第79話

 



(ウェインは、どこにいるんだろう……!?)


 わけもわからずレイシーは駆け出していた。祭りの喧騒とは反対方向に突き進んで、立ち止まって周囲を見回す。


(多分、こっち……?)


 咲いていたはずの“花火”が打ち上がる数も少しずつ少なくなってきた。音と魔力の残骸を頼りにやって来たが、さすがにこれ以上は無理だ。真っ暗な街の中でレイシーは息を荒らげながら静かに拳を握りしめる。そのときだ。


「……レイシー、こんなところで何してんだ?」

「ウェイン!」


 薄暗い影の中から、ゆっくりとウェインの姿が見えた。やっぱりこっちで間違いなかった、とほっとして駆けつけようとしたとき、異臭に気がついた。血の匂いだ。彼が持つ剣の先から滴り落ちる液体が、地面にぽたぽたと丸いあとを作っている。それが一体なんなのか、わからないわけがない。


 人と魔物の血の臭いは異なる。レイシーはウェインとともに多くの魔物と魔族を屠ってきたのだから。レイシーが無言で見つめていると、しまったとばかりに彼は剣を振って血を弾き落とす。そして鞘に戻した。


「…………」

「まあ、少しな。大したことはないさ」

「街には、魔物避けがはられている。なのにそれを越えるぐらいの量だった、ということ……?」


 返事はなかった。ウェインはいつもこうだ。勝手に先回りしてレイシーが知らぬうちにどうにかしようとする。レイシーが知らぬうちに助けられて、気づかないままということだってきっと何度もあっただろう。今だってこの場に駆けつけなければずっと知らないままだった。


 どうしてと湧き上がる感情を必死に握りつぶした。自分の力が足りないことを嘆かずにはいられない。必死に飲み込んだ。今、確認すべきことは別だ。


「他にも、魔物はいるの? そっちに行くわ」

「だから問題ないって。俺とメイスで全部始末しておいた」


 一体どうしてだろう。レイシーとウェインは、こうもすれ違ってしまう。違う、レイシーに伝える必要なんてなかった。だから言わなかっただけだ。わかっている。それでも、と唇を噛み締めて思い出したのは、ユキの言葉だ。


 ――人と人は簡単に誤解を生みます。 “言葉にしなければ”伝わらないのです。


 自分が誤解されやすいのだと知って、だからこそ下手くそで、間違ってはいたけれど誤解をとこうと彼女は彼女なりにがんばっていた。

 レイシーだってそうだ。いつだって、素直に言葉にして伝えようとしている。なのにうまくいかない。当たり前だ、素直な気持ちなんてどこにもない。本当は嘘ばかりで塗りたくられている。


 自分のだめなところをウェインには知られなくなかった。一番何もできなかったことを知っている人だからこそ、恥ずかしくて、格好をつけたくなる。こんな自分がウェインのことを好きだと知られたくない。だからあんなに、彼のことを好きだと思う感情を必死にごまかそうと、口をつぐんでいた。


 言葉にしようとしなかったのはレイシーも同じだ。ウェインとレイシーは互いに背中合わせて、違う方を向いている。レイシーは、自分からウェインを解放したいと思っていた。彼にとって、自分がお荷物なのだと思っていたから。けれど、離れるなと言ってくれたのはウェインだ。そのことに安心して、抜け出すことができない自分に、心の底で嫌気のようなものを感じていた。


 だからずっと、ウェインに距離を感じていた。自分の汚いところを見せないように。感情を悟らせないように。がちがちにレイシーを縛り付けている何かがある。それは太く、重たい鎖のようで、どろどろと沈んでいく。多分、このまま一緒に沈んでいけば、きっと楽だ。そうしよう、と思って顔を上げた。なのに不思議と口は反対の言葉を吐き出している。


「ウェイン、私……」


 サイラス様に、結婚しようと言われた。そんなことは、まさか言えるわけがない。あれはレイシーとサイラスの二人の会話で、ウェインには関係のないことだ。わざわざ他人の会話を伝えるような不作法をする気は、レイシーにはない。けれど、そのとき感じた言葉ならば、口にできる。


「あなたが好き」


 サイラスのことは、正直よくわからない。けれど、きっといい人なのだと思う。本質的にはレイシーとよく似ていて、ものづくりも好きなようだ。結婚というものがどんなものなのか想像もできないけれど、彼となら友人のように楽しく穏やかに暮らしていくことができただろう。


 けれど、ふと心に思い浮かんだのはウェインだった。ウェインが好きだから、断った。ただそれだけだ。


 ウェインは、瞳を大きくさせて、一瞬息を飲み込んだ。それからすぐに、“聞こえない”ふりをした。花火の音が聞こえたから、そちらに目をむけた。そんなふりをした。だから必死に背伸びをして、レイシーはウェインの横顔を両手で力強く掴んだ。


「ウェイン、私、あなたのことが好き!」


 どちらももう逃げることもできない。ウェインは翠色の瞳の中を驚きと困惑に染めて、まるでへちゃげた子供のような顔をしている。別に、レイシーだって相手が自分と同じことを言うことを望んでいるわけではない。ただ、逃げてほしくなかっただけだ。それなのに、ウェインは核心から避けるように、必死に瞳をそむけた。


「……何いってんだよ。何かの冗談のつもりか?」

「もちろん、違うわよ。本気しかない」


 無理やりぐいっと最後顔の方向を調整する。これほどの力強さを発揮するのは、もしかするとレイシーの人生において初めてかもしれない。


「だから、な。俺は一応、貴族で、元だけれど、勇者で……」

「知ってるわよ。平民でごめんなさいね」

「そういう意味じゃない! 国に繋がれてるんだよ。自由に生きるんだろう。俺は、お前にとっちゃ足手まといだ!」


 真っ赤な顔でウェインは必死に叫んでいる。レイシーはただ驚いた。彼の顔を掴む両手が、ぶるぶると震えた。視界だって滲んでいく。胸が締め付けられるようだった。自由に生きたい、そう願ったレイシーの言葉を、ウェインは誰よりも、もしかすると、レイシーよりも祈って、考えてくれて、見守ってくれていた。でも、それでも。


「私が、自由に、あなたを選んだのよ! 一体それの、何が悪いの!」


 はっとした顔をして、ウェインはレイシーを見た。自分の顔を掴んでいた手のひらを握りしめる。空には、どんっと大きな花が咲いていた



 ***



 ――そのとき、メイスはぐったりとして屋根の上に寝転がっていた。


 ときおり昇る花火を見上げて、「綺麗だけど、これ、いつになったら終わるのかなぁ」とため息をついている。自分はちょっとここで夜空を楽しんでいるので、隊長さようなら! とかっこをつけてみたものの実際は疲れ切って一歩も動けない現状である。もしかしたらウェインもそれをわかっていたのかもしれない。渋る彼にさっさと祭りにもどれと告げたのもメイスだ。


「えーん……ボロボロ……」


 スノーラビットの死骸はのちほどエハラジャ国と協力して回収するとして、自分の魔力を使ってウェインが打ち上げた花火を今はぼんやりと見上げることしかできない。がんばったぞう、と今はクロイズ国にいる妻に心の中で報告して、ついでとばかりにウェインのことを思い出した。


「覚悟を持って進まないってかぁ……」


 よくわからないけれど、隊長も隊長で、きっと思うことがあるんでしょうなと呟いて、でもねぇ、と今だけは年長者として、意地の悪い顔をしてしまう。

 あの人も子供だな、なんて考えて。


「恋愛なんて、一人でするもんじゃないでしょう。互いにぶつかって、先が見えてくるもんじゃないの?」



 ***



 いつの間にか、花火の音は止んで、しんと静かになっていた。


 レイシーはウェインを選んだ。それが一方通行でも、なんでもいい。今まではきっとウェインがレイシーを捕まえていてくれた。けれど今度はレイシーの番だ。ウェインを逃すまいと捕まえていたはずの手のひらは、いつの間にかウェインに上から包まれていて、喉からこぼれた嗚咽は次第に大きくなっていく。多分、これ以上なく感情を吐き出したから、あとは出るものもなにもない。あるとすれば涙だけだ。


 ウェインはレイシーの手を握りながら、どこか魂が抜けたように呆然としていた。いつの間にか二人して座り込んで、レイシーの背中を撫でるようにかかえていた。彼も、ふと思い出した。初めて彼女が自分の前で、大声で泣いてしまったときのこと。抱きしめたかったはずなのにできなくて、こぼれた涙を魔術ですくいとることが、せいぜいだったこと。


 それが今、彼女が自分の腕の中にいる。そのことが、とにかく嬉しくて、目頭が熱くなった。けれどそのことをレイシーに気づかれるわけにはいかなくて必死に飲み込んでこらえた。それでも波のような感情が、ただただ襲いかかってくる。


「俺も」


 一粒、涙がこぼれた。


「お前のこと、好きだよ……」





 ***




「これで少しずつ、元の気温に戻っていくだろう。いきなりというわけではないから、まだ苦しい日々は続くだろうけれど、今日より明日、明日より明後日とよくなっていくのなら、楽しみに変わるもんだ」


 サイラスは腰に手を当てつつ、だははと大声で笑っている。そして慌てて自分の口をぱちんと叩いた。少し行儀が悪いと思ったのかもしれない。

 タラッタディーニの人達は一足先にもとの場所に戻っていったから、今は残った一部の人々がお別れの挨拶として多くの住民に見守られつつ、関わったそれぞれに挨拶を交わしている。


「レイシー、あなたが次に来たときはもっとたくさんの写真をとっておくわ。クロイズ国のお父様にいつか見せることができるように。もちろん、あなたにもね」

「アリシア様、楽しみにしています」


 レイシーとアリシアが握手をして挨拶をしている隣では、「ユキ、よかったらまた来てくれてもいいんだぜ、出店考えるの楽しかったなぁー! お前案外センスあるよ!」「ダナ様、さっさと帰りましょう、ここにいるとお耳が腐ってしまうかもしれません」「すげぇめちゃくちゃ聞いてない」と話すガルダとユキにダナが笑いをこらえている様子だ。


「たいちょう! 俺、さすがに子供が生まれる頃にはクロイズ国に戻りますんで! そのときはまたー!」


 メイスがずるずると鼻水を流しつつ、激しく両腕を振っている。

 そしてティーはノーイに乗って、わっしょいわっしょいと子供たちのマスコットになりつつ、必死に堪えている。祭りの間も盛り上げ役としてがんばってくれていたらしいので、感謝しかない。


 ありがとうとさようならは、想像よりもたくさんの人達と関わってきたからその分たくさん言い合った。不思議と嬉しくなって微笑んでいると、つい、とレイシーのもとにサイラスがやってくる。二人できちんと話すのは“あの晩”以来だから、実はちょっと身構えてしまう。でもそんな様子は見せるわけにはいかない、と普段どおりの顔を作ると、「僕たち、ちょっと気まずいねぇ」「き、気まずくないです!」


 開口一番の言葉に殴りつけられたような感覚である。


「気まずいって、何がだ?」

「え、もしかして僕の顔を立てて、ウェインに伝えていないの。全然構わないのに」

「ちょっとは構ってください……」

「だから何がだ?」


 なぜ埋めた穴をもう一回掘り起こすようなことをするのか。わからないとレイシーはじっくりと考えたが、からかわれているのだと気がついた。このやろうである。こちらが本気で考えていたというのにとじわじわと黒い感情を持て余しながら口を閉ざしてサイラスを見上げると、「反応、ちょっと遅いね」とダメ出しまでされた。「それはとにかくなんだけれども」 どうやら彼が話したいことの本題ではないらしいので、レイシーはきゅっと口を閉ざした。もう知らない、というような気分だ。


「スノーラビットを討伐しきれていなかったことは本当に僕の手落ちだった……申し訳ないよ」


 暗い顔をするサイラスだが、すでにウェインを通して話はすんでいる。一人先走ったことについてウェインからの謝罪は済んでいるし、これからの対策もとってはいる。けれど次に気まずく視線をそらしているのはウェインだった。サイラスは続ける。


「ふと、思ったんだ。スノーラビットの増殖は魔王が生まれたことに対しての影響だ。すでに、魔王はいない。君たちが倒したからね。エハラジャ国のように各地で残っているこうした不可解な事象は、きっと少しずつ消えていくんだろうな」


 それは、平和な世の中だ。けれど、だからこそレイシーは目標を見失って、どこに向かえばいいかもわからなかった。


「これからは平和になったからこその変化が、いくらでもあるんだろう。君がつくる魔道具のように新しいものがどんどんできて、文明も進んでいくかもしれない。今までは種と水があっても、土がなかったようなものだ。きっと爆発的に変化する」

「そう……ですね」


 世の中が次々に変化していく。そのことに対して、怖いと感じてしまうことは、きっとレイシーが狭量だからだ。目の前の人は、こんなに喜んでいるというのに。思わずうつむいてしまうと、とんとウェインに背中を叩かれた。いつだってそうだった。気づいて、胸が温かくなってふと顔を見上げて笑いあった。ん? とサイラスが訝しげな顔をしたので、さっと視線はそらしたが。


「ちがった。言いたいことはこれじゃなかった。レイシー、きみも同じだろ? きっと、きみはこれからどんどん新しいものを作っていくんだ」

「…………!」


 変化が怖いと思ったはずなのに。なのに、心の中では作りたいと願っている。相反している気持ちがある。でも、それを飲み込む必要はないようにも感じた。両方ともが確かにレイシーの胸の内にあるものなのだから。


「そこでだ。君たちが泊まっていた家は、僕が買い上げたんだよ。だからぜひ、レイシー、きみに店を開いてほしいと思っている。せっかく店として一度改装したわけだしさ。きみが作るものを、僕達エハラジャ国はバックアップするよ」

「み、店?」


 サイラスからばしっと突き出された片手を、どうしたらいいものかとレイシーは目を白黒させることしかできない。たしかに、今までプリューム村で作ったものをランツやアレンに売り出してもらうことはあったが、けっしてレイシーの店というわけではなかった。そもそも、そんな発想にもならなかった。


 だから家を一軒与えるから自由にしていい、なんていう提案がいいか悪いかもわからない。というか、他国だし、でも、国に捕らわれたいわけでもないし、と言葉を飲み込みサイラスの手を無言で見つめている間に、じっと周囲の視線が集まっていることに気がついた。「ひ、ヒイッ……!!」 レイシーがサイラスの手を取るのかどうが、みんな固唾を飲んで見つめている。


「……わざわざ今、目の前で決めさせることはないだろ。変なプレッシャーをかけるのはやめてくれ」

「ばれたかー。いやあ、クロイズ国に戻ってからゆっくりとでいいから、ぜひ考えてくれよ。別に僕はシェルアニク家のお嫁さんが来てくれてもまったく問題ないよ!」

「バ……茶化すな!」


 レイシーをかばったウェインに、サイラスがくるくると人差し指を回しながらからかっている。そして今、多分馬鹿と言おうとした。なんとか飲み込んでいたけれど。


「れ、レイシーさぁん! エハラジャ国に行っちゃあ嫌ですよ! そんならあたしと一緒に王都に出しましょ! 出しましょー!」

「ランツさん、ちょっと今はだめでしょ、ややこしくなるから引っ込んどいてよ……」

「アレンくん、はなしてくだせぇー!」


 背後では聴衆からの主張が激しい。お店を出すなんて、考えたことはなかった。けれど、それも一つの方法だ。平和になった世界で、新しくできることはたくさんある。


「エハラジャ国とクロイズ国以外に、行ってみるのもいいかも……」


 特に深くまで考えての言葉ではなかったのだが、「ええ!?」と何人かの声がかぶさっていた。だいたいサイラスとランツである。


「い、いえほんとうに。言っただけです。どうなるかなんてまだ何も考えていません」

「それならぜひぜひご一考を」

「かかかか金づるを放すもんですかァーーー!」

「ランツさん、さすがに本音がですぎて俺でもちょっとひいちゃうよ……」


 なんだか局地的な人気者になった気分だ。


 なんにせよ、レイシー達は手のひらを振って、エハラジャ国をあとにした。来る時よりも大勢で帰る道は不思議だった。かわったことといえば、そのくらい、と言いたいものの、ウェインと目が合う度に、レイシーは勢いよく視線をそらした。もちろん、ウェインも同時だった。それを何度も繰り返すうちにおかしくなって、二人で一緒に笑った。誰もいないとき、そっと小さな声で、抱きしめてもいいだろうかと尋ねられたから、レイシーは小さく頷いた。互いに指先まで真っ赤になってしまいそうだった。



 ――月日は流れて、どことも知れぬ店の扉が、からんと開く。「いらっしゃいませ」と伝える声はいつになっても慣れないけれど、彼女なりの精一杯の声だ。




 魔王は倒され、どうやらこの世はとっくに平和になってしまったらしい。

 できることといえば、誰しも新しく、前に進むことだけだ。






※ あとがき


こちらで本編は完結となります。

読んでくださいましてありがとうございました……!

またオーバーラップノベルスf様より書籍化&コミカライズ企画進行中です。

まだまだ先のこととはなりますが、具体的にお伝えできるようになりましたら近況ノートやTwitterにてご報告できたらと思います。

どうぞよろしくお願い申し上げます。


【追記】

2023年2月25日に第1巻発売予定です! よければよろしくお願い致します……!


雨傘ヒョウゴ

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