった僕の視線が、一瞬で彼女の横顔にいく。彼女は『大きな地球』を見つめたままだ。
「きっと今、私たち、渦巻銀河の一員になっている」
渦巻銀河。地球があるということは、彼女が指しているのは天の川銀河のことだ。
「目の前の地球を中心にまわっているこの坂、軌道を歩く私たちは…」
「月?」
僕は、残りのパズルのピースを差し出すように言う。
「そうですね。自分からは光ることができない、小さな惑星」
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