1巻発売記念SS

1章の6話と7話の間の話です。

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 ――右手が、重たい。いいや、熱い。


 肌を突き刺すような痛みは次第にレイシーを蝕み、体中をどす黒く変えていく。

 声を出そうとした。けれど不思議と何も話すことができなくて、はくはくと開く口はただただ虚しい。黒くて、何も見えないと思っていたら、よくよく確認してみると瞼がぴくりとも開かない。それどころか、体のどこに力を入れてもびくともしない。ただ、右手が重い。それだけははっきりと分かる。レイシーは契約に縛られている。国のために生きるようにと右手を括り付けられている。ぶらり、と唐突に腕が上がった。それでも瞳は開かない。――苦しい。


 そう、理解したときだ。瞬く間に、レイシーを縛り付けていたはずの呪文が音を立てて砕け落ちた。まるでただのガラスのように、白い破片がきらきら降り注ぎ、砂のようにこぼれてさらさらと流れ落ちる。


「ああ、そっか……」


 <夢>の中で、手を伸ばした。いつの間にか、暗闇などどこにもない。白い砂はどこまでもレイシーの足元に広がり、ぐんぐんと広まり、明るく光り輝いていく。

 いつしか白い大地は地平線の向こう側まで続いていた。その向こう。遠くて、誰かが手を振っていた。――見覚えがあるその人は、きらきらと輝いていた。





 レイシーが慣れないベッドの中で目覚めたとき、顔にかかる暖かな日差しにじわりと目を細めた。


「そっか……」


 呟いた声は、まるで夢見心地だ。まだ、夢の中で佇んでいるようだった。

 ゆっくりとベッドから起き上がり、右手の甲を確認する。そこにあったはずの、長くレイシーとともに存在していた紋章は消え、つるりと白い手があるだけだ。契約紋など、もうどこにもない。レイシーは新たな生を得て、このプリューム村にやってきたのだ。


「自分でも、びっくりする」


 自分の声に、本当に、と深く頷く。換気のためにわずかにあけていた窓からは、ちゅんちゅんと鳥の鳴き声が聞こえ、のどかな風景が広がっていた。少し埃っぽいのは長く人が住んでいない屋敷だから。ちょっとは掃除すべきなのかもしれない。


 旅を終えてから王都に帰ってきたはずなのに、驚くべき変化だった。なんだか気持ちがついていかない。そうやってレイシーがぼんやりと外を眺めていたとき、「おおい、おおい」と誰かがどんどんと扉を叩いていることに気がついた。


「えっ、えっ!? 誰かきた!? だ、誰が!?」


 レイシーは意味もなくあわあわと周囲を見回し、おろおろする。服を着替えてばたばたと両手を泳がせ、そうだとばかりにベッドサイドに置いていた幅広の帽子に手を伸ばし、「はあい!」と階段を転がるように駆け下りた。




 大きな帽子をすっぽり被って、恐るおそる玄関扉から顔を出したレイシーを迎えたのは、鼻の頭にそばかすが散った、レイシーとそれほど背も変わらないオレンジ髪の少年だった。


「ええっと……」


 扉をあけた形で困って固まってしまったのは、誰だろう、と思ったからではない。どうしたんだろう、と不思議に思った。名前こそは知らないが、つい昨日、レイシーがプリューム村にやってきたとき最初に出会った村人だった。その村人が、なぜか朝一番にレイシーのもとへとやってきたのだ。


 少年はレイシーを見てにっかり笑って、「よかった。やっぱここに住んでたんだ」と白い歯を見せている。


「そうだけど、その」

「これ、お礼。昨日家に帰って父ちゃんにどやされてさぁ。魔法使い様になんてことさせるんだって。魔法使い様にってのはよくわかんねぇけど、助けてもらって礼もなしじゃな。たしかにそうだなーって俺も思ってさ。だからお礼な」


 少年が目の高さに掲げたのはカゴの中にずっしり入ったにんじんである。きしきしと少年は相変わらず歯を見せながら笑っている。


「え、お礼……?」

「うん。昨日はびっくりしすぎて俺もうっかりしてた」


 少年が困っていた様子だったから、開墾作業の手伝いをちょっとだけした。レイシーからすればその認識だから、「え、あの、そんな、わざわざ!?」と目をぱちくりして驚いてしまう。


「いひひ。そんなに驚くか? ……っと。魔法使いさんごめん! 慌てて来たけど、この後ちょっと急ぎの用があってさ。これ、受け取ってくれな!」

「え、あの」


 レイシーが止める間もなく、少年はぴょんっと飛び跳ねるように丘を下り消えていく。かと思えば、すっかり小さくなってしまった体をくるりと振り返り、「俺、アレン! じゃあ、また!」


 あっという間のことである。「もしかして、風の魔術でも使った?」と呆然とレイシーは呟いたが、そんなわけないことはレイシーが一番よくわかっている。なんせ、仮にも彼女は“暁の魔女”だ。

 青空の中で白い雲ばかりがゆるやかに流れていく。


「あっ……」


 声を上げて、ぴょこんとレイシーの肩が跳ねると、同時に大きな帽子がずれた。


「急いでるって言ってたけど、中に入ったらって誘えばよかった……」


 わざわざ村から丘を登ってやってきてくれたのだ。おもてなしの一つでもすればとかったと抱えたかごの重さを感じながら、レイシーは呆然と呟いた。






「よう、新居の居心地はどうだ?」


 そう言って、引っ越し祝い、いや、心配性の母のようなたくさんの荷物を馬の背に載せ、ウェインがやってきたのはレイシーがプリューム村に来てから一週間後のことである。

 カゴいっぱいにニンジンを詰め込みやってきたアレンを思い出し、思わずレイシーは吹き出すように笑った。


「なんだ? どうした?」


 労うように馬の背をなでつつウェインは瞬いたが、なんでもない、と伝えるしかない。それでもレイシーはくつくつと肩を震わせ、「こっちへどうぞ」と馬と荷の案内をする。まあいいか、とウェインはそれに続いた。


「意外と住心地がよさそうで楽しそうだ」


 大きな屋敷を見上げて、そうウェインは感想を落としたが、彼の楽しそうとは、つまりは掃除のしがいがある、という意味である。


(あっ、そうだ)


 レイシーはぐっと拳を握った。少年――アレンが来たときはいきなりのことで、うまく案内ができなかった。次こそはと誓っていたから、気持ちの準備のために、こほんとレイシーは咳をした。

 くるりと振り返り、屋敷に背を向けて手のひらを掲げる。


「ようこそ、いらっしゃい。ここが私の新しいお家……です!」


 想像して、何度だって練習したはずなのに、なぜかかちんこちんになって、敬語になってしまった。思わず目元を赤くしつつ、もう一度ウェインに背を向け、こほんこほんと咳をして取り消そうとしていると、今度はウェインが声を上げて笑った。


「や、やめて、笑わないでよ!」

「悪い悪い。新居だもんな。たしかに最初が肝心だ」


 ウェインは笑いすぎて目尻に滲んだ涙を指でぬぐっている、が。怒るよりも先に、きらきらと太陽の下で反射するウェインの髪色を見て、ふとレイシーは理解した。


 ――夢の中で、重たい右腕を引きずり苦しんでいたレイシーを助けたのはきっとウェインだった。彼は自由になりたいというレイシーの願いを笑わず、理解して、応援してくれた。どこまでも広がる白い大地は夢と希望にあふれていたが、今のレイシーには重たすぎた。


 このプリューム村も、とても朗らかで、いつかレイシーにとって大切な場所になるかもしれない。でも、今はただの一人きりで、そうなりたいと望んだのは自分なのに、これで本当によかったのだろうかといつだって形にならない不安が襲ってくる。


 アレンからもらったニンジンを食べているときは、寂しいような、怖いような、レイシーにだってよくわからない気持ちを忘れることができたが、そんなのただの一瞬だ。ご飯を食べ終わって、さあ立とうと思うのに、不思議とぼんやりとテーブルを見つめることもあった。


 それが、どうだろう。ウェインの顔を見た途端に、これでよかったのだと、レイシーは自然と胸を張ってしまう。不安よりも、これからの楽しみがずんずんと膨らんでいく。


 レイシーが見た夢の中で、白い大地の向こう側できらきらと光っていたのは、明るいウェインの髪色に違いなかった。朝目覚めるとすっかり忘れてしまっていたのに、ほっと胸を温かくする気持ちは今もしっかりと覚えている。


「おおい。今度こそどうしたんだ、呆けた顔して。……まさかまた適当に妙なものを食べて腹でも壊したんじゃないだろうな」

「……またってやめてよ、二回しかないじゃない」

「二回もあるって言うんだよ、そういうときは」


 もちろん旅の間の話である。いくら食に疎いレイシーだって、常から適当に生きているわけではない。……たぶん。


「そうじゃなくて、ちょっと思い出しただけ」

 と、レイシーが説明すると、ウェインはふむと頷き屈んで視線を合わせ、「もしかするとこの男前の顔を忘れてたわけじゃないだろうな」と冗談めかして返答した。

「まさか」と、にこりと笑いながら軽い口調で返答するレイシーの言葉の重さは、きっとウェインには伝わらない。


「――忘れるわけないじゃない」




 過去、国に囚われていた暁の魔女は自由を得た。

 軽くなった右手の重さに戸惑いつつも、前を向いて、後ろを向いて、それからまた前を向いて。物語は、これから始まる。



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お世話になっております、雨傘ヒョウゴです。


オーバーラップノベルスf様より、2023年2月25日発売予定です!

一章の部分まるまると、書き下ろしの番外編を収録していて、

番外編合わせると、3万文字以上WEBとは異なる内容となります。

よければお手にとってくださいましたら幸いです……!


試し読みはこちらから↓(オーバーラップノベルス公式サイト様より)

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