1巻発売記念SS、その3 ティーカップについて
「このティーカップ、ちょっと使いづらいよな」
これは、ちょっとだけ恥ずかしそうにしながら話したアレンのセリフだ。
悪いんだけどさ、と呟いて、少年は照れたように笑っている。
「……え? 使いづらいって……?」
なんのことだかわからなくて、レイシーは自身の手元を見つめた。もちろん、アレンも同じティーカップを使っている。
ティーカップの取っ手はきらきらとしたピンクゴールドで、内側にまで繊細な花の模様が描かれている。琥珀色の紅茶からそっと淡い花が咲き誇っているようで、レイシーとしては綺麗だなぁ、という感想である。美術品に教養があるわけではないレイシーがそう感じるくらいだから、多分だいたいの人も同じ考えを持つのではないだろうか。多分。
このティーカップは、もともと屋敷に置いてあったものだ。夜逃げをして消えたウェルバイアーという夫妻が置いていったものであり、屋敷に備え付けの家具と同じく、自由に使ってよいと譲り受けた。
アレンとともに食卓で座りながら、レイシーは首を傾げた。
綺麗ね、と思っても使いづらい、なんてことは考えたことはない。意匠が凝っているので、ちょっと洗いづらいかな、と思うくらいだ。
「別に、ティーカップなんてこんなものじゃない? そんなに使ったことがあるわけじゃないけど……たぶん」
「こんなものっていうかさあ」
ここでアレンは言いづらそうに口ごもった。「なんつーか、人様の家の食器にこんなことを言うのもどうなんだけど……」とまで伝えて、困ったように眉を寄せている。
「だって、これ、絶対高いだろ? 壊したらどうしようって使ってて不安になるよ」
「え」
と、いうところまでが前回アレンと話したことであり、現在のレイシーはウェインと一緒に自宅の食器棚を前にして、難しげな顔をしている。
実はレイシーは、アレンに言われたことがなんだかピンとこなかった。わかるような、わからないような、と悩んだ結果、アレン以上に眉根を寄せて顛末をウェインに伝えてみた。
「俺は使いづらいとまでは思わないが……」と聞いてホッとした後に、にこっとして、「まあ、普段遣いかそうでないかと言われれば違うだろうな」静かに撃沈した。
「……そ、そういえば、ウェインは伯爵家のご子息だものね……」
彼が実家で使っている食器は、こんなものでは手が届かないほどの値段に違いない。
「別に、生まれた家がそうだったってだけの話だ」
ウェインは驕るでもなく、卑屈になるでもなく、なんてこともないような口調でしげしげと棚を見上げている。
彼からすれば当たり前のことで、深く話す内容のことでもないのだろう。ウェインのそういうところを、レイシーは好んでもいる。
「どっちにしても、普段に使うものじゃないことに違いはないのね……どうしよう」
「別にいいんじゃないか? このままでも」
「それが、最初はあんまり気にしてなかったはずなのに、すごく気になってきてるの」
こんなものを使っていいんだろうか、と棚の前に立つだけでそわそわしてくる。
人に指摘されて気になっていなかったはずのことが気になるようになるのは、ままあることだ。「じゃあどうにかした方がいいな」と、ウェインはあっさりと返事をした。うん、うん、とレイシーは頷く。でもどうにかって、どうやって。
両手をぐっと握って、ウェインを見上げたまま固まるレイシーを見下ろし、ウェインはむんと腕を組んだ。
「そんなの、方法は一つしかないだろう」
言わずとも言葉が伝わるところが、なんとも頼もしかった。
はずなのだが。
「うううううあああああ」
「おいこら、おかしいおかしい」
「いいいいいえええええ」
「まさかそのまま全部話すつもりか……?」
「うううううう」
「最初に戻るのか……」
ぷはっとレイシーはウェインの背中から顔を出した。
そして目の前の店を見て、顔をへにょんへにょんにして、再度ウェインの服をひっぱりながら背中に顔を隠す。「なんでそうなるんだよ……」呆れた声が聞こえるが、これはもうどうしようもない。
ウェインが考えた方法は一つ。食器がないなら、新しいものを揃えればいい。
何でもかんでも買うのはよくないことだが、普段遣いにするためと、いざというとき用と、目的が違うのだからいいかもしれない、とレイシーも同意した。でもすぐに後悔した。買いに行くということは店に行かねばならぬということで、店に行くということは慣れない人間を相手にしなければならない。
せっかくならウェインがいるうちに、と思うが王都まで行く時間もない。それならばとやってきたのはプリューム村の雑貨店だ。食料品から鍋のような日用雑貨まで、なんでもござれな店である。
「この店、食器もあるのか?」
「た、多分。他にも鍛冶屋もあるって聞いてるけど……」
「ならさっさと入るぞ」
「待って、待って、まだ覚悟ができてないッ!」
「初めて来る店じゃないんだろ……?」
すっかりウェインは呆れた口調だった。
もちろんプリューム村で生活していく上で、必要最低限の雑貨も必要だったのでレイシー一人で訪れたこともある……はずなのだが。
「緊張しすぎて、正直記憶がなくて……」
「そんなことあるか……?」
あるのだから怖い。記憶の中のレイシーは、気づいたら鍋を購入して屋敷の前に立っていた。
「まあいい、さっさと入るぞ、ほら」
「う、動かないで顔が隠せない、動かないで!」
「服を引っ張るな。伸びるだろうが」
かららん、とベルを鳴らしながらウェインが雑貨屋の扉を開けると、中はほんのりと薄暗い。
誰もいないようだ……と思ったら本当に誰もいなかった。
『ご自由に見て回ってください。お代はこちら』と書かれた紙には下部分に矢印が書かれていて、箱が置かれている。まさかの無人販売所。
「…………いつもこうなのか?」
「え、いや、前に来たときには人がいたような気が……」
驚くべき平和さである。
「まあいいか……」と呟くウェインの背からレイシーもやっと離れて、じっくりと周囲を見回した。窓が少なく、棚がぎっしりと天井まで敷き詰められている。所狭しと様々な雑貨……ペンや紙、ティーカップどころかティーポットまで種類も構わず、ずらずらと置かれていた。
「値段は、ああ、一応書いてるな」
「それがなきゃ買えないものね」
よかったと言えばいいのか、どうなのか。
店員が不在のため、レイシーも落ち着いてゆっくりと見て回ることができた。さて、ティーカップはどこだろう、とティーポット付近を探してみても見つからない。仕方がなく、一つひとつ指でさしながら確認していたときだ。
「あ、あった」
「おお……ん?」
「これは……ティーカップというよりも」
視線を下げてじっくり見つめていたレイシーの言葉の続きをウェインが告げた。
「ただのカップだな」
カップはシンプルな形のどっしりとした白い円筒で、二本の赤い線が口の付近にくるりと引かれている。線の色はすべてが同じ色かと思ったら、青や、緑や黄色など、複数の色で別のカップもあるらしい。
「普段遣いってことなら、こういうものの方がいいかも」
何より安定感があるところが気に入った。こぼれない、というのは中々の長所だ。なんせ、レイシーの家は騒がしい。キュイキュイ、と今もレイシーの帰りを待っている。
「いいんじゃないか」
「うん、すみません、これをください……って、誰もいないんだった」
お代はこちら、と書かれていた箱にちゃりんと硬貨を入れたとき、毎度あり……という声が聞こえたような気がしたが、多分ただの気のせいなのだろう。
「と、いうわけでアレン、どうぞ! これなら使いやすいんじゃないかしら?」
「たしかにこれなら……じゃあ、遠慮なく」
珍しくもウェインとアレン、レイシーの三人が揃っていた。ウェインはそろそろお暇する予定だから、最後の晩餐ならぬ、最後の茶会である。
「とりあえず、私が赤色で、ウェインは青色で、お客様は他の色ってことにしてて」
カップを買いに行くなんて初めてだったから、妙に興奮したままレイシーは必死に説明した。わたわたと両手を動かし、「そういうことにしたの!」と語るレイシーを見て、「ははあ」とアレンは意味有りげに笑う。
「なにそれ、兄ちゃんだけ専用の食器を置いてんの? もう夫婦じゃん」
おそろいじゃん、とニヒヒと少年は声を出し、レイシーとウェインは互いに顔を見合わせた。そして――。
「ああ、おそろい。たしかにそうね」
「でも色が違うところはいいな。わかりやすくて」
「うんうん、全部が同じだと困るものね」
旅をしている間の経験を思い出したのか、頷き合った……のだが。
「そういう話はしてない」
まったく通じない、とアレンは淡々と呟いた。その足元を、「キュオッキュオッキュオッ」とティーが散歩をして去っていく。
恋になるには、まだ少しだけ早い日々の話である。
----------あとがき
京一先生が描いてくださった書籍の口絵があまりにも可愛らしくて書きました。
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