番外編

※完結後の番外編です


 

 ――これは、レイシーとウェイン、二人の想いが通じ合ってから少したっての、お話である。


「ねえ、ウェイン。私達って、ちょっとはお互いちょっとは……慣れた方がいいとは思わない?」と言うレイシーの言葉に、「奇遇だな、俺もそう思っていた」と返答したのはウェインだった。


 すでに勝手知ったるプリューム村、そしてレイシーの屋敷の中。二人の男女は覚悟を決めていた。なんせ――好きと告白し合った中である。

 ならばそれなりの関係に発展するのも無理ないことで、それが自然だ。というわけで。するりと、二つの影が近づき――。





「はいこんにちはー! こんにちはー! あたしがやって参りましたよこーんにちはイヤぁあぁあああーーッ!」


 勢いよく扉をあけてやってきたカラフルな男は、レイシーとウェイン、二人の姿を見て腰砕けたようにへなへなと扉に添って座り込んだ。その後ろでは吊りバンドのズボンをはいた少年、アレンが、「ランツさんうるっせぇ……」と片方の耳に人差し指を突っこんで苦い顔をしている。


 ランツは座り込みながらあわあわと自身の顔の前で両手を戦慄かせ、「あ、あたしってやつは……あたしってやつはァ……」と悲壮な声を出している。


「アアッ! 売り上げのご報告にこちらへと参ったのですが魔道具のおかげで来客があればすぐにばびゅんとわかるから鍵があいていればいつでも入ってもいいですよというレイシーさんの言葉を鵜呑みにしてしまいッ! こんな! お邪魔なタイミングでやって来てしまうだなんてェ!」

「めちゃくちゃ一息に説明するじゃん?」

「うら若いお二人をお邪魔した事情をきちんとお伝えしといた方がいいかと思いやして!」


 胡乱なアレンの視線すらも気にせず、ランツはきゃぴっとしていた。

 それはとにかく、実はランツとアレンはこの家の主であるレイシーとウェイン、二人の姿をはっきりと目にしたわけではない。部屋に入ってすぐにウェインの背だ。高い彼の背に隠れて、その向こうに誰かいる、という程度しか認識していない。レイシーの屋敷なのだからきっと向こうにいるのはレイシーに違いない、と判断しただけで、今も変わらず見えているのはウェインの背だけだ。そしていつまで経ってもくだんの二人からの反応はない。


 ランツは訝しげに細い目をさらに細くさせつつ、「あのう……」と声をかけつつゆっくりと立ち上がり、状況を窺うべく部屋の中を見回した。端っこにはノーイとティーの二匹が鎮座している。「いや鎮座!!!」びっくりしすぎてランツは思考を言葉で繰り返した。


 レイシーとウェインの二人きりを邪魔したかと思いきや、実は魔物二匹もおすわりしつつ見守っていた。しかもなんかちょっと真面目な顔をしている気もする。ランツは魔物の顔色なんてわからないが、なんとなくそんな感じである。めっちゃこわ。なんだこの状況。


 ぴくりとも動かぬ元勇者と英雄ともいえる暁の魔女。それを見守る魔物達。――もしや二人はいちゃついているのではなく儀式か何かを行っていたのか。

 ランツとアレンは部屋に入れもせず、かといって逃げ出せもせず視線だけをうろつかせていたとき、ちらりと見えたものがあった。おや、とアレンは思った。


 こうした長い沈黙の後でやっとのこと聞こえた最初の声は、ウェインのため息だった。それほど重々しいわけではなかったが、はあ、と響いた小さな声はランツ達の膠着を解くには十分なものだった。ウェインはゆっくりとランツ達のもとへ振り返った。ウェインの向こうに見えた人影は、やっぱりレイシーだった。


「あのな。レイシーが入ってもいいって言ってたんなら仕方ないが、せめてノックはしてくれ」

「え……。あの、言い訳だけど、ランツさん、すげぇノックしてたよ。うるさかったくらい」

「そ、そうか。気づかなかったな」


 悪い、と謝るウェインに対して、「いや、悪いのはこっちだから。ね」とアレンはランツに会話を渡し、ランツも首がもげるほどに縦に振って肯定する。

「急ぎじゃないし、また来ます。お邪魔しました」と、ランツがあえて明るい声を出すと、そのときになってずっと俯いていたレイシーはハッと顔を上げた。


「ま、待ってください。そんな、せっかく来ていただいたのに」

「いやいや、お気になさらず。なさらず、なさらず~~~!」



 ***



 ランツさん、何回繰り返すんだよ。だってアレンくん、ほんとに気にしてほしくないんですもん……なんて気安い会話をし合う二人の背を見送り、レイシーは思わず頭を抱えた。来客者が屋敷の扉をノックすると、いつもはレイシーの鞄にくくりつけられた鈴が存在を主張するはずが、まったくもって聞こえなかった。きっとそれくらいに緊張していた。


 はあ、と重たいため息をつくレイシーの目の前では、「お前ら、見るな見るな」と言ってウェインがノーイとティーを散らしている。我らのことはお気になさらず、とズビシと二匹は重なりつつポーズをつけていたが、「気にするわ」とウェインは返答している。ウェインと魔物たちの距離が近づきつつあるこの頃である。


 ならば失礼つかまつる、とばかりにティーとノーイは窓から屋敷の外へ飛び出て、とうとう二人きりになってしまった。思わず、杖を握りたくてレイシーは虚空を何度も掴んでしまったが、今はそれに頼るべきではないということくらいわかる。


 ティー達が消えてからウェインはまた大きなため息をついて、テーブルに備え付けられている椅子を引き腰掛けた。「別に、立ったままの必要なんてないしな。俺もちょっとおかしかったな」と呟く声を聞きながら、どうしよう、と思った。どうしよう。


 このままでいいのかな、と考えたら考えるほどわからなくなる。そんなレイシーの葛藤をわかってなのか、どうなのか――多分、理解しているような気がする――ウェインはレイシーを呼んだ。それなら、行かないわけにはいかない。隣に座って、ちょっと椅子をずらして斜めになる。


「続き、するか」


 かすれたみたいに小さなウェインの声に頷いて、そろそろと手を出した。それから、ぎゅっと握りしめる。

 ぶらぶらと二人で手を握っているだけである。なのに息が出来ないほどに苦しくて、握っている手の先なんてとても見ていられない。どくん、どくんと心臓が飛び跳ねてしまいそうだ。自分から提案したはずなのに、いざとなるとわけがわからなくなってくる。

 ずっと無言で、話すこともできない。息を呑み込むばかりで、吐き出せない。


「――ひ、ひいっ!」


 ちょっとだけ、ウェインの指が動いただけだ。ざり、と温かくて硬い指先がレイシーの手の腹をなでた。それだけのはずが、レイシーはびっくりするほど大きな声を上げて、飛び跳ねてしまった。涙目で顔を上げると、ウェインが楽しそうに笑っている。嬉しそうでもある。そんなウェインの顔を見ると、少しずつ、レイシーは自身の緊張が柔らかく、ほどけていくのを感じた。



 ***



「……アレンくん」

「ランツさん言わないでよ」

「あの、あたし見ちゃったんですけど。さっき……その、ウェインさんが振り向く前に、ちらっと見えましてね、あの、お二人が、手を……」

「言うなって言ってんのに!?」


 アレンとランツは、屋敷の丘を下りながら村に向かった。ざくざくと足を動かしているときに、ふとランツが呟いたのだ。そこまでの言葉を聞いて、アレンはランツが自分と同じものを目にしたのだと知った。ウェインが振り向いた瞬間、一瞬だけ見えたもの。


「あれは、その、なんていうか」


 ランツは言い淀んだ。アレンに止められたからではない。相変わらず狐のような細い目でどこを見ているのかわからないが、今は空を見上げているので雲でも見つめているのだろうか。


「握手、でしたね……」

「…………」


 ぴー……ひょろひょろひょろ……。


 なぜかどこかから、間の抜けた鳥の鳴き声が聞こえたような気もした。

 レイシーとウェインは、多分いちゃいちゃしていた。いや、しようとしていた。しかし悲しいことに、直前まで繋がれていた彼らの手は握手だった。いや握手て。もうちょっと別のつなぎ方があるだろ、と思わないでもないが、姉と呼んで慕っている相手である。さすがにつっこみは口に出来ない。


「なんだか、甘酸っぱいを通り越して心配になりますねぇ……」

「まあ、うん、そうかなぁ……」


 アレンには双子の弟がいるが、幼い彼らの方がもうちょっとませているような気がしないでもない。レイシーに合わせているからそうなのか、どうなのか。真偽は不明だが、いつもならば小さな物音一つにでも反応する元勇者すらもうるさく近づくランツに気づかなかったというのだから、ただの似た者同士なのかもしれない。


「若者が羨ましいような、そんなこともないような。でもアレンくんももしお相手ができたら、いのいちにあたしに紹介してくださいね! もう踊り狂ってお祝いしちゃいますよ!」

「……気持ちだけ受け取っとく」

「ええっ!? 分身するくらい激しくしますよ!」

「自分を増やすほど頑張るなよ」


 こうして村への道のりを二人はのんびり賑やかに歩きつつ、アレンは考えた。

 もしかすると、姉ちゃん達、今も握手をして照れ合っているのかな、なんて。そりゃあ魔物達も心配して、見守りたくなりだろう。

(そのままでいてほしいような、そんなこともないような)


「は~! 練習しましょ! そうしましょ! カーゴさんとセドリックさん、お祝いおじさんズの結成ですよぉ!」

「勝手に父ちゃん達を数に含めるのやめてくれない?」

「急げや急げ~~~~!」

「ちょっと、こけないでくれよ!」




 変わらないでほしいと願う時間は、あっという間に過ぎていくものだ。ひゅうひゅうと過ぎ去る風は止めることなどできやしない。けれど、だからこそ、日差しの中を駆け抜けるのは気持ちがいい。アレンは走るランツを追いかけて、ふと振り返った。背後には大きな屋敷がそびえている。


 ――二年ほど前のことだ。このプリューム村には大きな変化があった。暁の魔女と呼ばれる小さな少女がひっそりとやってきたのだ。少女がやってきた屋敷は呪われていると噂され、それはもうおどろどろしい姿だった。それが今や朗らかな光の中で、昔からこの姿だといわんばかりに穏やかに佇んでいる。


 レイシーはたくさんの変化をもたらした。アレンもそのうちの一人だ。

 彼女がいなければ、アレンは一生村から出ることなく生きただろう。それでも、楽しく暮らしたと思う。大きな家族のような村の中で育ち、なんの不満もなく死んだに違いない。でもきっと、今よりも世界は小さかった。


「なんか、すごいな」


 勝手に口から飛び出た言葉が、アレンの中にある多くの気持ちを内包していた。

 たった一人の少女が多くを変えて、それが脈々と引き継がれていく。


「……でもそれが、彼氏と握手するのがせいぜいなんてさ。やっぱ笑っちゃだめだな」と、呟きつつも、口元にはほころぶような笑みがあった。まぶしげに屋敷を見上げる彼に、「どうしたんですかー! アレンくーん!」とカラフルな商人が手を振って問いかけている。


 アレンは弾かれたようにまた振り返り、屋敷から目をそらした。「ごめん!」と大きな声で謝って、「そっちに行くよ!」とランツに向かって叫ぶ。

「すぐ行く!」と伝えた少年は、大きく一歩を踏み出した。ともすれば、転けてしまいそうなほどに。


 ひゅるりと、風のように駆けていく。

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